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九回の裏

illustrated by スミタ2022 @good_god_gold

「いよいよ九回の裏です。解説の丸古さん、これまでの流れを振り返っていかがでしょうか?」
「まあ、予想通りの熱戦ですな。甲斐寺君はここまでよく頑張っていますよ」
「はい。しのぶ高校の甲斐寺選手。今日は、投げる、走る、飛ぶ、混ぜると大活躍を見せております。一方、シノブ商業高校の伊福選手はいかがでしょう?」
「ああ、いいですな。伊福君もいいです。だからもうこれは二人の一騎打ちと言ってもいいんじゃないかな」
「この回で、いよいよ二人の直接対決が見られるわけですが」
「そうですな。この対決に勝って得点を多く入れたほうが勝ちでしょう」
「なるほど。さあ、各選手が位置につきます。九回の裏、時計の針はちょうど四十分を回ったところ。甲斐寺選手が、構えます」
「ふむ。いい構えですな」
「ネットの向こうでロープを巻いているのは、シノブ商業の木寺。木寺もいい選手ですね」
「ええ、期待できるでしょう」
「九回の裏四十分、甲斐寺じっくりと構えて…………っと、一旦、ここは外しました。これはどういう戦略ですか?」
「タイミングが合わなかったんでしょうね」
「タイミングですか」
「やっぱりピタッと揃わんとね、混ぜづらいですから」
「なるほど、なるほど。さあ、甲斐寺が再び構えます。しのぶ高校を地方予選からここまで引っ張ってきた立役者の甲斐寺、大きく構えて、混ぜましたッ!」
「いいですな、いい混ざり方ですよ」
「混ざったところに、木寺がロープを垂らすッ! ああっと、これは……青か、青か!? いや、緑だ、緑、緑でした」
「ああ、惜しかった」
「あわや青かと思われる木寺のロープでしたが、思いのほか回りませんでした。シノブ商業の先鋒、木寺は初混に挑み大きなロープを繰り出しましたが、結果は緑に終わって、これでまずは、しのぶ高校の甲斐寺が一本を先行しました」
「木寺君もいい動きを見せたんですがね。まあ、一人目から九回の裏らしい攻防ですな」
「ええ、そうですね。解説は元代表監督の丸古三千男さん、実況は私、渡師伊輪で高校選手権、決勝の模様をお送りしております」
「あのね、私が代表のころにね」
「はい」
「ロープを二度巻いたことがありまして」
「ああ、それは、選手時代ですね」
「そうそう、監督じゃなくて選手のときに」
「あっ、ここで選手の交代があるようです、次鋒は井間賀に変わって飯尾、背文字ろの飯尾拓也が代受として出てくるようです。左飛びの左回し。はい、丸古さんどうぞ」
「それでね、ロープを二度巻くと、これはもう硬くてしかたがないわけですよ」
「ええ、硬くなる」
「これが混ざったところに垂れるとですね」
「はい。あ、さあ、飯尾がネットをまたいでゴールラインに立ちました」
「放送席、放送席」
「はい?」
「マウンテンスタンドの砂原です」
「はい、砂原さん」
「代受でラインに立ったシノブ商業の飯尾選手ですが、これまで地方予選ではラインに立つ機会がありませんでした。初のラインで、今日はロープを短く持つそうです」
「ほう、短く?」
「ええ、昨夜お母さんの助言を受けたのだと試合前に話してくれました」
「お母さんですか。お母さんもスタンドにいらっしゃるのですか?」
「いいえ。今日はお母さんは地元のお友だちと一緒に寿司屋に集まって試合の応援をされているそうです」
「寿司屋ですか? 大丈夫なんでしょうか?」
「はい。そのあたりは充分に気をつけると仰っていました」
「そうですか、ありがとうございます。東軍マウンテンスタンドから砂原記者のレポートでした。丸古さん、飯尾選手はロープを短く持つそうですが」
「まあ、飯尾君はけっして体格に恵まれているほうではありませんしね」
「百二十八センチ二十七キロ。大柄な選手の多いシノブ商業の中では逆に目立つ存在です」
「ですから、短いロープを上手く使って垂らしていこうと」
「はい。地方予選ではチャンスのなかった代受の飯尾。左手にロープを短く持っています。背文字はろ」
「だいたい、飯尾君はね」
「さあ、甲斐寺、すばやく構えて大きなポーズから混ぜましたッ! 早いッ! 飯尾が一歩足を引いてロープを垂らして…………これは赤か……赤です、赤を出しましたあッ」
「あああ、今のは甲斐寺君の混ぜ方が甘かった」
「九回の裏四十三分、シノブ商業の飯尾拓也、赤を出して権利を獲得です。ここまで大きなミスのなかった甲斐寺、大詰めに来てピンチを迎えております」
「一順目からの赤ですから、ここは当然仕掛けてくるでしょうな」
「ええ。ベンチの動きも気になるところです。さあ、権利を獲得した飯尾、今度はタッチラインの前で、おおっ!」
「わっ、これは……」
「リーチ! 二順目からまさかのリーチですッ!」
「渡師さん」
「いやあ、そりゃまあ混ざれば大きいでしょうが、監督もこれは賭けに出ましたなあ」
「はい。観客からも一斉にどよめきが湧き起こりました」
「渡師さん、砂原です」
「ここまでシノブ商業の飯尾選手は、地方予選も含めて一度もリーチをしていません。このリーチが吉と出るか凶と出るか」
「渡師さん」
「はい、砂原さん」
「飯尾選手ですが、今年に入ってからかなりリーチの練習を積んでいたようで、地方予選のときから、もし自分にもベンチ入りする機会があれば使いたいとチャンスをずっと窺っていたそうです」
「なるほど、その想いが叶ったわけですね」
「はい。昨日もお母さんと一緒に夜遅くまでリーチを繰り返していたようです」
「お母さんとですか、それは珍しいですね」
「ええ、そのお母さん。今日は地元のお友だちと一緒に近所の寿司屋に集まって試合を応援されていて、相手を煙に巻けとの願いを込めて、巻物を頼んでいるそうです」
「さすがに切り身は無理ですよね」
「ええ。お友だちもみなさん切り身には抵抗があるようですから」
「という情報を伝えてくれたのは、マウンテンスタンドリポーターの砂原記者です。砂原さんありがとうございます」
「はい」
「さあ、ずっと練習していたリーチを本戦の決勝で披露するシノブ商業の飯尾選手。タッチラインに立ちました」
「これはわからなくなってきましたね」
「はい。対するのはしのぶ高校のエース、三年生の甲斐寺傅。背文字はも。大きく構えて、混ぜたッ。ぜんぶ混ざり切る前に飯尾がロープを垂らして引き上げる……あっ! 飯尾が激しく振ったぁ、振って周囲に飛び散らせたところに、両サイドからフォワードが突っ込んでくるぅ~! 飯尾の胴着に手をかけて一気に………倒れ……ないッ。飯尾、倒れません! 倒れずロープを大きく回して……これは緑か、いや青だ! 青だ! 青ぉぉぉぉッ!! 青ですッ!……、と、あれ? ……ああ、その前にしのぶ高校の選手にファールがあったようです」
「これは……ああ、オフサイドですかね」
「シノブ商業の飯尾拓也、リーチからのすばらしいロープを見せましたが、相手フォワードがオフサイド。これでさらにポイントが追加されます。ただいま時計の針は四十六分を回ったところ」

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