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食べる事は美しきことか~私が料理に愛情を入れる理由~

「いただきます」、「ごちそうさまでした」

あなたは誰に向けて言っていますか?

ご飯を作ってくれたお母さんですか?
総菜屋のおばちゃんですか?
お金を出してくれるパパですか?
お米を作ってくれた農家さんですか?
食べられる為に死んでくれた牛さんや豚さんですか?

幼稚園から小学校、または中学校までほぼ義務のように言わされてきた言葉。

高校くらいから友達の前で言うのが恥ずかしくなり、そのうち忘れて、
子供を持つ頃に思い出したように、また言い始める。

子供に対して「食べる前にちゃんといただきますするのよ」
とは教えるが、何のために言うのかまで、
伝える事が出来ているのだろうか。


私は、動物の命を頂く仕事をしていた

薬を作るのにどうしても必要となる実験動物。
実験動物の命を頂く時には心の中で手を合わせ、「頂きます。」と唱える。

牛さん、豚さん、などのお肉は美味しいし、
スーパーに行けばいつでも手に入る。

ファストフード店で頼めば秒で出てくるし、注文しすぎて食べれなくなってしまったら、捨てる事に特段罪悪感は持たない。

しかし、畜産、屠畜を行う職業は今も昔も差別の対象とされてきた。

「自分が育てた牛を殺すなんて残酷!」、「動物が可哀そう。」、「よくそんな事が出来るね」

自分で豚も育てた事無いような人が言ってくる。

動物実験を行う製薬業も、屠畜業よりかは身近な存在だからだと思うが、マイルドに奇異の目に晒される。

「動物嫌いなの?」、「殺すとき躊躇わないの?」、「何とか逃がして上げれないの?」、「動物実験何て時代遅れだよ」

私の肌感覚からしたら、
動物が好きな人でないと動物を扱う実験は出来ない。

皆動物が好きだし、ペットを飼っている人も多い。実験動物には優しく接するし、死を迎えるまでになるべく恐怖を与えないように環境を整えている。

夏の昼間に犬の散歩なんかしてるバカよりは
ずっと動物想いだと思っている。

殺す時に躊躇なんかしていていたら、苦しむ時間を長くするだけ。
自分が大事に育てた子たちを最後に苦しませたくない。

そして、実験動物達は実験される為に産まれてきている。

自然界では生きられないように作られているのだ。
施設内で適切に処理をしてあげなければならない。

無知な消費者がただ知らないだけで、販売されている商品で
動物実験を行っていない医薬品、化粧品は無い。
食品ですら動物実験を行っている。

「でも動物実験をしていませんって言ってる化粧品会社もあるよ?」

それは販売をしているその会社がしていないだけで、
原料を作っている会社が代わりに行っているだけの話。
動物実験を行っていない、安全性が確証されていない原料をメーカーは買わない。

仮にもし本当に動物実験を行っていない商品があるとするならば、
その商品は、使っているあなた自身が実験台という事になるのだ。


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命は繋がっていくもの

職業柄、動物の命について考えさせられる機会が多かった。
家庭を持って、食について考える機会も増えた。

食材となってくれた牛さんや豚さんは死んでしまったけれど、
私たちの身体に入って、血や肉になって、命を繋いでくれている。

微生物のご飯にもなって腸内環境を整えてくれている。

料理を作るという事は命を繋ぐ事なんだと、
思うようになった。

私たちの身体は、美しい自然と繋がっている。
スーパーに並んでいる食品の先には自然があって、
それを感じる事が、生きる力になるのではないだろうか。

自分たちが食べているもの、触れているものが
自然の中の命だという事を感じている人ならば、
畜産や動物を扱う職業に対して、
「残酷」だとか「野蛮だ」などという感情は芽生えないと思う。
乱暴な言い方をすれば、
この人たちは、自分が何を食べているのか分かっていないのだ。


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食べることは生きること

食に興味を持たない人は多い。

「いや。旨い店結構知ってるし、開拓とか好きだし。グルメだし。」
と聞こえて来そうだが、そういう事ではない。

食べものに関しては「美味しい」とか、「美味しくない」とかばかりが
話題となって、結局自分が何を食べているのか、
つまり
自分の身体の中に何を入れているのか
まで考えている人は少ない。

世の中の商品は、「美味しい」と「便利」を求めて加工されまくっている。
3分で出来るラーメンや、何食べてるか分からないけど取り合えずエネルギーチャージ出来るゼリー、夏場でも腐らないお弁当…

腹が満たせて、そこそこ美味しければ満足感を得られる。
しかし、利益重視で大量生産されている食品は、人間の脳や体を着実に壊しながら、依存症へと誘う。
別に添加物が悪だとか、
そういうものは良くないとか言うつもりは無いし、
私だって最悪の食べ物と称されるポテチは好きで、たまに食べる。

ただ、日々の2,3回の食事から得られる体験は無限大で、
とても尊いという事を意識してほしい。

自分が作ったものが美味しいものばかりである必要はない。
私は、食材を意識するようになってから
なるべく季節の野菜を農協や直接農家に行って買うようになった。
トマトが美味しい季節になったな、とか
水っぽくなってきたからもうシーズン終わりだな、とか
舌で感じられるのだ。


家庭料理は手抜きでも、失敗してもいい。
頑張らなくていい。
家族に美味しい料理を出したい気持ちはあるけど、
少しぼーっとして、焦がす時もある。
いつもと違う変化を感じて、家族が考えてくれるきっかけになってくれる。
「今日は料理する元気ないのかな?」と気づいたり、
火が通ってなかったら、玉ねぎってこんな苦いんだ。
とか知るきっかけにもなる。


あなたが食べているものが、愛で作られていると感じたなら、
あなたの身体は愛で満たされています。

あなたが食べているものが、利益を優先されたもので作られていると感じたなら、
あなたの身体を満たしているものは、一体何なのでしょうか。


食べる事が美しいと感じた時、あなたは美しいのです。


あとがき

何かのご縁でこの記事を見つけれくれた方が
日々の食を通して、命が繋がっている事や、
感じられる事が多いという事を意識する小さなきっかけになれば幸いです。

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