子育ては「武勇伝」ではない
2月18日(土)に、Android版「自分史年表」が1000ダウンロードを超えました。ダウンロードしてくださった方々、本当にありがとうございます!
うちのインターン生(文系女子大生)が、「自分史年表」について色々な使い方を考えてくれていますので、よかったら見てやってください。ほぉーと、関心するものもありました。
「自分史年表」1000ダウンロード突破!
http://www.materialize.jp/art/android/9351/
使い方3:後世に残す記録
上記の様に、今まで口頭でしか聞いていなかった「昔話」をアプリに整理する。話す方は「何かに残っている」という安心感があるし、聞いている方も発見が多いものです!例えば私の母の子どもの頃の話は面白かったです。ド田舎で、村に一つのスーパーの話や、その時の人間関係の様子を話してくれて、現代からするとむしろ新鮮に感じました。「自分の家族の話」は、自分しか残せないし、自分とその後世にとって特に意味を持つ話です。全然違う土地に引っ越しても、そういう話を知っていれば自分の故郷がどこか認識できて安心感があります。
この「自分史年表」は、ユーザが「55~65の男性」と、「25~35の女性」とに、キレイに分かれていて、面白いです。その中で、「45~女性」というのが、ほぼ皆無というのも、また、面白いです。
私に「あんたは幸せな技術」と言ってくれた知人を含め、45~55くらいの10歳くらい年上のお姉さんの知人が私にはとても多いのですが(二十歳くらいに出会った頃は、みんな、艶かしくセクシーだったのですが・・・)、ちょうど、この「自分史年表」で皆無の世代にあたるので、なぜ、「自分史年表」に興味がないのか? と訊ねてみました。
その前に、巷では、やはり「自分史年表」というものは、「年寄り向けのコンテンツ」であるという認識が強いようで、お年寄りに「自分史年表」を推奨する協会のようなものまであります。
そこでは「自分史年表」を活用し、定年後の第二の人生で新しいコミュニティに円滑に属するために、一度、自己を見つめ直したらどうか? というのを推奨しています。
文系女子大生がブログに書いてくれた、「就活のための自己分析」に目的がとても似ています。私なんかは自分のことはよく分かっている(と思っている)ので、そういうのを聞くと鼻で笑ってしまうのですが、みんな、自分のことを客観的に見ることが、そんなに難しいのでしょうか。
この協会を利用している人のほとんどはやはり「高齢男性」で、そこへ寄せられる問い合わせ・質問の多くが、
どうしても自分をよく書いてしまう、どうしたらいいか?
という類のものばかりだそうです。これは正直、笑ってしまいました。男は、どうしても、「自分史年表」が、「武勇伝」になってしまうそうなのです。
オッサンになればなるほど、「武勇伝」、語りますよね、好きですよね、ウザいですよねええええ。そのまんまが書き出した「自分史年表」にまで、出てしまうそうなのです。「自分史年表がどうしても、自慢話になってしまう」、新しいコミュニティへ参加するために自己分析しているのに、書けば書くほど鼻持ちならない人間になってしまう、というのです。これは容易に想像できて面白いです。
で、「45~55の女性たち」に訊いてみました。なぜ、「自分史年表」を書かないのか?
レディたち:子育て中なら書いたわよ、書くこといっぱいだったと思う
アシベ乃髪:なんで今は書くことない?
レディたち:今は特別なことやってないもの
アシベ乃髪:自分史の基本は、自分の歴史を振り返るものだから、過去の子育て書いたらいいじゃん?
レディたち:別に書きたくない
アシベ乃髪:オッサンらは、仕事のこととか、生きてきたこと、すべて「武勇伝」になってしまうくらい、書くこといっぱいあるっていってるよ
レディたち:武勇伝ないもの
アシベ乃髪:仕事と比べても、同じくらい、人によってはそれ以上に、子育てって大変だと思う。充分に子育ては「武勇伝」に成り得ると思うんだけど?
レディたち:別に・・・武勇伝になるような自慢できるようなものでもないし、振り返って書くことなんかないわよ
アシベ乃髪:でも絶対、うわあ大変だあって思ったようなことあったでしょ?
