自己紹介 ①寂しい病

どぅも!
栄養から美肌と笑顔の人生を作る人
です\( 'ω' )/


私は【正々堂々、自分の人生をいきる仲間を増やす】ことを目的として活動しております!


いまでこそ、楽しくやっておりますが
そりゃそりゃお恥ずかしい
黒歴史の1つや2つありますので。


ここに置いておきますねᵔ ̫ᵔ
読んでちょ♡♡仲良くしてちょ♡♡
じゃ!早速どーぞぉ☆


○幼少期~小学生 ○


愛知県は碧南市。名古屋までは電車で1時間半。のどかな田舎で私は生まれる。

両親は20歳で兄を産み
立て続けに私を産みただ、
お金が無かったのか?働かないことに
脅迫観念があったのかは定かではないが共働きでいつも保育園の送り迎えも祖母だった。


小学校に上がっても
学童の様なイメージでおばあちゃんの家にいた。


おばあちゃんもおじいちゃんも
働いていたから誰も居ない祖父の家なのだけどね。



ただ、かまって欲しい人が
居ない空間に【1人帰る】と言うのが
どーにも耐えられ無かったのだと思う。私はずっと「寂しい」を抱えて生きてきた。





その時の私は、とても浮いていて。
保育園の時からお遊戯会や運動会では
上手く役に参加できず、友達もほぼおらず。

問題児?黄色の帽子かつ靴下が履けない。


目を離すとどこかに行ってしまうので1人だけ違う色の帽子を被らされ保育をされていた程だ。


0歳からの保育園サラブレッドの癖に
ハイパーコミ障ここに極まれりっ✩



母はとても優しくて、いつも困った顔で笑う人だった。そして人知れず泣く人だった。 母を笑わせたかった。私はいつもおちゃらけた

笑ってください。あなたの笑顔が見たい。







アトピーの症状が全身に出て痛々しい私を介抱してくれる母も好きで好きでしょうがなかった。アトピーは痒いけど、便利だった。


私が小学生3年生をのらりくらりとなんとかやっていたときに父は他に好きな人が出来て私達を置いて家を出た。


家族4人で四角いテーブルで重い空気で最後に話し合ったあの日を私は色んな意味で忘れないだろう。母はこの日も泣いていた。


○中学~高校○

運動も勉強も全くできない  ヘラヘラして嫌な事は受け流し、通知表には「忘れ物が多いです」「マイペースです」「時間を守りましょう」なんて書かれていた私は



例にもれず?
自己肯定感?ナニソレオイシイノ?って、感じだったし。


唯一家が近くて仲良くしてくれていたSちゃんは頭もよくて、可愛くて、運動もできて最高かよっ!って感じだったので私は輝く彼女の光に影を濃くしていく。大好きな友達で仲良くしたいのに、一緒に居れば居るほど自分が惨めな気持ちになる( ˙-˙ )


あれ?おかしいな…妬ましい…。嫌いになりたくないのになぁ…。

仮病を使って沢山休んだ。学校が嫌いだった。



おまけに、兄は不器用ではあったけど
顔がよかったし、運動もできたし、そこそこ頭もよくて。


あぁ〜私はどーしたら愛されるもんかねぇ〜。寂しいなぁ〜。ちゃんとしてる人が羨ましいなぁ〜。




と、常に愛されたい病だったのを覚えている。




そこで!やってきました!
高校受験。


長くなるのでまた次回!
最後まで読んでくれてありがとう(^^)








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