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怪人の春

 朝一番の用事を終えた亮子は自宅へ向かってのんびりと歩いていた。
 海風が運んでくる磯の香りがなんとなく春を感じさせていた。もうすぐ梅がつぼみを見せ始めるだろう。
 家を出た時にはあれほど混んでいた道も、出勤ラッシュが終わるとずいぶん人通りが減って散歩気分で歩くことができる。朝食はまだなのでお腹は空いているものの、この雰囲気はゆっくり味わっておきたかった。
 国道から公園を抜けて、バス通りへの角を曲がったところで亮子はふと足を止めた。
「あら、怪人だわ」
 保育園の前に停まっている黄色いスクールバスの周囲を黒ずくめの戦闘員が取り囲み、怪しげなポーズで園児たちを脅している。
 いつもの秘密結社の戦闘員たちだった。
 戦闘員の後ろで偉そうに腕を組んでいるのが今回のリーダー役なのだろう。
 全身に魚のような鱗をまといながら、首から上はインコのような造形をした怪人だ。
「ぜんぜん可愛くないわね」亮子は呆れたように首を振る。
 みんなに受け入れられたいのなら、どうしてもっと可愛くしないのだろう。
「お前たちのおやつをぜんぶ砂に変えてしまうぞおおお」
 怪人が恐ろしげな声を出すと、園児たちは一斉に泣き声を上げた。
「ああもう。早く帰りたいのに」
 亮子は面倒くさそうに大きな溜息をついた。朝食もまだなのに、こんなタイミングで怪人を見かけるなんて。
 これまでに何度も怪人たちに捕まって、得体の知れない触手でぐるぐる巻きにされたり、ジェットコースターのようなものに乗せられたり、あるいは改造人間にされかけたことさえある亮子にしてみれば、園児を脅す怪人など日常的な出来事に過ぎなかった。
 そもそも正義の味方はこれまでに何度も代替わりをしているのに、なぜかヒロインの亮子だけはずっと変わらずにヒロインのままなのだ。正義の味方になったばかりの新人ヒーローなどよりもずっと怪人には慣れている。
 亮子はバッグからスマートフォンを取り出して、正義の味方を呼び出すためのアプリを立ち上げた。さっさと終わらせたいのだ。
「ホント便利になったわよね」と亮子は思う。
 以前は大声で叫んだり、特別な笛を吹いたり、照明で空にヒーローのマークを映し出したりと、あれこれ手のかかることをやった上で、正義の味方が現れるのを今か今かと待っていなければならなかったけれども、今ではどの正義の味方がどこにいるのかまで、専用のアプリで簡単にわかるのだ。
 地図上にいくつかの丸いポイントが点滅し始めた。どうやら一番近い正義の味方は商店街のすぐ向こう側にいるようだ。ここは確かチェーンのカレー屋がある場所だ。
「うわあ、この人かあ」思わず声が出た。
 黄色と呼ばれるこの正義の味方は、数いる正義の味方の中でもかなり動きの鈍いほうで、亮子としてはあまり好きになれないでいる。いつもカレーばかり食べているのもどうかと思うし、よくわからないダジャレを得意げなクイズにして出してくるも鬱陶しかった。
 なんでも以前、別の街で五人組の正義の味方をやっていたところ、一人だけ食費がかかり過ぎるという理由で解雇になり、この町へ流れてきたという噂を耳にしたことがあった。
 とはいえ、一番近くにいるのだからしかたがない。とにかく黄色を呼び出すことにする。
「さっさと来てよ」
 点滅しているポイントをタップして、メニューから「正義の味方を呼び出す」を選ぶ。しばらく画面の一部がクルクルと回転していたが、やがてポップアップメニューが現れた。
〝呼び出しを受けつけました。正義の味方が到着するまで数分お待ちください〟
「とりあえず、これでよしと」
 亮子はそのままバス通りを怪人たちのいるほうへ歩き出した。正義の味方がカッコよく登場するためには、誰かが怪人に脅されていなければならないのだ。
