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Withコロナ時代のアジアビジネス入門㊼「緊迫するウクライナと<正教会>の相克」@宗教からの視点

祈りの意味と「平和」の大切さ
 東京都目黒区と品川区にまたがる「林試の森公園」にはケヤキやポプラなどの巨木が生い茂る。ほど近くの静かな住宅街にポドヴォリエ「聖アレクサンドル・ネフスキー教会」(ロシア正教会モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ)がある。ポドヴォリエはロシア語で旅籠を意味し、ロシア正教会の教会兼出張所にあたる。同教会には在日ロシア人だけでなく、ウクライナ、ベラルーシなど正教を主な宗教とする信者も訪れ、厳かな雰囲気の中で祈りを捧げるという。
 一方で、本国のロシアとウクライナは緊迫の度合いが強まり一触即発の状況にある。米国などの北大西洋条約機構(NATO)加盟をめざすウクライナはロシアと対立を深め、ロシアは国境沿いに10万を超す大軍を終結させて対峙している。米軍も派遣され、ウクライナを巡る米ソ対立の様相を呈している。                                                                                                                       

 この週末、ポドヴォリエ「聖アレクサンドル・ネフスキー教会」を見に行くと、教会内から清らかな祈りと歌声が聞こえてきた。緊迫するウクライナ情勢を危惧するのは、戦火を交える最悪のケースばかりでなく、本来の祈りの意味である<平和>が踏みにじられるからである。
対立の深層に正教会の独立騒動も
 宗教は民族のアイデンティティの一つである。
 ウクライナ正教会がロシア正教会から独立する騒動を知り、軍事的な緊迫の深層の一つに、日本人では想像しえない<正教会>の相克があることに関心を持った。
 ウクライナ人の国際政治学者、日本研究者であるアンドリー・グレンコ氏は次のように説明する。
 「キリスト教は1054年に正教会(中心はビザンツ帝国のコンスタンディヌーポリ)とカトリック(中心はローマ)に別れた。ウクライナの前身に当たるルーシは、ビザンツ帝国と関係が深かった。そのため、ルーシの国教は正教会となった」
 「ルーシは1240年にモンゴル帝国に滅ぼされてしまい、ルーシにあった正教会の組織はコンスタンディヌーポリ総主教庁の直轄となった。1480年にモスクワ大公国が、モンゴル帝国から独立し、コンスタンディヌーポリ総主教庁はロシアの正教会に自治権を与え、モスクワ総主教庁として独立した」
 「1686年にウクライナにおける正教会はロシア正教会の一部となった。そして、1991年のソ連崩壊まで、ウクライナはロシア正教会の管轄領であった。ウクライナ独立後、一部のウクライナ人聖職者はロシア正教会から離脱して、ウクライナ正教会キエフ総主教庁を創立したが、モスクワ総主教庁はそれを認めなかった」
 「2018年10月11日、コンスタンディヌーポリ総主教庁の教会会議において、ウクライナ正教会への自治権が決定された。同時にキエフ府主教区をモスクワ総主教庁に委ねる1686年の決定は取り消された」
332年経ての独立と複雑な宗教事情
 実にウクライナ正教会がロシア正教会から独立するのに332年の月日を要したのだ。アンドリー・グレンコ氏によると、コンスタンディヌーポリ総主教庁が態度を変えてウクライナ正教会の独立を認めたのは、世俗的な政治と完全に結託して傲慢に振舞っているロシア正教会に対する不満がついに限界に達し、これ以上モスクワに配慮する必要はないと判断されたためであるという。もちろん、この見方はウクライナ寄りであり、ロシア正教会側にも言い分はあるだろう。しかもウクライナ国内の宗教事情は極めて複雑でありモスクワ総主教庁系の教会も現存している。

 いずれにしても、長い歴史からウクライナとロシアの正教会の相克が読み取れる。一部ではロシアとの戦争で戦死したウクライナ兵士の葬式をモスクワ総主教庁系の教会が拒否したということが伝えられるが、アイデンティティを支える宗教に<政治>が持ち込まれると心の中に対立の根がよりいっそう深まるのではないか。
 

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