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呼ばれたときには

 上座に座った丸古まるこは、怒りに肩を震わせながら、睨みを効かせたギラつく目で集まった面々をゆっくりと見回した。
 広間ではきちんと膝を折って座った子分たちが、向かい合わせになった丸古と視線を合わさないよう、首をすくめて顔を伏せている。
 やがて丸古の目が一点に向けられた。
 射抜くようなその視線の先にいるのは、まだ子分になって間もない若い衆だった。佐原さはらの弟分で、名前はたしか俊貫としぬきと言ったはずだ。
 周りの者たちが神妙な顔つきになっているのに俊貫はどこか気が抜けた様子で、大きな欠伸までしている。
「お前ぇだな」声に怒りは含めず淡々と言った。
「え? 何がスか?」軽い声で答えた俊貫は、目を丸くして丸古を見た。
井塚いつか組の宴席に呼ばれてノコノコと出かけて行ったってのは本当か?」
「あ、あれっスか。はい。来いって言われたもんスから」
「このバカが! 一歩間違えればドンパチになるってのがわかんねぇのか」
 怒鳴りつけたのは佐原だ。
 長年に渡って丸古組と井塚組は因縁めいた抗争を続けているが。ここのところ、なんとか均衡を保っているのは、互いの縄張りには立ち入らないという暗黙の了解を守っているからだった。
「あいつらはただの破落戸ごろつきだ。俺たちのような任侠とは違う。仁義ってやつを知らねぇんだ」
 丸古は低く掠れた声を出した。
「ええっ? そうスか? でも、なんかみんな普通のオッサンたちでしたけど」
 ボゴッ。
 そう言った瞬間、俊貫の頭が激しく揺れた。佐原が殴ったのだ。
「てめぇ、なんで親父っさんに逆らうようなことを言うんだ」
「兄貴、落ち着いてください」
 片膝を立ててさらに殴ろうとする砂原の腕を、周りの者が掴んで止める。
「でも、マジでいい人たちだったんスよ」
 俊貫は、赤くなった頬を摩りながら口を尖らせた。鼻血が垂れている。
「だって、メシも酒もぜんぶ奢りだったし」
「バカが。そうやってこっちから若い者を引き抜こうって魂胆なんだよ」
 砂原は吐き捨てるように言って、再び座り直した。
「親父っさん、本当にすみません。きっちりしつけますから」
 そう言って砂原は深々と頭を下げた。
「おい、俊貫よ。互いの縄張りには入らねぇ。それが決まりだろうが。なんでそれが守れねぇんだ? お前は俺たちの顔に泥を塗る気なのか? おう?」
 それまで黙っていた代貸の渡師わたしが唸るような声を出して俊貫に顎を向けた。俊貫は何も答えず、不貞腐ふてくされたように遠くに目をやる。
「ふん、まあいいだろう」丸古は首を軽く振った。
「井塚の連中は、そんなにいいヤツらだったのか?」
「はい、すげぇいい人だったんス」
 俊貫は嬉しそうな顔になった。
「でもよ、なんでお前ぇはそんなに井塚組の肩を持ってんだ?」
 砂原が大きな溜息をついた。弟分が敵の肩を持っているとあっては、さすがに面目も丸つぶれだろう。
「いや、なんでって言われても、そんなの俺にだってわかんないっスよ」
「お前ぇ、自分でもわかんねぇくせに、あいつらの肩を持ってんのか? ああ?」
 呆れた声を出したのは、本出方の伊福いふくだ。
「だって、持てって言われたから」
「いくら言われたからってよぉ。お前ぇ、それどうする気なんだよ」
「そうなんスよねぇ」
 俊貫は手に持った肉の塊をしげしげと眺めた。
「肩なんて持たされても、困るっスよねぇ」
 片手に一つずつ持った肩は、まだほんのりと生暖かい。
「何言ってんだ。肩を持ったのはお前ぇじゃねぇかよ。だから余計なことはするなって言ってんだよ、バカたれが」
「たいていのドンパチってのはな、こういう些細なことから始まるんだ。気を抜いたらあっという間だぞ。お前ぇらもよく覚えておけ!」
 渡師が凄みを利かせると、広間にいる全員が背筋を伸ばして座り直す。
「互いの縄張りには入らねぇ。いいな?」
 渡師の目がギュッと細くなった。
「あのう、でも、また来いって言われたら」
「黙れバカ。いいから黙ってろ!」
 慌てて砂原が手を伸ばし、俊貫の言葉を遮る。
「呼ばれたら呼ばれたときだ。行ってもドンパチ、行かずともドンパチ。だから最初から関わっちゃいけねぇんだよ、わかったか」
 渡師はそう言って俊貫を睨みつけた。

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