「こういうやりとりがいちいち面倒なんだよね」
 亮子のほかにも何人かこういう立場の人間がいる筈なのだが、ここのところやたらと亮子に集中しているような気がしていた。

 怪人は、下っ端の黒ずくめを引き連れて、スクールバスの周りをグルグルと回っていた。
「ほうら、お前たちのおやつは、ぜんぶ砂になってしまったあああ」
「うあーん」園児たちが泣きじゃくる。 
「わっはっはっはっは」怪人はエコーのかかったいわゆる怪人的な笑い声を上げた。
 亮子が保育所のすぐそばまで来ても怪人はまるで気づかないまま、体を揺らして園児たちを脅している。
「ちょっと」
 亮子は声をかけた。
「ん? なんだ? 誰だお前は?」怪人はキョトンとした顔つきになった。もともと顔はインコなので常にキョトンとしているのだが、よりいっそうキョトンとしたのだ。
「なんで私がこんなに近づくまでぜんぜん気づかないの? 何やってるの? そんなんじゃ私にだってやられちゃうでしょ」
「あ、いや、すみません」怪人がぺこりと謝ると、黒ずくめたちも揃って頭を下げた。
「で、どうするの?」
「えーっと、もしお差し支えなければ、あの角のところから」
 そう言って怪人は鉤爪のついた手を伸ばし、小さな交差点を指差した。
「もう一回曲がって来ていただけませんか?」
 亮子は黙ったまま軽く肩をすくめたあと、今来た道を逆に戻って公園からバス通への角を曲がり直した。
「あら、怪人だわ」面倒くさそうに棒読みで言う。
「おい、そこの女あああ」
 亮子を見つけた怪人がキュッと首を回して叫び声を上げた。
「お前を砂に変えてやろうかああ」
 キキーッと妙な声を出しながら黒ずくめの戦闘員たちが亮子の周りに駆け寄ってくる。黒ずくめたちは、やがて亮子を輪になって取り囲み、そのままグルグルと回転を始めた。
 だんだんと回転速度が上がっていくので、やがて亮子は目が回ってしまった。
 ふらりと足がもつれてその場に倒れそうになる。
「ぐははははは。人間など弱い弱い。世界は我々が征服するのだあああああ」
 怪人が得意げに叫ぶ。
「ちょっと待って」
 亮子は怪人に向かって片手を上げると、黒ずくめの輪から抜け出して保育園の入り口にある保護者用のベンチに腰を下ろした。スマートフォンを確認する。
〝呼び出しを受けつけました。正義の味方が到着するまで数分お待ちください〟
 画面の表示はさきほどと変わらない。それどころか正義の味方の位置も、さっきと同じ場所のまま動いていないように見えた。
「お待ちしています」と、メッセージを入力してスマートフォンをバッグにしまった。
「うーん」
 亮子は両腕を高く上げて伸びをした。まだまだ空気は冷たいが柔らかな朝の陽射しは心地がいい。
 ふいに保育園で飼われているらしいレッサーパンダが、門の隙間を潜り抜けて亮子の足元へすり寄って来た。全身まんべんなく縞模様なのに、尻尾だけは真っ黒だ。
「あら、いい子ね」
 亮子がそっと首筋を撫でてやると、レッサーパンダは猫のように喉の奥でグルグルと音を立てながら、耳の付け根あたりを亮子の手に強く擦り付けた。
「おい、そこのレッサーパンダぁぁあああああああ」
 それまで亮子がレッサーパンダを撫でる様子をぼんやり見つめていた怪人は、何を思ったのかいきなり声を荒らげた。驚いたレッサーパンダはベンチの背を伝って保育園のブロック塀へ飛び乗り、塀の上でフーッと息を吐きだす。
「やめなさい。かわいそうでしょ。待ち時間が暇だからってこの子を脅してどうするのよ。少しくらい我慢ができないの?」
 亮子が一喝すると怪人はつまらなそうに黙り込んだ。黒ずくめの戦闘員たちも疲れたようで、それぞれが地面にのっそりと腰を下ろす。
 塀の上で全身の毛を逆立てていたレッサーパンダはぴょんと塀の向こう側へ飛び降り、どこかへ去って行った。
