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ネット社会の『現在』と『これから』 −木村花さんの死を受けて考えたこと−


WHOがパンデミックを宣言してから2ヶ月が経って、皆が「新しい現実」へ適応していこうと模索しているところだと思う。僕もそうで、通っていた語学学校の授業が中止になったので、新しいオンラインコースを探したり、アプリでタンデムパートナーを探したりしている。これまで少し敬遠していたSNSも積極的に使うように切り替えた。続くステイホームで、これまでになくオンラインで過ごす時間が増えている。

そんな中で先日、痛ましい出来事があった。テラスハウスに出演していた木村花さんが、SNSでの心無い中傷を受けて亡くなったという。傷つけられた木村花さんの悲しみ、ご家族や友人、ファンの人たちの悲しみは計り知れない。恋愛リアリティーショーであるテラスハウスは、2012年にテレビ放送から始まった人気番組で、5年前からNetflix配信へ移行していた。

僕は番組を観ていないのでその内容を知らなければ、木村さんの存在もニュースで初めて知った。そのため今回は、番組内容や中傷内容には触れず、大きく「ネット社会の『現在』と『これから』」について、考えたことを書きたいと思う。


『ネット環境』を考える

「ネット環境」という言葉がある。これは一般的に、インターネット回線の接続環境を意味する言葉だが、僕がここで考えたいのは、人が安心して過ごせる公共空間としての『ネット環境』だ。

より良い『ネット環境』へ育てていくためには、ネット社会の光と闇を見つめる作業が必要だと思う。きっとまだまだ顕在化されていない問題は沢山あり、日々増殖しているように感じる。近い将来、更なるスケールの大問題だって浮上するかもしれない。現時点で最も無防備なのは子供たち。オンライン授業が一般化して「子供一人にPC一台を」と言われる時代になったからこそ、安心して過ごせる環境をどう実現できるか考えたい。


SNSのリテラシー教育

まず必要なのは、リテラシー教育。TwitterやFacebookの仕組み自体を改めて学び直し、より自覚的に扱うための教育が必要ではないだろうか。

投稿・フォロー・コメント・リツイート・いいね・広告・サクラ・ボット…… これらの要素は複雑に絡まり合いながら、ネット社会における人々の振る舞いの基盤となっている。そしてその上に、大衆心理の移ろいや、日本社会特有のコミュニケーションが乗っているような形だと思う。道に例えるなら、道路交通法なし、免許制度なしの道をビュンビュン車が飛び交っているような現状だ。

これらの仕組みや構造を理解することで、嘘を見抜く力をつけ、情報を上手に取捨選択し、身を守る方法を学ぶ。子供や高齢者はもちろん、大人も運転免許更新のように、定期的に学び直す機会が必要なのかもしれない。


「自由」というコインの表裏

インターネットには命を救い、世界を変える力もある。今はまさに、Twitter上の抗議の声が政治を動かせる時代で、抑圧された弱者の声が集まって大きなうねりを生んでいる。SNS上の発言の「自由」が的外れな政策にストップをかける様子を、ここ最近では目の当たりにしてきた。また、SNSがDVや児童虐待、内部告発や医療現場などのSOS窓口となり、匿名性や発言の自由によって救われる命だってあるだろう。

一方で、今回のように心無い「自由」な誹謗中傷が人を死へ追い込むこともある。コインの表裏のように、人を救いもすれば殺めもするのだ。さらに驚いたことに、木村さんの死に便乗して稼ごうとするYoutuberもいた。

また、番組を作る側の人間の責任はどうだろうか?以前から、最近のYoutubeやNetflixがコンプライアンスの厳しい公共放送を離れ、ラディカルで享楽的なコンテンツを増やしていることにも危機感を感じていた。「再生回数分のお金が儲かる」、「面白く過激であればあるほど契約者が増える」といった収益システムは、新しい文化を育てる一方で、コンテンツの暴力性に拍車をかけている。


インターネットの森林官

世の中の大多数の人がインターネットやSNSを利用する今、教育や法整備、システムの見直しなどを考える団体が必要不可欠だと思う。僕がイメージするのは、ITの専門家・社会学者・教育者・心理学者・哲学者・法律専門家などから成るチームで、先に挙げた『ネット環境』を整備し、見守るような存在だ。

とても柔らかく例えると、ドイツには森林を管理する「森林官」という職業がある。彼らは森をつぶさに観察して間伐するべき木を選び、キツツキが住んでいる木は切らないよう印をつけたりしながら、「森と人とが共存できる環境」を守っている。ドイツには実は天然の森はほとんど残っていないが、人が手を加えることによって、人間の生活に身近な美しい森を維持しているのだ。そういった「森林官」のように『ネット環境』を整備する存在が必要だと思う。


「これまで」と「現在」、そして「これから」

30代の僕はインターネットと共に育ったので、それが世界を目まぐるしく変える流れを目の当たりにしてきた。インターネットに受けた影響は計り知れないし、その自由で斬新なツールが大好きだった。でも、スマートフォンとSNSの普及に東日本大震災が重なった10年ほど前から、その様子は変わってきたように思う。指数関数的にユーザーが増えて、言葉が氾濫するようになった。

今回のような誹謗中傷による事件を防ぐため、何らかの法整備は必要だと思う。しかし、インターネットがそもそも非中央集権型に設計された物だということも忘れてはいけない。法整備が国家権力の下で進められる以上は、誹謗中傷の取り締まりと、政治的言論統制という2つの事柄が、コインの表裏として現れてくるだろうから。


このネット社会を育てるも壊すも、未来を決めるのは私たちなのだ。


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