レディたち:そりゃあったけど、自分の歴史として残したいとは思わない、たぶん、こうすればよかったとか、ああすればよかったとか、反省とか後悔がいっぱいになっちゃうと思う、長男にこうしてあげればよかったとかさ、ごめんねって
アシベ乃髪:子どもに昔どうだったとか、小さい時にどうだったとか、聞かれない? そのときはどうするの?
レディたち:子どもに聞かれたときは思い出して答えるけど、適当よ
アシベ乃髪:確かに、ばあさんとかがペラペラ過去を語って、ドヤ顔してる感じって、想像できない
レディたち:子育ては語るようなものじゃないって思ってるっていうか、そういうことすら頭に浮かばない感じかな
アシベ乃髪:子供のことを「自分の分身」みたいにいうけど、ほんとに、子どもに自我まで全て子どもに持ってかれた感じ?
レディたち:そこまではわかんない。でも、別に、誰かに言いたいとか、語りたいとか、伝えたいとか、まったくない。よく子育ての相談をされるけど、凄く困る。教わることじゃないし、たぶん、教わっても伝わらないと思う。子育ては人それぞれだから。例えば、子どもが勉強しなくてすごく怒るっていう人がいて、どうしてますか? って聞かれるんだけど、私は逆に一切、怒らなかったから、逆になんで怒るの? って聞いちゃうくらい。
アシベ乃髪:敢えて語るまでもない、と心に秘めてる感じ?
レディたち:だから、秘めてるっていう自覚もないのよ。昨日、先週の夕飯を覚えてない感じ。別にいうまでもないことなのよ。過ぎたことっていうか、終わったことっていうか
アシベ乃髪:やっぱり男からすると子育ては充分に「武勇伝」だと思うんだけど?
レディたち:男と女は違うのよ
アシベ乃髪:そりゃ、そうなんだけど・・・
二十歳くらいの若い夫婦が、虐待の末に幼い子供を殺してしまうという事件がありました。この若い夫婦は、どちらも頑なに「子どもを愛していた」と言っていて、それは鑑定の結果、「嘘ではなかった」そうです。
この若い夫婦には、コミュニティがまったくなく、殺してしまうような虐待は、本気で、「正しい子育て」だと思っていたそうで、それを正してくれる人たちとの接点が、まったくなかったのだそうです。
そして、この若い夫婦たちも、同じように、暴力で育てられ、そこに何も感じていなかったため、本当に「正しい子育て」だと思っていたそうなのです。
アシベ乃髪:だから、子育てを語ることって、意味があるんじゃないの?
レディたち:さっきもいったけど、子育ては人それぞれなのよ。反省も後悔も多いから、わたしはこうしたとか、ああしたとか、他人に言おうとは思わないのよ
アシベ乃髪:でも、たまにメディアで偉そうに語ってる人いるじゃん?
レディたち:憶測だけど、本気で子育てやってないんじゃないかしら。全身全霊、子育てをやった人なら分かると思うけど、子育て中は毎日が大変で人に語ってる場合じゃないし、手を離れたら、特にもういうことないのよ。語ってる人たちは、子育てから距離を置けてるんじゃない? そんな感じがする
アシベ乃髪:俺が聞き取って、代わりに子育て年表を書くってのは?
レディたち:それはウザい
アシベ乃髪:はい・・・
男と女は違う・・・それはどこがどこまで違うのでしょうか。外で働いてきたんだと、偉そうに語る感覚が、男の「武勇伝」なのだとしたら、女性の「子育てを語らない」感覚は、何になるのでしょう。
それは「母親」としての感覚、それなのでしょうか。母は語らない。古代から続く自然の理については語るべきことがない、語る必要がないという感じでしょうか。
なので、女性が働いている場合、それは男性と同じように「武勇伝」と成り得るのか? そもそも女性は「語らない」のか。自分には子供がいないので、憶測ですが、男が子育てしたら、それは「武勇伝」になるんじゃないでしょうか。
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