アランの「短剣の舞」を考える

アランの「幸福論」を読んでいると、スーっと流してしまうものと、スッと心に入ってくるものと、色々混ざっててなかなか面白いです。
あと中には、ん?っと何度も読み返してしまうものもあります。

アランの幸福論とは、100年前に書かれた著者アランによる短編集です。
1つ1つはとても短いので、読みやすいですが、読みやすい分、流して読んでしまいがちです。
なので今日は、ちょっと気になったお題について掘り下げてみようと思います。

53番 短剣の舞

過去と未来は頭で考えていなければ、存在していない。
この2つは現実ではなく、印象にすぎないのだ。
私たちはわざわざひどい骨を折って、後悔や恐怖という過去と未来の印象を作り出している。
---引用

ここの部分がとても引っかかりました。
なるほど私たちは、今しか生きていないわけで、過去はすでに過ぎ去ったからどうしようもない、未来はまだ来ていないから想像でしかない。
自分自身が引き起こしてしまった事象で、過去の行動に因果関係があった場合に、過去を反省して「次はこうしよう」と学習していくのはとてもいいことだと思うのですが、そうではなく、「あの時ああすればよかった」とか「あの時のあれが原因で」とかは、もう過ぎた過去を後悔してもしょうがないってことですね。

と言うことは、逆にこうも言えます。
後悔しないように、今ここで下す判断をちゃんと考えること。
今を必死に生きるとは、そう言うことなのかなと思います。
過去を振り返るってこと自体は誰しもあると思うのですが、未来に後悔しないように今を生きているか、と言うことです。

今起こっていることに対して、ちゃんと向き合って、ちゃんと対応して、誠心誠意やっていれば、結果的にそれが失敗だったとしても、後悔はないはずです。
私はあの時、きちんと対応した、あの対応がベストだった、と言えれば問題ないはずです。

私はそれでもやっぱり過去を後悔してしまう時はありますが、そんな時にはこう考えてみたら気が楽になったことがあります。

「じゃあ他にもっとベストな対応ありましたか?」
「他の対応をしていれば、その事態は避けられたのですか?」

今をトライベストしている人は、答えはNOだと思うので、それが理想だと思います。
私は、真摯に生きると言う意味を、常に考えながら生きています。

アランの幸福論は、まだ読み途中なので、また気になるお題が出てきたら書いてみますね。


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