整理魔になりたい/魚座的欠点を克服して健康になった

 松村潔氏が、魚座(魚サイン)を鍵のかからない部屋にたとえていたのだけど、太陽・金星魚、ついでに1室海王星、ノー・アスペクトの木星の私は比喩でなく実際に家に鍵をかけるのが苦手だ。部屋の鍵があいている状態が好きである。ストーカーが勝手に部屋に入ってきてしばらくはきちんと施錠していたけど、本当にめんどくさくて気が向かなかった。
 部屋の鍵だけじゃなくすべてをきちんとしめない。バッグの口とか、ポーチの口とかもそうだ。半開きとか、ちょこっとあけとくのが好きで、くせになっていて、そのせいでポーチの中がこぼれてバッグ内部や床がぐちゃぐちゃになることが多い。片付けも苦手でつねに本当に部屋が汚い。

 魚サインの支配星は、伝統的占星術では木星、モダンな占星術では海王星である。
 木星の象意は拡大、拡散。海王星の象意は、人智を超えたイマジネーションや境界線の破壊、原初の混沌である。である。木星の上位互換のような惑星が海王星であり、両方ともとにかくどこまでも拡がって拡がって、収拾もつかなくなる作用を持つ。

 もう一回言う。本当に部屋が汚い。部屋もテーブルの上もカバンのなかもゴチャゴチャだ。自分に甘いし、他人に甘い。境界線があいまいか、無い。他人の不幸話を聞いてすぐ我が身にひきつけて泣いてしまう。

 思えば両親もなんとなくそういうところがあった。二人とも片付けが大の苦手で下手だ。ソファには母の脱ぎ捨てた服がつみあがっていたので、友達を遊びに招くとき母はそこに大きくひろげたストールをかぶせて隠していた。父はサボテンのマイブームが来たとき大量に集めまくったけど、飽きたらほったらかしで、私が水やりをやらされていた。2階建ての一戸建てのうち1階部分は生活空間で、2階の部屋はすべて何かの荷物の入った段ボールにうめつくされ、私室をあたえられる年齢になった私は段ボールの中にベッドだけ設置されて寝ていた。
 母が大そうじをしているところを見たことがない。

 真夜中生まれの私の太陽は魚座のIC近くにあり、オポジションのMCは乙女サインである。
 MCおよび10ハウスは母親をあらわすので、それは「母親が本人に期待する人物像」ないし「母親にこう見られたかった姿」をあらわすらしい。
 乙女サインの象意には、召使い、巫女、下女もふくまれる。
 そう…前々回書いたように、母は、家族らは、私を下女としてあつかった。多くの女性が同じ目にあっているだろう。
 コピーロボットを起動させたのび太は、もうひとりの自分に面倒事をすべておしつける。私は母のコピーロボットだった。だから私が精神障害でダウンしたときも、その話をするときはいつも急につんぼになったのだろう、私へというより、自分自身への解釈違いだから。
 
 母からの扱いがわかっていたからそれに反抗するようにことさらに野蛮人のようにだらしなく粗野にふるまっていた部分があったのかもしれない。ずっとずっと、乙女サインから逃げていたと思う。

 しかし、私もう36歳です。もう親がああだからとか何だとか言っていたら、物笑いの種になる年だ。

 魚サインが境界線の破壊や融解をつかさどるなら、対向サインの乙女サインは、物事にきっちりと線引きし、鍵をかける。物事を解剖して、臓器をひとつひとつ取り出して観察し、名前をつけ、けしていっしょくたにしない。精巧さ、精密さをよしとする。だから、印象派画家の大家たちに、乙女座はひとりとして存在しない。
 まず人間関係からはじめた。他人に同情することをやめ、他人のために涙を流さないようにした。あなたのためを思って…といった行動は、だいたいにおいて、自分のためであり、利己的である。人にやたらとものをあげるのもやめた。当然喜ぶだろう、という見通しのなかに、自他の融解がひそんでいる。知り合いがつらそうに、悲しそうにしているとき、スルーするのは今までならずいぶん心が痛んだ。自分が人非人になってしまうような気がした。しかし、その人がどうしようとも、どうなろうとも、全部私のせいではない。
 合わない人とむりに付き合うのもやめた。自分の心が狭いから、合わないのだろうかと思って自分を責めており、寛容にならないと! と思っていた。しかし、際限のない寛容さは、ただ人に甘いだけの人だ。ひいては、人のいやな部分と対峙するのを避けている、自分に甘い人物だろう。
 この、人に甘い(イコール自分に甘い)ことには、人生を通して、ずいぶん苦しめられた。自分を殴りつけた相手にすら同情してしまうような甘さがあった。はっきり言わざるをえないことを言わないから、なんとなく押しに弱そうな雰囲気が出ていて、それでなめられるし、つけこまれる。何度も何度も、やさしさ(でなく、甘さ)につけこまれた。私が本当に必要な徳は寛容さではなく、厳格さだった。ふたつのバランスが肝要だったのだ。私がやさしさだと思っていたのは、人と向き合うことへの怠慢であり、だらしなさだった。
 私は、外界と自分のさかいめも持たないどろどろに溶けたスライムだった。

