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Withコロナ時代の視点⑩ 連続インタビュー「少欲知足の<無>の文明へ」 町田宗鳳・広島大名誉教授@ありがとう寺

   静岡県御殿場市の「ありがとう寺」住職の町田宗鳳先生(広島大名誉教授)が主宰する「ありがとう断食セミナー」に参加したことがある。週末の2泊3日のプチ断食である。「ありがとう」を唱えて「無意識のクリーニング」をする極めて単純で強力な瞑想法<ありがとう禅>を繰り返しながらの断食は不思議と空腹感は感じなかった。しかし、町田先生が講義で話された「光り輝く金剛石」という言葉は、澄み切った空に虹がかかるがごとく鮮明に印象に残った。「無意識のクリーニング」とはこういうことかと思った。
 「意識の下に潜在意識があり、さらにその下に無意識がある。無意識は比較を絶する世界です。『無意識との対話』を深め、『光の意識』に照射されると、おのずから相対的思考が消えていき、ありのままの自分を気持ちよく受け入れられるのです。無意識にある掘り尽くせないくらいの金剛石が光り輝くからです」

村上春樹とイチロ―の共通点は「無意識と対話」
  町田先生は著書の「『無意識』はすべてを知っている」(青春出版社)で、村上春樹とイチロ―の共通点は「無意識と対話」することにより、想像力や身体感覚を研ぎ澄ませ、優れた小説を書いたり、最高のプレーをすることができると指摘する。私は同書を読んで<無>の深淵の一端をのぞき見た気がした。
 コロナ・パンデミックは文字通り、世界中を襲った惨禍である。私たちはこの世界的な危機を東洋思想の文脈でどう捉えればいいのか。Withコロナの時代、<無>をどう考えればいいのか。町田先生に書面でインタビューした。
 ――<無>の観点から、ソーシャル・ディスタンシング(社会的な距離)などの行動変容をどう考えればいいですか。
 「一般論として人間は群れるのが大好きですが、とくに日本人には、その傾向が強いように思います。群集心理の中で自己の主体的判断力を失い、歴史上、多くの過ちを犯して来ましたが、今でも会社帰りに仲間と飲まないと、本音が言えない。『甘えの構造』の中で群れるのが当たり前になっているのは、日本人の精神的未熟を示しています」

孤独と<無>は不可避の関係
  「今はコロナのせいで、なるべく群れるのを避けなくてはならないわけですから、むしろ積極的にsolitude(独居)を楽しむ姿勢が大切です。カトリックや禅の伝統の中でも、霊性を高めるためにsolitudeが重視されていました。孤独と<無>は不可避の関係にあります。だから、ブッダも『犀(さい)の角(つの)のように独りで歩め』(法句経)と説いたのです。Withコロナの時代の時代には、孤独ゆえに精神を病む人たちも増えるでしょうが、その一方で孤独をバネにして、強い個性を発揮する人たちも、あちこちに登場して来るでしょう」
   ――SNSで「<無>は理念でなく、行動である」と書いています。そうならば、コロナ・パンデミックでどのような行動をすればいいのですか。
  「生活が今までのルーティーン通りでは、立ち行かなくなったわけです。会社も来るな、学校も来るなというわけですから、凄い戸惑いがあるでしょう。そういう時に、どういう行動を取ればいいのか。その答えを知っているのは、自分自身です。この場に及んで、今さら人が決めたマニュアルを求めるべきではありません。コロナ・パンデミックの中で、自分の価値が問われています。コロナ倒産、コロナ失業、コロナ離婚、コロナ鬱といった落とし穴に嵌らないためには、<無>を拠り所にして自分自身の主体的判断力が不可欠です。それが、仏教でいう『自灯明法灯明』のことです。」

<無>の文明とは『少欲知足』の文明
   ――「<有>の文明から<無>の文明へ」とも書かれていますが、どういうことですか。
  「可視的なものに価値を置くのが<有>の文明であり、それとは対照的に、目に見えないものに価値を見出すのが「無」の文明です。富や権力をどれだけ築いても、人間は幸せになれません。慎ましく平凡な生活でも、愛情、信頼、思いやりが豊かにあれば、人間はとても幸せになれます。モノや領土を奪い合って殺し合うような文明は、もう沙汰止みにしなくてはなりません。禅では『無一物中無尽蔵』と言いますが、シンプルライフのほうが生きることの有難さが分かるのです」
   最後にどうしても聞きたいことがあった。今回の危機でその言動が注目された「サピエンス全史」(河出書房新社)の著者でイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は自書「21 Lessons 」(同)で<瞑想>の大切さを唱えた。フランスの経済学者、ジャック・アタリ氏は日経新聞のインタビューで「テクノロジーは利他的かつ共感する手段であるべきだ」と答えた。私は両氏とも東洋的な思考の持ち主ではないかと考えたが、これは<無>の文明と関係があるのだろうか、どう受け止めたらいいのだろうか。
 「今は、東西が歩み寄る時代なのであり、あれは西洋的、これは東洋的という区別が無効になりつつあります。意識の高い人たちは、<無>の価値に目覚めはじめ、<無>の文明の到来を予感しているはずです。<無>の文明とは『少欲知足』の文明のことでもあり、その中でお互いが助け合い、平凡を楽しめばいいのです」

町田宗鳳(まちだ・そうほう)
 広島大学名誉教授、比較宗教学者、「ありがとう寺」住職
1950年京都府生まれ。14歳で出家し、臨済宗大徳寺で20年間修行。その後ハーバード大学で神学修士号、ペンシルバニア大学で哲学博士号を取得。プリンストン大学助教授、国立シンガポール大学准教授、東京外国語大学教授などを経て現職。 『人類は「宗教」に勝てるか』(NHKブックス)、『「ありがとう禅」が世界を変える』(春秋社)、『異界探訪』(山と渓谷社)、『人の運は「少食」にあり』(講談社)など著書多数。国内各地およびアメリカ、フランス、台湾などで「ありがとう禅」を、静岡県御殿場市で「ありがとう断食セミナー」を開催している。

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