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悔いなく生きるなんてムリだ


月曜日、一緒にお昼を食べ、火曜日は帰りにオフィスに立ち寄ってくれたので、お互い笑顔でお疲れさまでしたと挨拶を交わしたひとが、水曜日に亡くなった。
今日は木曜日。

と書いていたのは昨夜のこと。
いろいろな思いがめぐり、そのあとを書くことができなかった。
ほとんどまいにち電話やメールで連絡を取り合うひとだったので、あまりの急な出来事に言葉も出ず、きょうは黙々と仕事をしながら考えた。

あのひとの頭の中にあったさまざまなアイデアや、こころで感じたこと、しまっておいた気持ちはいったいどうなるんだろう。
消えちゃう? 消えてどこへ行ってしまうのか。
いつも一緒に笑っていた人が、今はいない不思議。どう願ってもその笑顔を見ることは二度と叶わないという謎。
ご家族の悲しみや喪失感に比すれば、こんなふうにポツポツと綴れるだけ、擦り傷程度なのだろうけれど。滲みる。

そのときが来たらわたしは、今生はもう終わったのだ、次へ行かねばならないとスッキリした気持ちで旅立てるだろうか。
どんなときでもそうあるように生きていくのが理想だけれど、いまのいま、日々納得してスッキリして終われていることなんかないのに。
やりかけの、ほんの少し休憩に出ているかのような、開いたノートがそのままのデスク。
きっとこれから何人ものひとと話して、出来上がっていくはずだったものがすっと宙に浮いて、まるで無重力空間をくるくる廻っているようだ。まだぬくもりはそこに感じられるのに。
彼の永遠の不在を表す白い花が活けられ、デスクに置かれた。
そのみずみずしさが苦しい。



これが人生か。

彼自身もきっとこの状態に驚いて、こんな風に思っているだろう。



誰かを愛したら、なにかに思いをかけていたら、どれだけ準備をしたとしても、別れることに悔いが残らないわけがない。
もっと優しくしていればよかった、あと一言声かければよかった、もう少し工夫すればよかった。
もう一度話をして、ただ一緒に笑いたかった。

凡人のわたしは、きっとこんな風に尽きることのない悔いに涙を流しながら、オロオロしながら歩いていくしかないと思う。


だから、ふんばるんでしょう。


いつものようにニコニコしながらそう言ってくれた声が聞こえた気がした。
寂しいです。

 









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