 友達や、知り合いたちに、心理的に一線をひく。このことで、ひんぱんに連絡をとりあうような仲のいい友達は格段に減った。しかし、とってもすがすがしい。人にかこまれていたころの私はずっとすべてが不安でひとりぼっちのような気分だったけど、今は逆につながっている気がする。自分自身とだろう。自分自身とつながっていれば、孤独感は生まれないのではないか。

 部屋のそうじを定期的にするのはもちろん、整理整頓も心がけている。狭い部屋なので本当に大変なことだが…。片付けの基本、よく使うものは手前にしまって、そうでないものは奥にしまうということさえ、実践しはじめたのはごく最近だ。

 安い古着をなんでもかんでも買って着こなしてしまう自分が好きだったが、いまは買うものを最小限におさえている。今後10年20年着られるかを考えて。(これは太陽がプログレスで牡牛に入ったことも影響があるだろう)
 そのぶん今までおっくうだった服の手入れは頑張っている。ホームクリーニングとか、毛玉取りもやって、あと、スチームアイロンも買った。母は服をたくさん買うので、クリーニングに出したこともないと思う。
 でも、脱いだものをハンガーにかけたりたたんでしまったりって本当に大変なことだ。精神疾患でダウンしてた頃よりはぜんぜん出来るようになって助かった。
 
 大きなバッグが好きだった。なんでもかんでも、「必要になるかもしれないし」と、バンドエイドやら薬やら放り込んでいつも持ち歩いていた。思いきって小さいバッグを買ったら、案外それらはなくても大丈夫だった。本や日記帳などを持たなくてはいけないときも、バッグインバッグを使って、何がどこにあるか一目でわかるようにして整理した。

 この日記をつける習慣も、乙女サイン的かもしれない。日記は日々の整理整頓だ。手書きで書いて、Instagramにアップする形式のは、去年11月にはじめたから、もうすぐ1年になる。できるだけ続けていきたい。スケジュール帳も毎年最初しか使えてなかったが、思考の整理として活用したい。

 断る勇気が身についた。
 なんでもかんでも、そうなんですね、そういうのもまあありですよね、とふぬけた笑顔で頷いていたけど、思いきって、「どういう意味ですか、私はそうはおもわないのですが」と、言ってみた。
 友人に、「すみませんが、あなたの考えは、私とまったくあいません」と言ってみた。生まれ変わらないと無理だろうと思うくらいに私にとって勇気がいったことだ。そんなことを言ったら誰からも愛されず見離されて野垂れ死ぬ運命をたどるって思ってた。しかし、私は一度の人生のなかで、生まれ変わることができた。
 機能不全家族で育った子どもは、いつも親や大人の顔色をうかがってサバイブしてきたから、言いたいことを小出しにできず、不満をためては爆発し、ある日突然キレたり、失踪するように仕事をやめてしまいがちなのだと聞いて、なるほどなと思った。

 総論として、太陽サインは自己実現の方向性として人間はほっといてもそこを目指すので、180度逆の対向サインを目指すと人格のバランスが取れ、陰陽の合一に近づき、全体性実現のカギになると思う。
 なので、私の場合は魚と乙女だったけど、牡羊⇔天秤、牡牛⇔蠍、双子⇔射手、蟹⇔山羊、獅子⇔水瓶にも同じことが言える。

 とにかく、整理魔になってみたい。それがいまのところ私の夢です。
 悲しいニュースが流れてくる。でも強く、「私には関係ない」と思う。ほっとする。やっと心にカギをかけて、自分に流れ込んでくるさまざまなものから、身を守るすべを獲得したと思う。毎日が本当にたのしい。私は私だけの敬虔な召使いであり、誰にも仕えていない。
 でも乙女サイン的なことをきわめたら、今度はもう一回魚サイン的なことに戻ってくるのだろう。乙女は客観で魚は主観であるが、その二つは、本当には同じものだ。その二つの結婚式の日が楽しみでならない。

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