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シアトルで「占い師」しています。自己紹介#3

翌日、約束の時間にスピリチュアル書店の中の会議室へ。
私の母国語が英語でないことを知ってか、「録音して後からCDにして送ってあげるからね」と、レコーダーを机の上におき、鑑定がはじまりました。

彼から、数字を解き明かした結果の溢れ出す言葉は止まるところを知らず。合間あいまに私が質問すると、あらゆる例えを使いながら面白おかしく、時にはっきりと、誕生日と名前から割り出した数字が書かれた紙を指差しながら解説してくれました。

最後に、「実は私は別の先生から数秘を学び、でも、なぜだかそれを使えずにいました。それよりも、なぜ私がアメリカに来てしまったのか自分でもわかりません。本当に何故日本に居るという選択をしなかったのか。来てから今まで本当に苦しいんです。」と彼に正直に伝えると、彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、瞬きもせずに、こう言ったのです。

彼「君はするのだよ」
私「??」

彼「苦しかっただろう。わかる。でも、君のチャートを見ると、この年齢の時に(紙を指差す)海外へ飛び出すことは、もう君も理解できるだろう。こう考えてみよう。私に出会うことになっていた、と。私に出会うまでに何年かを君がアメリカで過ごしていなかったら、今、私が何を話しているかすら、君は全く理解できなかったはずだ。苦しかっただろうが、英語を理解できるための準備期間が必要だったのだよ。そして、予め数秘を学んでおく必要もあった。だから、昨日のセミナーは理解できたはずだ。」
「君はするのだよ。数秘を使い人を癒す仕事を。私の知識を全て伝えよう。だから、やりなさい。君は、それをやると決まっている。だから、私と出会ったのだ。メールで資料とかを全部送るから、それに目を通して、わからなければ連絡くれればよい。私のメソッドを伝授するお金は、君からは必要ない。君はやるのだから、その手助けは私の役目なのだろうと思う。」

この人、何言ってるんだろう、と瞬間思ったが、もはや疑う予知などありませんでした。

彼は、私とのセッションを終え、その足ですぐにシアトルを後にしたのです。

狐につままれたような感覚で、その後、どうやって車を運転して家に戻ったのかは覚えていません。
家に戻り、すぐに家族に「占い師で会社をつくる。だから、手続きとか手伝って」と皆を驚かせましたが、逃げも隠れもしない鑑定師であるためには、会社という組織が必要だと考えた結果のことでした。

そこから、10年という月日が流れました。

今では、シアトル/ポートランド地域で配布されている日本語情報誌と、アメリカ中西部全域で配布されている日本語情報誌の2誌で、占いコラムを連載しています。もうかれこれ9年近くは書いていると思います。

死にたかった位毎日が辛かった私も、数秘という道具を手に入れ、オフィスを構え、日米合わせて何百人ものクライアントさんに来ていただけるまでになりました。あの時、あの書店で彼と出会ってなかったらと思うと、ゾッとします。

不思議な出来事は、本当にあるのだ、と言わざるをえません。

私の恩人であり、師匠である彼は、3年前に脳梗塞を発症してしまい、言語がままならない、手指にも後遺症が残ってしまいました。
あんなに饒舌で、言葉を巧みに操れ、飛び回って活躍していたのですから、本人が一番悔しい思いを感じているはずです。

数秘鑑定の仕事を数年したのち、アロマテラピースクールも同時に経営していましたが、2020年から原点に戻り、数秘鑑定をメインにすることを決めました。師匠である彼が無償で伝えてくれた数秘学でやっていかなければ、バチが当たるじゃないか、と、夢の中の自分が呟いたからです。
朝目覚めた時、あまりにも夢の中での自分が発した言葉が鮮明で、これを無視できない、と感じました。

彼が倒れる時期と重なるように、偶然にも、自身のオリジナルオラクルカード制作に着手していました。「KUKURI Oracle Cards」といいます。
それが、今年完成し販売できる状態になったことも、数秘鑑定の仕事をメインにする、という決断の後押しとなりました。

そして、その決意からのスタートが、この”note"への投稿です。

ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。
まだまだ手探り状態ではありますが、応援していただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。

ジュノ



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