見出し画像

人の感情を消費させないニュースを

ここ最近、家族が運転する車にひかれた子供や、老人が運転する車にひかれた母子など、想像するだけで辛すぎるニュースを耳にすることが多い気がする。そこで思うのは、果たしてこのニュースを報道することに、どのような意味があるのかということだ。

「なんてかわいそうに」「ご両親がさぞかし不憫だ」。ショッキングなニュースに対してこのようなコメントをする人々がテレビに映っていた。しかしそこで考えたいのは、わたしたちはそのニュースをみて一時的に「かわいそう」という感情を高めるだけであって、結局はその事故や出来事を消費してしまっているのではないかという懸念である。

ニュースを聞いた瞬間はさまざまな感情が湧いてくるにしても、次のニュースで「ディズニシーで新しいアトラクションがオープンします」なんてことを知ると、あっという間に話題はうつりかわるだろう。果たして事故の当事者や関連者は、お茶の間に話題を提供することを望んでいるのだろうか。報道の仕方に、もっと工夫や配慮をすることはできないのだろうか。

毎日のニュースを考えることなくただ見るだけでは、きっと何も変わらない。この先どのようなメディアが残り、どのようなメディアが選ばれるのか。発信する仕事についているはしくれとして、真剣に考えたい。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
6
1993年生まれ。記事執筆や編集が主な仕事です。東京や石巻、バングラデシュを拠点に活動中。アジアの躍動感に惹かれ大学でフィリピン語を専攻。新聞社の経済部記者などを経て、2019年5月からフリーに。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。