『バラックシップ流離譚』 アリフレイター・3

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 ゼラーナの食は細い。
“食べられるときに食べておく”生活が長かったせいか、空腹をあまり感じず、すこしの量でも長く活動できるよう身体が適応しているのだろう。
 そうしたわけで、最近のお気に入りの店は「下層寄りの中層」にある酒場〈堕薔薇〉だった。
 職人外の人気店〈酔鯨〉などは、たしかに安くて旨いのだが、すこし賑やかすぎるところがゼラーナの好みからは外れる。
〈堕薔薇〉の店内は暗く、客も堅気でない者が多い。
 しかし、それ故に互いへの不干渉という不文律が自然と出来上がり、落ち着いた雰囲気がある。
 まとまった金が入ると、ゼラーナはこの店で個室を借り、ひとりでちびちび飲むのが常となっている。
 この店は良質の酒を揃えており、食への関心が薄いゼラーナでも長居できるのが良かった。

「ねえさん、いい?」
「あら、ポーリー」

 控えめなノックの音がして、個室の扉がひらいた。
 顔をのぞかせたのは、店で働いている人族の娘だった。

「いつもの、頼みたいんだけど……」
「なあに? 前の彼とはもう別れちゃったの?」
「ううん。今日は、友達の妹なの」

 ポーリーの後ろから、おずおずと猫人《マオン》の少女が現れた。
 丸耳の茶。短い毛はクセがなく、細くて柔らかそうだ。

「はっ、はじめまして! メロっていいますっ」
「緊張してるの? 可愛いわね。私にもこんな時代が……あったかな? 記憶にないわ」

 ゼラーナは自嘲するように口許を歪めた。

「ゼラーナねえさんのお噂はかねがねっ! ねえさんに”おまじない”をかけてもらえば、どんな恋もかなうって……」
「うーん、それはちょっと大げさかなあ。人によっても効果に差はあるし、大事なのは本人の心がけしだいっていうか」
「で、でもっ。ポーリーさんはうまくいったって!」
「ああ、うん。たしかに告白は成功したよ? でも、いざ付き合ってみるとアイツ、金にも女にもだらしないし、結局あンときの私って、自分の都合のいいものしか見てなかったんだなーって実感してるよ」
「はいそこ、若者の夢を奪わない。あと、男の質について私の関知するところじゃないから。文句は受け付けないよ」
「わかってます、わかってます。ねえさんは私のお願いを聞いてくれただけですから。感謝こそすれ、恨むなんて筋違いな真似はいたしませんから」
「うむ。よろしい」

 ゼラーナは、メロを対面に座らせた。
 肩の力を抜くよう指示し、相手の鼻の辺りに視線を置く。

「お相手はどんな人?」
「幼馴染みで、ふたつ年上……職人外で、徒弟として働いてます」
「性格は? 優しい人?」
「はい。でも、仕事にはとても厳しくて、すこし頑固なところもあります」
「猫人《マオン》には珍しいタイプね。でも、悪くないと思う」

 子供をあやすように、ゼラーナが何度かメロの鼻筋をなでると、彼女はとろんとした目つきになってきた。

「目をとじて。彼の顔を、なるべくはっきりと思い浮かべて」
「……はい」
「その調子。いいわよ。いい子」

 最後に、ゼラーナは自分とメロの額をくっつけ、「あなたに幸せが訪れますように」と囁いた。

「……これだけ、ですか?」
「そ」

 ゼラーナはすでに、ひとり飲みの体勢にもどっている。

「注意点。おまじないの効果は長くて一日だから、それまでに告白すること。その後も彼の心を繋ぎとめておけるかは、メロちゃんの努力にかかってるからね」
「は、はい。わかりました! ありがとうございます!」

 メロはぴょこんとおじぎをすると、ポーリーとともに出ていった。
 恋のおまじない。
 ふざけ半分で店の女の子に力を使っていたら、いつの間にか、そんなふうに評判になっていた。
 能力の発動条件は対象との接触のみなので、あれこれやっているのはもっともらしく見せるための演出にすぎない。
 それでも、かたちを整えるのは無意味ではないらしく、いつしかゼラーナは、自分を頼って集まってくる女たちの幸せを、半ば本気で願うようになっていた。
 彼女たちに、かつての自分を重ねているのか。
 それとも、基本我欲のため、他人の足を引っ張るような生き方しかできない自分が、誰かの役に立てることが嬉しいのか。
 いずれにせよ、やったあといつも微妙な気持ちになるくせに、頼まれれば断れないのだ。

「やめやめ。しおらしいのは私らしくないって」

 こつん、とグラスを額にあて、ゼラーナはため息をついた。

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