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ボールペンは消せないから興奮するのだ

パイロットコーポレーションの「フリクションボール」、通称「消せるボールペン」が流行っているようだが、最近、このボールペンを使用した不正、改竄の事件が取り上げられることが多くなった。

「消せるボールペン」のリスクは“消せる”か…自治体、使用禁止に躍起
http://news.livedoor.com/article/detail/8798984/

端から改竄目的で使用するのは分かるのだが、天然で公文書や重要文書にこの消せるボールペンを使ってしまうのは、なかなか理解し難い。「消えないことが目的」でインクペンを用いているのだから、「ボールペンで書いたんだから間違っていないだろ」という理屈はまったく通用しないのだが、こういう思考の輩はいつの時代にも一定数はいる。何もゆとりが問題なのではない。

オフィスで使用するボールペンを限定して全社員に支給するとか、研修や内部文書で通達するとか、とてもくだらないし悲しくなってくる話だが、そんなことよりも、そもそも「消えてしまうボールペン」なんてものは、何の魅力も感じやしない。

中学生のとき、同級生にボールペンで授業に臨む女子がいた。フランスでは小学生の頃から通常授業で万年筆やボールペンを使っているが、日本では御存知の通りシャーペンや鉛筆を使っている。やはりその女子はちょっと浮いていて、それゆえ同じように浮いている自分にとっては無視できない存在だった。

ボールペンは消えないから緊張する。ボールペンで授業に臨むなんて、自分には到底真似ができなかった。発育途上の学生は、間違えるのが当たり前だ。間違えることに神経を使うのではなく、学ぶことに神経を使うべきだ。だがその女子は、一文字一文字に魂を込めている。絶対に書き損じるわけにはいかない。その気概は凄まじかった。自分にはその境地に挑む勇気はまるでなかった。間違えたとき、どうしたらいいのか、後戻りができない、どうしたらいいのか。

そんな彼女にも間違える日は来る。修正液――、頭によぎったそれを彼女が使うことはなかった。彼女は間違えた箇所をボールペンでただひたすら黒く塗りつぶした。力強く。その姿に、潔さに、私は興奮したのだった。

書き味だけを求めた「消せるボールペン」、消せてしまうという新しい時代が、ひとつの夢をまた奪っていった。

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