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禅寺で3泊4日の作務旅を

2021年12月22日から25日迄、奈良の山中にある禅寺に作務旅へ。以前のnoteにも書きましたが、このお寺は父と親交がある方が一人で守っているお寺です。今回、父をはじめ何人かでお邪魔させていただきました。

ここで二ヶ月修行体験をさせていただいた12年前。成長したいと願って門を叩いた当時を時折振り返りながら、過ごしました。
12年前よく思っていたのは、掃除をしてどんな効用があるのだろう?という疑問。雑念。希望に燃えて始まったものの、寒さの中草むしりや落ち葉拾いなどをしていると、そんな思いが湧いてきます。あまり作務に身が入っていたとはいえなかったかもしれません。とは言っても、何も出来ない自分なりに必死にやっていたのも思い出すけれど。

今回、色々なお掃除や食事の支度など作務をさせていただき、感じることが多々ありました。
一日中お寺のお掃除をした後の夕方、遠くに見える木々や山並みがとても綺麗に見えたこと。身体は疲れていましたが、心は充実していました。何がそうさせたのか、明確にはわかりません。ですがあの時の景色ははっきりと覚えていて、こういうものが心の財産なのだと、今、思います。掃除をすると心も綺麗になるという言葉を思い出しもしました。

こんなことも。それは、何事も、自分なりにやるのみという事。作務一つ取っても、人それぞれ作業の速さも経験値も異なる。そんな時、他人と比べることにはあまり意味がない。それよりも、自分なりのベストを尽くす。そうやって己に集中することが大切なんじゃないか、と。作務も。そして、広く、人生も。

人って、自分と他者を比べてしまう所があると思うのです。ですが、他者に気を取られると肝心の自分が疎かになる。今回、なるべく無心になって作務をしたことで、一人己と向き合い、こんなことを考えることができました。

今回このエッセイを書いたのは、素晴らしき経験について振り返り、咀嚼したかった。そして、これから先、道に迷った時、大切なことを思い出せるようにしたかったから。

最後に、『生きることは、変化していくこと』。12年前、24.5歳だった頃と比べて、より作務に取り組め、あの頃とは違うものを感じ、成長を実感出来ました。時の流れの偉大さを想います。
まだ見ぬ自分なりの境地を目指して、またここから生きていこうと思う今日です。他でもない、自分の人生だから。

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