 バスの中にいる園児たちはほとんどがとっくに泣き疲れて眠り始めている。
「正義の味方はまだかああああ」怪人が叫んだ。
「うるさいわね、すぐに来ないことくらい知ってるでしょ」
 なぜか正義の味方は、みんながこれ以上は待てないというギリギリのタイミングまでやって来ない。それが正義の味方なのだ。
 やがて、どこからともなくパラパラという軽いエンジン音が聞こえてくると、すぐに一台のスクーターが角を曲がって現れた。
「ここか? 俺を呼んだのは」
 やって来た正義の味方はやはり黄色だった。だるそうに保育園の前でスクーターを止めて、のっそりと周囲を見回す。
「貴様あああ、いったい何をしていたんだあああああ」
 怪人は口から赤紫色の煙をぼわっと吐きつけた。
「うるせえな。わざわざ来てやったんだぞ。礼くらい言えよ」
 そう言った正義の味方からは、カレーの香りがプンプンと漂っている。
「カレー食べたの?」
 亮子が聞くと黄色が地面に唾を吐き捨てた。
「出動を受けたのと同時にカレーがきたんだよ。味見もしないで店を出たら失礼だろう?」
「で、味見だけで出てきたの?」
「はあ? そりゃぜんぶ喰うに決まってるだろ」
 黄色い正義の味方はバカにしたように鼻で笑った。
「結局、食べてるんじゃないの!」
「ぬおおお、貴様、完食したのかぁあああ?」
 亮子と怪人が同時に叫ぶ。
「そんなことよりよぉ」
 正義の味方はスクーターのスタンドを立ててその場に車体を固定すると、ゆっくりと怪人に近づいた。
「お前、銭、持ってるか?」ギリギリまで近づいてからそう聞いた。
「え、あ、うん?」
 怪人は首を縦に振った。周りの戦闘員たちはぼんやりと二人のやりとりを眺めている。
「じゃあ、財布出せよ」
 正義の味方は怪人の肩に片腕を回し、もう片方の手を胸の前でヒラヒラとさせた。
「えっと、その」怪人が戸惑った口調になる。
「おい、なに見てんだよ、お前」
 ふいに正義の味方は亮子に顔を向けた。
「黃色さん? あなた何やってるの?」
「ほら、どうせ俺にやられるんだからさ、だったら少しでもダメージを少なくしてやるのが優しさだろうって思ってね」
「だからってお金を取るの?」
「そりゃそうだろ。ただで手加減できるわけねぇだろうが。こっちにも都合があるんだよ」
 そう言って正義の味方は怪人を両手でどんと突き飛ばし、空になった財布を茂みに投げ込んだ。
 亮子は顔を真っ赤にして大きな声を出す。
「いいかげんにしなさいよ。あなたのやっていることは正義なんかじゃないわ」
 亮子の声は震えていた。
「いやいやいや、俺たちのやっていることが正義なんだよ。あんた世の中のことをわかってねぇだろ?」
 そう言うと黃色は鼻で笑った。亮子は目をキッと細くして黃色を睨みつける。
「俺たちのような正義の味方が、こいつは悪だぞって言えばそれが悪になるんだよ」
「そんなのおかしいでしょ」
「おかしくはないさ、いいか。俺たち正義の味方ってのは、悪がいなければ成立しないんだよ。何も問題のない平和な社会には俺たちのいる理由なんてないだろ?」
「いいことじゃないか。何も問題のない社会。理想じゃないか」
 ヨロヨロと立ち上がった怪人が言う。
「それじゃ、困るんだよ!」黃色が怒鳴った。
「だから誰かを悪にしなきゃならねぇんだ。そんなこともわからねぇのか。悪がいなけりゃ俺たちの居場所もなくなるし、そもそもみんなだって怒りのはけ口がなくなってしまうだろうがよ」
 正義の味方は腕をまっすぐに伸ばして怪人に向けた。さらに人差し指をピンと伸ばしてその先で怪人を指す。
「つまり、そいつが悪だ」
 床に座ったまま戦闘員たちは、互いに顔を向け合った。

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