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古代日本は女系首長軍団の存在も大きかった⑤(熱田神宮の真敷刀俾(マシキトベ)のみこと)

今回もクリエイターさんたちがシェアしてくれている画像@noteをトップに使わせていただいております!ありがとうございます♡

すごく久しぶりにこのシリーズの続きです!(久しぶりすぎやろw)過去の①~④はコチラ↓↓↓

久しぶりの熱田神宮と気づき

先日久しぶりに熱田さんへ行きました。(といっても1月くらいに行っていたのですがw。その時は子連れだったので、最小限の場所にしか行かず)

今回、熱田さんに興味がある!って方と一緒に行き、たくさんの気づきがありました✨

熱田神宮の境内にあるたくさんのお社にお祀りされている中でも、結構古い時代の神さまの一柱は「日割御子神社」の「天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)」のお社かと思います。

境内案内の43番の場所です。(なかなか気づかれないような場所にあるw)

天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)は、アマテラスさんの子とされている神さまであり(by ウィキペディア)、尾張氏の祖とされる天火明命(あまのほあかりのみこと)の父とされています(by 熱田神宮境内案内より)。

私の記憶をたどる限りでは、尾張氏は元々は奈良の葛城地方にいた氏族で、とあるタイミングで愛知県あたりにやってきたとされています。

つまり、尾張氏=天孫系(おそらく渡来人の子孫)、一方、真敷刀俾(マシキトベ)さんは、おそらく元々地元の人だと思います。

真敷刀俾(マシキトベ)さんが祀られる下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)を参拝して

①の記事に書きましたが、下知我麻神社のみ、熱田神宮内で離れた場所にあり、また、いったん敷地内から出ないとたどり着けないというちょっと不思議な立地なのです。

なぜそんな風になっているのか気になっていたのですが、1月ころに初めて下知我麻神社に行ってみて(子連れ参拝だったのでササっとの参拝でしたが)何となくわかった気がしました。

旅行安全の神さま

となっていたのです。そして、目の前がとても大きな通り。歴史的に東海道に面していたこともあるそうです。

もっと昔は熱田は海に面していたので、おそらくですが、真敷刀俾(マシキトベ)さんは「トベ(一族の長)」として、海に出る人たちの安全を祈願するような巫女的な役割もしていたのでは?と思いいたりました。

海に面した場所のトベ、と仮定すると、おそらくその一族は「海人族」だった可能性が高いです。そうすると、星宮社(④参照)で星の神さまが祀られているのも分かります。(なぜなら、生活が海と密着している人たちには、方向を知る手段として星が重要だから)。

やはり、尾張氏は葛城から来た天孫系、真敷刀俾(マシキトベ)さんらは縄文から続く、地元のクニの人だったのだと思います。

おそらく女系は残らず

真敷刀俾(マシキトベ)さんと娘の宮簀媛命(ミヤスヒメのミコト)で、おそらく女系の血は止まってしまったと考えられます。(見つけたいくつかの説をみてもそんな感じ)。

今回の下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)参拝

前回は子連れだったのですが、今回は熱田さんに興味がある方と行きました。そしたら不思議なことが起こって・・・w

参拝して鳥居を出ようとしたところで、私がイヤリングを落としたことに気がついたのです。探してもなかなか見つからず・・・(結局、持参していた紙袋に入っておりましたw)

その探している間、一緒に参拝していたお仲間さんが

もしかしてもうちょっとココに居て欲しいのかな~

なんて言いながら探していて、なんだか私もそんな気がする、と思いながら、持参していた本を数行読んでみたり、

持参していた本↓↓↓

お仲間さんたちの会話からの古代ネタをはなしたりして・・・そうしたら、お仲間さんのお一人が

「やっと私の知っている人が来た~。ゆっくりしていって」

って思ってそう!

と、言ったので、

本当にそんな気がする!

と、思ってホッコリしたのでした✨

ぜひ、熱田さんに行かれるときは、縄文から続いているであろう巫女的な血筋と思われる真敷刀俾(マシキトベ)さんに思いを馳せながら、下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)もお参りくださいませ♪♪

縄文時代の女神たちはなんだか暖かい

①~④のどこかに、「ニシキトベの復活」をポチったから、そのうち書く」ようなことを書いていたような気がするのですが・・・

この著者の佐藤シューちひろさんも、「トベ達の悲歌」の著者の津名さんと同様、とっても感性豊かで細やかで、とても感動しました。

この「ニシキトベの復活」を読んだら、真敷刀俾(マシキトベ)さんの血筋にある背景の世界のようなものをうっすら感じることができると思っています。

縄文は普通に自然と繋がっていた。自然と、時に天体の動きのエネルギーも感じながら、エネルギーワークのようなものが当たり前だったようです。(縄文時代はストーンサークルなどもありましたし)

自然と繋がって生きていると、自然にも天体にも人生にもリズムや変化があること。支配や管理をしすぎないことが大切なことなどが、体感としてあると思います。

なので、縄文の女神たちは、おそらく、渡来人が来るのを拒んではいなかったし、大らかに受け入れていた。それが心地よくて、土着の人たちと同化していったり、溶け込んだ人たちがいた。

一方で、旧勢力を封じ込めようとした一部の渡来人もいた。でもそれも、「全ては大きな流れの一部だから」ってどこかで思っていたのが、縄文の文化だったのかな、、と思います。

大いなる(自然や時代や世界)の流れに身を任せていた部分が、どこかにある。

その根底は、今日の日本人にもちゃんと受け継がれているように思います。

そんなこんなに思いを馳せていたら、、あれ?って気づいたことがありました。次の記事へ続きます。

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相変わらず素敵な大楠さん(空海さんお手植え伝説アリ)

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真敷刀俾(マシキトベ)のみことがお祀りされる「下知我麻神社」

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ご近所のひつまぶし(≧▽≦)

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お吸い物の「蓬」が可愛くて撮影w

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真敷刀俾(マシキトベ)のミコトの旦那さま、おとよのみことがお祀りされる「上知我麻神社」

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苔が可愛くて撮影w(癒される~✨)

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初めて行った(というか、今まで存在に気付かなかった!)
喜与女茶寮(きよめさりょう)さん。

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熱田神宮内でも販売されてた(今もどこかでされてるのかな?以前のお土産売ってた建物辺りは工事中で。)「きよめ餅」のお店です。

↓↓熱田神宮から名鉄神宮前駅に向かうと駅の左の方にあります。(今までまーーーったく気づかなかった!なんて昭和な建物なんだ!!(写真右)笑。気づいてくれた参拝お仲間さま、ありがとう(≧▽≦))

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左手の商店街っぽいのも全然知らなかったよ~~!!(車や歩行者さんが移っているので大きさを縮小しました)

⑥はコチラ↓


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