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未来のワクワクを友人と

仕事でばたばたした日が続き、カルピスを飲みながら「今日は疲れたなあ」なんて考えていた帰り道。自宅のポストをあけると、かわいらしい小包が新聞の間に挟まっていた。東京に住むお茶目な友人の名が差出人だ。なかには、弾む太陽がたくさん描かれたメッセージボードが入っていた。

私は本や雑誌、新聞や映画など様々な媒体から気に入った言葉を採集するくせがある。それらを真っ白いノートに藍色のインクの万年筆を使って書く瞬間がたまらなく好き。お気に入りの紅茶を飲みながら書いていると、平気で1時間以上経っていたりする。

Wherever you go, whatever the weather, always bring your own sunshine

題名は忘れてしまったが、この言葉は(たしか)イギリスのドキュメンタリーを通じて知った、大好きな言葉。忙しかったり、なんとなく寂しかったり、人と比べて落ち込んでしまったり。自分の輪郭がゆらゆらとなくなりそうな時に優しく励ましてくれる大切な言葉として、心のなかに留めてきた。

お気に入りの雑誌の切り抜きやポストカードを部屋に飾って眺めるのが好きな私は、ある友人に依頼して、この言葉を書いたメッセージボードをつくってもらうことにした。彼女は少し前から、独特の美しい線でアルファベット文字を書く「カリグラフィー」を生業にしている。

彼女は心に正直に、小さな違和感を大事に生活をする人だ。「これじゃないな」と気付いた時は、自分の意志で自分の道を決められる芯がある人。自分の好きな場所に赴き、気持ちを高めてから作品をつくってくれるほどに、心の機微に富んでいる。そしてちょっと子供っぽい、お茶目で変な人でもある。

彼女と私の友達歴は、そこまで長くない。

しかし最近「一緒にいた時間の長さ」は友情や交友関係の親密さと必ずしも比例しないのではないか、と考えることが多くなった。もちろん小さい時からずっと仲の良い大好きな友達もいるが、時間の長さは交友関係においての絶対条件でもないように感じる。

これは子供の時から考えていたことでもあるのだが、おそらく女の子の友人関係は複雑で難しい。小学生の頃に「なぜ特定の仲良しグループに入らなくてはいけないの?」と真剣に考えてしまった私は、気づけば班分けなどをする時に肩身の狭い「無所属派」になっていた。その時々で話したい人、一緒にいたい人は違うのに、いつも同じメンバーでいることにあまり馴染めなかったのだと思う。昼休みに外で遊びたくない時は図書館にこもれるし、早く帰りたい時はまわりを気にせず走って帰れる気楽さを味わえた。だけど少し、寂しくもあった。

中学生や高校生になると、交友関係は自然と部活動が中心になった。毎日同じメンバーで辛い練習をしていると、くだらないテレビの話から最近の悩みごとまで、本当にたくさんのことを話すようになる。文字通り「家族みたいだな」なんて思えることもあったし、クラスにも大切な友人ができて嬉しかった。

どこかのコミュニティーや何かしらのグループに所属していることは、きっと安心感につながるのだと思う。ちょっと冒険して疲れたら戻ろうと思える場があるだけで、とても救われる時がある。だけどその基盤に縛られすぎると、新しい交友関係に飛び込みにくくもなる。

少しだけ大人になった今の私は、交友関係はものすごくゆるいサークルのようなものだと考えるようになれた。イベントなどがある時は一部のメンバーで親密に集まるけれど、だからといって常に一緒というわけではない。ゆるいサークルだから、他のサークルにいくつ所属しても大丈夫。でもなんとなく、一緒にいたい人は自然と頭に浮かんでくる。いくつものサークルに入っていると、自分でも気づけなかった自分の一面を発見することもあるのが面白い。

社会人になると、引っ越しや転勤、転職などで以前のような頻度では会えなくなってしまう人もいる。でも会いたい人にはどこにいても「会いたいな」と思うから不思議だ。どんなに疲れていても、時間やパワーをかけて会おうとするし、物理的に距離が遠いことは、私にとってはきっとあまり障壁にならない。

大切な友人が贈ってくれたメッセージボード。描かれた色とりどりの太陽をぼーっと眺めていると「未来のことを楽しく話せる人と一緒にいたいよね」なんて彼女が昔ケーキをもぐもぐ食べながら言っていたなあと思い出した。次回もまた、未来のワクワク会議をしようね!



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