私はただ、デザインのまなざしで世界をみているだけ
この記事は、株式会社ゆめみの入社エントリーを兼ねて、入社後4ヶ月半が経過したいまの私が振り返って見えた景色をポエム的に言語化したものです。あくまでも個人の見解であることをご了承ください。
デザイナーという鎧
社会人になった時から、「デザイナーです」と名乗ることに抵抗があった。デザイナーには資格があるわけでもなく、自称すればデザイナーになれる。
デザイナーという肩書きは、強固な鎧を纏いたいだけのように思えた。鎧がなくたって、道に落ちている木の枝さえ拾えれば、絵や設計図を描くことはできるはずなのに。極論、木の枝がなくたって頭の中で景色は描けるのだ。
この鎧は権威を示す物でしかない。鎧を着た人がいることで、木の枝でさえ取り上げられてしまうような、そんなものを持っていてはいけなくなるような気持ちにさせられることがある。この鎧は、他者の創造性を奪うこともできるのだ。
万人が創造性を発揮できる環境をデザインすること
その辺で拾った木の枝で、なんだか楽しい景色を描く人たちが幸せでいられる。木の枝がなくても、頭の中で描いた景色を語り合って、新しい発想ができる関係性がある。人が内に秘めた創造性と自由に向き合える。私はそんな環境をデザインしたかったのだと思う。今も昔も、私が関心があることは人をとりまく環境なのである。私は鎧を着るのではなく、「あなたにはどんな景色が見える?」と自然と問いかけるような、澄み渡る空気のような存在でありたい。
万象はすべてつながっている
人生は短く、時間は有限である。人間の脳にも限界があり、得手不得手もある。だから多くの人は特定の立ち位置を見つけ、そこから世界を見ているのだと思う。私にとってはその立ち位置がデザインだっただけだ。
私はただ、デザインのまなざしで世界をみているだけのヒトなのである。
何かに取り組もうとすると、そこを起点にさまざまな事象に触れることになる。それは果てなく連続する枝葉のようで、万象はすべてつながっていることを実感させられる。すべてがつながっているこの世界で、「ここから先は専門外だから」なんて言っていたら、何も生み出すことはできない。
それぞれのまなざしにリスペクトを
とはいえ、万象のすべてを理解できるとは限らない。
でも、わからなくてもわかろうとする姿勢、知らなかったことを知りたいと思う好奇心が、自分のまなざしから霞んでいた景色を明瞭にしてくれるのだ。それが面白くて生きている。だから私は人間に興味があるのだと思う。
早いもので、ゆめみのデザインギルド(デザインを主とした業務をする人たちの職能共同体)にジョインして4ヶ月半が経過しました。
もうちょっとかっちりとした入社エントリの下書きも作っていたけれど、小爆発的な文章を投稿してみたい気持ちになったので、素直に心に従いました。
ゆめみには、私のこんな話を聞いてくれる人や、一緒に議論してくれる人がいます。私にとってはそれがとても嬉しかったです。
そんな環境で動き回っていたら、4年半ぶりに通院頻度が下がりました。嬉しくてちょっと泣いた。ゆめみ入社前はもう時短勤務しかできないと思って絶望していたけど、気がついたらフルタイムでも時間が足りないくらいでした。
このような環境を作ってくださって、ゆめみで一緒に仕事してくれている皆様へ、心からの感謝を込めて…💐
これからもよろしくお願いいたします。