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#7 苗と夏 <育苗編>

こんにちは。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

僕は現在、左薬指が謎の筋肉痛に見舞われ、Sキーを打つたびにびくっともだえる不便な身体で日曜日の休日を過ごしています。

さて、前回のあらすじです。

<前回のあらすじ>
システムエンジニアという職を辞め、東京を去った僕は埼玉県へと移り住みました。本格的にいちごを学ぶ日々のスタートです。

今回の記事では「いちご農家の夏」について書いていこうと思います。

新天地

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夏が始まりました。

「今日から陽地郎くんが週五で研修に参加することになります」

研修先の朝礼で師匠が皆にこう伝えた時、一層気が引き締まる思いがしたのは当然の反応と言えましょう。

研修生の仲間や社員の方々とは、既に見知った関係でしたが、彼らの面持ちにも幾ばくかの新鮮味が帯びているように見えました。

苗半作

いちご農家の夏は苗に始まり、苗に終わると言っても過言ではありません。

一部品種を除きますが、いちごという植物は種を植えて育てるわけではないのです。

親株から伸びたランナーの先に付いている子苗を専用のビニールハウスで成長させた後、本圃へと定植します。

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出典:(基本編)育苗の流れ:高橋種苗店 様


育苗には主に、親株と子苗をランナーで繋いだまま生育させる方法と最初から切り離して生育させる二種類の方法があります。

僕の研修先ではどちらの方法も実践していました。

いずれにせよ、過酷な暑さは人間だけではなく、苗にとっても毒であり、密閉されたビニールハウスであればなおさらです。

育苗期間中は水やりや換気をまめに行い、苗の様子を頻繁に確かめながら苗に寄り添わなくてはなりません。

もし苗が全滅してしまえばその年いちごが作れなくなるといえば、重要性が分かって頂けるでしょうか。

兄弟子

研修先の農園では育苗の拠点をいくつか持っていたので、研修生は各地に散らばり、苗の管理にあたりました。

が、大事な育苗を研修生のみに任せるわけにはいきません。

総合管理者は師匠が務め、現場の統率は社員の方や研修生の中でもベテランのメンバーが担ってくださいました。

僕にもメンター的な立ち位置で一人の青年が苗づくりのイロハを手取り足取り教えてくださいました。

元銀行員の彼は僕より二つ年下で、北海道からいちごを学びに来ておりました。

「いちごの苗は超デリケートだから、彼女だと思って接しないとダメだよ」

苗は何万とありますから「一体何股の悪行なんだ」と突っ込みたくもなりますが、こんな冗談を言って笑わせてくれたことも覚えています。

彼だけでなく、農園で働く仲間は皆、明るくさっぱりとした性格の人たちで、僕は彼らと一緒に毎日苗場で汗を流しました。

ファーマーズハイ

正直に申しますと、夏の農作業はキツかったと断言します。

40℃近くあるビニールハウスの中で、ひたすら苗の葉かきを行ったり、重たい培土を持って行ったり来たりしたり、長袖長ズボンのカッパを着て、農薬を散布したり。

バケツの水を被ったように汗に濡れてはスポーツドリンクをがぶ飲みする。夏はそれの繰り返しでした。

けれど、辛いだけで終わらなかったのは作業の中に潤いがあったからにほかなりません。

単純作業といっても、苗一つ一つにはそれぞれ異なる表情があります。控え目で小柄な苗もあれば、ハルク・ホーガンのように旺盛な苗もございます。

僕の場合、その一つ一つと向き合うことは、胸がきゅっとするような瑞々しい感覚をもたらしてくれました。

今はまだ青々しい苗たちを見ていると、来たる冬、赤い実を輝かせる姿が心の底から楽しみに感じました。

ですからそんな苗のためと思えば、キツい作業にもおのずと気合を入れることができたのだと思います。

兄弟子は苗をガールフレンドに例えましたが、あながち間違っていないのかもしれません。

そして、ハルク・ホーガンと対峙することが並大抵の難しさではないということも確かです。

まだ慣れない帰り道

とはいえ、研修が終わり、帰路に着く頃にはその場で寝てしまいと思えるほどクタクタになるのが常でした。

疲れ切った身体を引きずって車に乗り込みます。

田園地帯を抜け、コンビニや地元のスーパーが並ぶ通りを進んでいき、道を逸れ、小さな焼き鳥屋さんの側を通るときには香ばしい匂いが車内に広がったりもします。

この店はぼんじりがオススメのメニューのようです。いつか食べてみたいと思っているのですが、まだ実現できていません。

焼き鳥屋さんを過ぎたちょっと先を左に曲がるとマンションが見えてきます。

家に着くと、すぐにシャワーを浴びてベッドの上に寝転がります。
時折、ビールなんかを飲むこともあります。

6畳1Kは今までの人生で1番家賃が安い部屋です。

師匠のご厚意で少しはお給金を頂いているのですが、基本的には貯金を切り崩して生活しています。

始めは床が気に入らなかったのですが、住めば都とはよくいったもので、この場所にも段々愛着が湧いてきました。

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ベランダに出ると、存外悪くない夕焼け空が見えます。

そして蝉しぐれの声と共に、踏切の音が聞こえてきます。

ひとまず三月まで、ここで僕はいちごを学ぶつもりです。

コツコツ進んで行けば、夢を叶うと信じて……

――ただ現実はそんな簡単なものではありませんでした。

現実は予想の先をいく

いちごについて学べばいちご農家になれるというのは大きな間違いです。

というより、それだけでは全く足りないのです。

農家になるということはすなわち経営者になるということであり、サラリーマンでいた頃とは全く違う思考、行動をしなければなりません。

のぼらなければならない階段は複数あり、しかもそれらを同時並行的にのぼらなければならないのです。

もちろんよいしょよいしょとゆっくりのぼっている時間はありません。

当時の僕はそのことを頭では理解しているつもりでもきちんと分かってはいませんでした。

最初にそれを実感したのは八月の終わりの頃でした。

新規就農を志す者にとって最も大きな壁が例に漏れず僕にも立ちはだかったのです。

それはどこで就農するのか。つまり「土地」の問題でした。

次回⇒「#8 和洋折衷の地 <農地探し編>」


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