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【発達障害】障害と時代に翻弄された半生

 自分は年齢をオープンにしていませんが、そろそろ半生を振り返る年頃かと思うので、記事にさせてもらいます。いくつかの観点から自分を振り返ってみます。

■障害と自分

 まずは障害と自分との関係ですが、自分が子どもの頃は、「発達障害」という概念がほぼ普及しておらず、「自閉症」や「知的障害」という言葉は聞いていたものの、どこか他人事だと感じていました。

 特に子どもの頃は、精神障害や知的障害を話題にすることは文脈上タブーとされていました。それを呈することは“恥”であり“屈辱”であるという烙印が存在しており、一定数の人は今でもそうなのでしょう。

 当時は、将来自分が障害者にカテゴライズされるとは夢にも思っていませんでしたし、健常者として普通の人生を送るのだろうと信じていました。

 ただ、やたら“いじめ”に遭うこと、人から「頭がおかしい」と指摘されること、共同体への不適応が多いことから、いわゆる「“普通の人”とは何かが違うのでは」という漠然とした違和感を小学校高学年あたりから感じていました。
 当時の自分は「集団同一性」に固執していたこともあり、マイノリティーに属することへの圧倒的な不安もあったことから、「もしかしたら異常があるかもしれない」と考えが湧いてはいたものの、無意識に抑圧していた気がしますし、親や一族にとって自分の存在が“恥”の象徴になることへの怖れもありました。
 おそらく両親にも「普通の子とは何か違う気がするけど、そうは思いたくない」という気持ちが潜在的にあったと推測しています。

 「発達障害(ASD)」と確定した時は、バラバラになっていた不可解な糸が、「発達障害(ASD)」という一つの紐に綺麗にまとまるような感触があり、ようやく謎すぎる自分が理解できたという安心感や爽快感を感じたことをよく覚えています。
 これまで感じていた漠然とした違和感が収斂していく感触は、自分にとって一つの「統合」が起きたのだと今では思います。 

■時代と自分

 時代と自分との関係性ですが、これは「コミュニケーション能力」と「失われた30年」という言葉が鍵だったなと思います。

一般社団法人 日本経済団体連合会 2018年度 新卒採用に関するアンケート調査結果

https://www.keidanren.or.jp/policy/2018/110.pdf

 経団連のアンケートを参照すると、企業側が選考時に重視する要素に「コミュニケーション能力」が10年以上に渡って1位となっています。

自分が呈しているASD(自閉スペクトラム障害)は、

○状況にあったやりとり行動が困難
・コミュニケーションや対人行動の困難あるいは「非常識」なやり方
・人間関係の確立・維持が困難 など

○限定された行動、興味、活動の反復
・常同的な運動や遊びの反復
・同じことへの固執
・感覚刺激に対する過剰な、あるいは過小な反応など

という特徴があります。

 企業が求める「コミュニケーション能力」を分解すると以下のようになります。

・考え、理解し、自分の意見を適切に相手に伝えること
・話を聞き、聴き考えることの重要性
・相手側の述べたことを適切に理解する思考力
・伝えたいことを明瞭に表現し相手側に理解させる伝達力
・社内でのネットワーク構築に積極的かつ協調性をもって臨めるか

成安造形大学紀要 第12号 新卒採用時に企業が求める「コミュニケーション能力」についての考察から抜粋

https://www.seian.ac.jp/assets/pdf/attached/art_info/kiyo_12/kiyo_12_3b.pdf 
 自分が呈している「自閉スペクトラム障害(ASD)」は、企業が求める「コミュニケーション能力」と対極に位置する障害と言えるでしょう。
 ASDの中核症状と真逆のことが求められており、自分を含むASD者にとっては、まさにミスマッチな条件と言えるのではないでしょうか。

 そして「失われた30年」といわれる日本経済が低迷する事態が続いていることも大きいでしょう。自分が社会に出るときは、「好景気」という言葉はすでに過去のものになっていました。
 「就職氷河期」などと言われるような就職難の時代は、企業側が採用が抑制し、より質の高い人材を選ぶため、社会人に求められる基準の上昇を感じていました。
 これまでは何とか居場所があり、社会参加ができていたグレーゾーンの人たちが、「障害者」にならざるえない程に、社会参加へのハードルがグッと上がったのが平成という時代だと感じています。

■仕事と自分

 仕事に関しては本当に生き地獄を味わいました。工場勤務など様々な職を転々としてきましたが、運良く「作業療法士」という職業に落ち着けました。
 就労や職場不適応は長い間悩まされ続けてきたテーマです。これも「発達障害」の影響が大きいのもあったので、それを全く知らなかったのは今では仕方がないと割り切っています。
 「作業療法士」は、学校時代に積み重ねてきた知識を大いに活かせるので、やりがいがあります。これは自分にとっても大きな救いです。
 色々と諦めたことは多いのですが、仕事が落ち着いていることは、とても大きいですし、人生の安定感に大いに寄与しています。

■半生の総括

 「発達障害」という概念を持ち合わせていない半生は、自己理解に失敗し壁にぶつかっては砕け散ることが何回もありました。そして結果的に精神疾患を呈しました。
 治療や学びを通して知った「発達障害」という概念は自分にとって「救世主」に近いです。精神科受診を選択した自分は間違っていなかったと思っています。

 そして、作業療法士を目指す決意をしたことも、今思えば正解と言えるでしょう。当時は思い切った決断に内心びびっていましたが、勇気を持って状況を変えようと決断した当時の自分を褒めたいです。

 障害と時代に翻弄された半生で、中には諦めたことや捨てたこともありますが、自死することなく、致命的な事故に遭うことなく、ここまで生きてこれたのは運の良さもあったと思います。

 現在の生活は、大きな不満を感じることもほとんどなく、むしろ自分がやりたいことが概ねできているので、「不幸」だと思うことはほぼないです。

 そういう環境に置いてもらっていることに感謝をしています。

 そんな訳で、「障害と時代に翻弄された半生」でしたが、「何とか良い感じで生きています」といった総括でした。
 最後までお読みいただきありがとうございます。

 


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