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2020お彼岸「お庫裏の一言」

 私の母、堀部久美子のお檀家様へのお便り、祖母が亡くなったことの報告です。お彼岸からだいぶ日が過ぎてしまいましたが、noteに採録しておきます。

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 昨年5月29日に、私の母が旅立ちました。満94歳でした。母はお寺の娘として生を受け、幼い時に実母を失い、母の思春期は山梨の女学校の寄宿舎で過ごしました。お説教師をして全国を歩いていた祖父が静岡の地を気に入り、母は静岡のお寺に嫁ぎました。

 しかし、嫁いでみたら舅姑子姑、姑が48歳で産んだ幼子まで居て、尚且つ、お寺の仕事だけでは生活ができませんでした。なので、父は教師、母は境内のお茶畑で、お茶刈、畑仕事、習字の先生をしながら3人の子供を育て、兄が嫁を迎え、やれやれと思った矢先1993年、兄が4人の娘を残して大腸癌で他界しました。42歳でした。

 お寺の跡継ぎである兄が亡くなって母はとにかく孫娘に婿を迎えるまで父を元気でいさせなければと、父の健康管理に必死でした。そのおかげか2008年に永平寺で6年修行した僧侶を婿に迎えることができ、すぐにひ孫に男の子2人を授かり、ようやく安堵な日々だと思っていたところ2011年86歳で肺癌がみつかりました。2018年1月に父が96歳で他界したあと、母の病状も悪化して、兄嫁家族のお世話の元、お寺で最期を迎えました。

 94年の生涯、波乱万丈のおかげか、気丈な母でした。私が結婚する1週間前に、厳しい姑さんに不安がっていると「どこへ嫁いだところで一緒だよ、自分が好きで決めたのでしょ。」と一喝されました。

 その後、私達夫婦は日進町の観音寺に新居を構えたのですが、そこが曰く付きのお寺で、独りで居ることが不気味と愚痴をこぼすと、その時も「お寺で本尊様があるのだから、お線香あげ、お経を読みなさい。」と助言をもらいました。今日まで私が曹流寺から逃げ出すことなく過ごせたのは、これら母からの言葉のおかげです。

 仏縁を頂いた94歳の母の最期の言葉は「長生きしなさいよ」でした。娘から見たら苦労の多い生涯でしたが、この言葉は、母は良い人生を送れたということでしょう。私も母にあやかって、仏縁に感謝して生きていきます。お母さん、ありがとうございました。

 お彼岸法要にお汁粉を作って、皆様のご参拝お待ちしております。合掌

 追記:新コロの為、法要は内献で行いました。

 

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