開幕に先立って 2019.8.25
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開幕に先立って 2019.8.25

2002年、ワールドカップがやってきました。

日本中、未曾有の狂熱に侵されました。あらゆる飲食店が大きなテレビやプロジェクタを導入して試合を放送しました。街中では、会期中はプロ野球を中断すべきだとか、日本が決勝に進出したら翌日は祝日になるのかとか、大人も子供も誰もが真剣に議論して、有識者たちは、英国にフーリガンという危険なファンがいるからスタジアムの外に隔離する必要があると力説しました。
まだネットが普及しておらず、色んなものが手探り、手作りの懐かしく、かわいらしい時代だったのだと思います。

その頃、ぼくはサッカーとは全く無縁の生活をしていました。平日は音楽関係の会社で働き、給料を惜しみなくレコードや楽器に注ぎ込み、週末にはクラブでDJをして、恋の火種を燻らせるという、なんともデカダンな日常を繰り返していたのです。そんなぼくでも、日本を席巻した抗い難いワールドカップの波にすっかり飲み込まれてしまいました。

「試合を見に行こう」と友達に誘われて、たどり着いたのは国分寺の蕎麦屋。暖簾をくぐり、調理白衣のおじさんにチケット代2500円を徴収されて、地下に続く階段を下りると、そこは打放しコンクリートの倉庫を改装したと思しきパブリックヴューイングでした。キャパシティオーバーの、暑く息苦しいすし詰めでの苛酷な環境で、ぼくは生まれてはじめてサッカーを観戦したのです。そしてそこで、一人の選手に出会いました。


その名はフランチェスコ・トッティ!


ユニフォーム上からでも判る鋼の体、70年代のロックスターのようなブロンドの長髪、そしてなんといっても、不吉な予感を察知した悲壮な顔つき。一瞬で恋に落ちてしまいました。ぼくはオフサイドやゴールデンゴール方式よりも先にトッティを知ったのです。

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あれから17年。

ASローマ速報をはじめて15年経ちました。

今ではトッティはローマを去り、当時まだ20歳そこらのデ・ロッシも既に35歳。その彼は今年2019年の5月26日、セリエA最終節のパルマ戦を最後にローマを退団しました。

テレビ越しの退団セレモニーはどこか異世界の出来事のようでした。その試合の1週間前くらいから、デ・ロッシの事を考えては泣く日々だったので、当日は少し落ち着いていたのかもしれません。それにどこか「そろそろ会社行く準備しなきゃな」って気持ちだったのでしょう。

そんなとき、突然ぼくのスマホの着信音が鳴りました。

電話の相手は、スタディオ・オリンピコにいる岩本義弘さんでした。彼は無言のまま、ぼくにテレビ電話でスタジアムの光景を見せてくれました。むちゃくちゃ死ぬほど美しかったです。

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電話が突然切れると、ぼくの意識は再び東京の自宅に連れ戻されました。テレビではまだセレモニーの光景が続いていました。

その瞬間、堰を切ったように涙が溢れて、ぼくは大人気なく声を上げて泣いてしまったのです。自分が本当に大きなものを失ったのだとようやく気がつきました。去り行くデ・ロッシは、ゴール裏に手を振り、ひざをついて陸上トラックにキスをしました。彼は終始笑顔で、それは未来を切り開く覚悟を決めた男の決意のように見えました。


その日、ぼくは会社に辞表を出しました。


ぼくは大学を卒業して、同じ会社に20年以上勤務してきました。そこそこ発言力も持ち、部下もできて、好きな仕事を何不自由なくやってきました。ぼくにとって、社会とはすなわちこの会社であり、その立ち居地は、サッカー=ローマだったデ・ロッシと似ていると思いました。そのデ・ロッシが新しい冒険を選び、じゃあ俺はなにをするんだ?退団セレモニーが与えてくれた感情を何に変えればいいんだ? そう自問して――いや、それは後付ですね、ほとんど勢いだけで何も考えずに会社を辞めたのです。ぼくは45歳になっていました。

45歳からの転職活動。

転職の知識など全く無く、業界は不況で、最初はとても不安で、よっぽどローマ速報で「誰か雇ってください」と書こうかとも思いましたが、元々何かを調べたり研究するのが好きなので、いつの間にか転職活動はひとつの挑戦として楽しく取り組むことができました。
ミドルシニアの転職にはそれなりのコツやアプローチがあるのも判りました。その結果、ご縁のできた幾つかの企業から声を掛けていただけました。この時期、関わったみなさんには本当に感謝しています。

ですがぼくは・・・

ASローマで生きていく決心をしたのです。


ぼくは建築家じゃないから100年残る建物を作る事はできません。研究者じゃないから病気の人を救う薬や、災害に役立つテクノロジーを考えることもできません。地に足をしっかりつけて、地道に働き、週末にサッカーを観て、明日への活力を得る、それを続けることが自分の人生だと信じていました。しかし、2019年5月26日を境に、ぼくのその考えは完全に吹き飛ばされました。

ローマの為に全てを捧げ、死んでもいいとは思っていません。ですが、もっともっとローマと一緒に生きてみたいと思いました。デ・ロッシはサッカーを続けるためにはローマを去るしかなかった。でも、ぼくは生活を変えればもっとローマの側にいる方法が見つかるのではないか、漠然とですが、そんな風に考えたのです。

負けたらどうしよう
そんな気持ちでピッチに立つ選手がいるでしょうか?

失敗するかもしれない
そんな気持ちの選手が果たしてPKを蹴れるのでしょうか?

恐れなどありません。幸運にもぼくには一緒に戦ってくれる仲間たちがいます。その中には、これを読んでいるロマニスタのあなたも含まれています。だからぼくは1人じゃないんです。

ぼくの望みは、より多くの人がローマをもっともっと身近に感じられるようにすること。ぼくたちとローマがより強く結びつく方法を探すことです。ではそのために、これから何を目差すのか?具体的にどのような活動していくのか?

今夜、ローマの新シーズンが開幕します。

同じくして、ぼくのロマニスタとしての新しい人生も始まります。

Forza ROMA!  きみに夢中だ。


如月 / office BANDIERA

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執筆者:如月 『ASローマ速報~ROMANISMO』編集責任者/office BANDIERA [公式サイト] http://asromasokuhou.com/ [公式ツイッター] https://mobile.twitter.com/roma_sokuhou