本当だったら舞台の初日だった日
もう1週間以上前の話になるが、4月25日はわたしが出演する舞台の初日となるはずだった。
皆さんの予想する通り、公演はコロナウィルスの感染拡大防止のため、中止となった。
中止が決まったとき、わたしはまだ稽古に参加していなくて、顔合わせすらせずになくなってしまった。台本と役だけいただいている状態だった。
台本を読んで役を考えたり、セリフを覚えるという、稽古場に入る前の作業はしていたけれど、言ってしまえば本格的には始まっていなかった。
だから多分、ずっと前から準備していた方と比べてショックが少なかったんだと思う。
2月半ばあたりから周りの人に「舞台観に来てください」と、いわゆる宣伝活動をしていた。2月や3月頭なんかは「GWだったら大丈夫だろう」と言われていたし、わたしもそういう認識だった。公演中止になる可能性は万に一つだろうと。
だが、もう3月半ばもすぎると、中止する可能性が濃厚になっていた。感染者数は徐々に増えていっているし、「クラスター」という言葉もあらわれた。
ここまでくると、わたしもほぼ諦めの気持ちだった。それに舞台をやりたいという気持ちよりも、感染は防がなければならないという気持ちの方が大きくなっていった。
劇団の主宰から中止連絡がきたのは、バイトの休憩中だった。
こればっかりはしょうがない、という気持ちが強かった。楽しみにしてくれていた人のことを思うと悔しい気持ちもあった。
せっかく4月の大部分が暇になったのだし、バイトでめちゃくちゃ稼ぐかーと考えていたが、休業要請によりすぐさまニート生活に突入した。
ニート生活中は通信講座で心理カウンセラーの勉強をしていたり、バジル育てたりしていたのでそれなりに充実していた。
もともと稽古の予定が入っていた日を無駄にはしない。生産性のある日々を送る、という意識があったのでポッカリ穴が空いた、というような感覚でもなかった。
本当だったら舞台の初日だった日、4月25日。
わたしはnoteの登録をしていた。初投稿は26日だが、初投稿の記事を書いていた。バジルを育てていた。心理カウンセラーのテキストで勉強していた。起きたのは7時30分だった。二度寝したかもしれない。前日の晩は中学の同級生とオンライン飲みをしていた。やることはたくさんあった。
本当だったら、舞台の初日だった。
1年ぶりくらいの舞台だった。しばらく舞台から離れていて、もう一度舞台ときちんと向き合いたいと思っていた。その一歩になるはずの舞台だった。完成された台本と、わたしに当てられた役が大好きだった。沢山のひとに観てもらいたかった。わたしよりずっと実力のある役者さんと共演できるはずだった。その人が出演する舞台をこっそり観に行った。ものすごく素敵なお芝居をされる方だった。その人の相手役ができるなんて、とてもとても嬉しかった。本当は、わたしが誰より楽しみにしていた。
もし、この状況でなかったら、舞台が予定通りに上演されていたなら、わたしはどうなっていたんだろう?
何を思っていた? どんな顔をしていた? 世界はどうみえていた?
そういうことをひとたび考えて出してしまったら、口惜しさがポロポロ溢れてしまう。
ここで腐ってたまるかと思うけれど、いまの期間で成長するんだと思うけれど、この「本当だったら」という事実は思っていたよりも大きかった。
明日5月5日はもともと千秋楽のはずだった。
わたしは今、1Kの部屋でじっと過ごしている。
人為的に起きたものではないから、誰かを責めるなんて気は全く起きない。
今、演劇界も様々な形で取り組みをしている。過去の作品を公開したり、オンラインでリモート演劇をやってみたり。
今の状況を乗り越えるために、エンタメを提供したいということでもあるし、もしくはこれから変わるだろうエンタメ業界へ適応していくための実験でもあると思う。
どれも面白いし、こういうやり方があったのか!と思う。もしかしたら将来は「昔は生でお芝居が観れたのよ〜」なんて子供に話しるかもしれない。劇場へ行って、舞台上の俳優と観客が同じ空間でお芝居をみるというのは、今よりももっと高価な娯楽となっているかもしれない。
それでも、思う。希望を込めて思う。演劇はなくならない。
リアルで提供できるコンサートや演劇はなくならない。やっぱり生の方がいい。
他の人たちはどう思ってるんだろうか。時代は流れても、リアルのライブ感はやはり特別なものだと思う。演劇の歴史の長さを見ても、今までなくならなかったのは、やはりそういう理由なはずだ。
だから、絶対に生き延びて、演劇がやりたい。コロナの後も、みんな元気になったら、演劇がやりたいなあ。また舞台に立ちたいなあ。
気がつけばGWももう終わる。わたしのニート生活はまだ終わらない(と思う)けど。
今は、じっと力を蓄える。
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