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婚姻制度をボイコットしたい私と、お節介な人々と、私のnote

恋愛、結婚、出産...この社会には、はっきりとした「典型」というものがある。この「典型」はゆらぎつつあるけれど、それでもまだ多くの人が固執している。


私はアセクシュアルで、そんな自分のセクシュアリティに沿って生きていくつもりである。

恋愛からは距離を置き

欠陥だらけの婚姻制度からも距離を置き(非嫡出子への差別がなくならない限りは、私は同性婚が認められても、夫婦別姓が認められても、婚姻制度をボイコットしたい。でもって非嫡出子への差別がなくなったら、法律婚をする意味が見いだせなくなりそうだから、私は結局法律婚をしないであろう)

養子を育てたい(日本だとハードル高いけどね)

と今は思っている。でも、そう思えるのは、こう生きてもデメリットがさほど大きくない環境にいるからであって、もし環境が変わってしまったら、自分の思うように生きていける自信はない。強くなりたい、けれど。


結婚をして、出産をしたアセクシュアルの友人もいる。私はそれはそれで喜ばしいことだと思う。異性と結婚して、子どもをもったゲイの友人もいる。これも喜ばしいことだと思う。彼らは、「自分や他人を偽って生きている」と悲しい顔で言うけれど、その心苦しさ後ろめたさは分かるけれど、そんなに自分を責めないで、と思う。縁があって一緒にいるパートナーと、子どもを、自分のできる愛し方で愛せばいい。その愛を偽りだなんて思う必要はない。もし少し余力があるのだったら、典型を壊すことに、力を貸してほしいと思うけれど。それも、できたらでいい。気が向いたらでいい。まずは手に入れたもので幸せになってと心から願う。


典型に沿って生きないことは、それはそれで大変だけど、でも典型に沿って生きているからといって、幸せになれるわけでもなさそうだ

求めていないのに、アドバイスしてくる人がいる。「こうしたら恋愛できるよ」「こうしたら結婚できるよ」「早く出産しないと、出産できなくなるよ」

うーん。いらない、お節介。余分というだけでなくて、暴力的ですらある。

お節介って、コンプレックスの裏返しだなって思う。だからたちが悪い。

「自分は恋愛しているから幸せなはずだ。自分は結婚しているから幸せなはずだ。自分は子どもがいるから幸せなはずだ。」そうやって必死に自分を納得させているように見える。自分が今、幸せでないという事実に向き合うことをせずに。まずは幸せになってからきて

「恋愛していない、結婚していない、子どものいない、あなたは不幸せなはずだ。あなたは、頑張って改善しなきゃいけないはずだ。だってあなたが幸せなのは変だもの。」そんな呪いの言葉が見え隠れする。いや、呪わんといて

自分が今めっちゃハッピーで、みんなにもハッピーになって欲しいと思うなら、ハッピーになれる方法を分析してnoteに書くと良いと思う。そしたら欲しい人に届くかもしれないから。

私のnoteも、こうやって不特定多数に向けて書いている以上、「余計なお世話な文章だ」と思う人もいるだろう。それはどうしようもないことだし、ごめんねって感じだけど。少なくとも過去の私は、このnoteを読んだら少しハッピーになれると思うから、そんな誰かに出会える可能性に賭けて私はnoteを書いている。

私からのアドバイスを欲しい人にアドバイスを届けること、私からのアドバイスが欲しくない人にアドバイスを届けないこと。これが完璧にできたら良いけど、難しい。日々失敗しているし、模索している。

とりあえず、典型を押し付けてくるアドバイスを欲しい人はいない。だって、典型がとりあえず楽だってことは嫌というほど分かるもん。典型を壊してでも、幸せになれる方法を皆で考えましょ。







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