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国道489号旧道 4 調査編

ここまで現地探索の状況をお伝えしてきたが、どうにも気になることがあるので、まずはその疑問を解決しておこう。
レポート中に何度か書いたように、ここまで見てきた旧道の路面は意外なほど新しく、よく整備された「現代の道」であった。現地探索の中で、約30年前に旧道化しているにしては違和感があると思わされることが何度もあった。
今回は、私が感じた旧道化の時期と路面状況とのズレの理由について、現地探索後に知ったことをお伝えしたい。

今昔マップon the web様より借用

左の地形図は、1985年(昭和60年)発行のものである。津浦ヶ峠トンネル(昭和59年竣工)は出来ているが、その南側の現道はまだほとんどできていない。
現道の完成時期に関しては、山口県道路整備課の資料「Yamaguchi Road 2021」の「道路整備に関する出来事」という年表が参考になる。
現道の整備に関係する部分を抜粋する。

  • S59 県道新南陽徳地線(津浦ヶ峠工区)完成(59.6.18)

  • H元 県道新南陽徳地線(小畑~車木工区)完成(H2.3.29)

このとおり、かつて旧道は山口県道(主要地方道)新南陽徳地線に指定されていたわけだが、昭和59年にトンネルが開通して津浦ヶ峠工区が完成した後、平成2年3月29日に現道が全面開通したことが分かった。小畑は津浦ヶ峠トンネルの南側、車木は北側の字である。
平成2年に現道が開通したとすれば、旧道は32年前に峠越えの主役の座を完全に譲ったことになる。ここまでは確定だ。
なお、県道新南陽徳地線が一般国道489号に指定されたのは、平成4年4月3日のことである。つまり国道489号は今年で30周年。おめでとう!

さて、ここからの記述は、長く周南市近辺にお住まいの方にとっては当たり前のことかもしれないが、私が周南市と縁を持つ以前に起きた出来事が旧道の整備の契機であった。
その出来事とは、「平成22年梅雨前線豪雨」である。
豪雨の概略はwikiにもあるのでご確認いただきたいが、平成22年(2010年)7月の豪雨で山口県も大いに被害を受けたようである。
そして、我らが国道489号が受けた被害については、山口県がまとめた「災害記録(平成22年7月15日大雨災害)」という資料の3頁に「国道489号の被災状況(周南市小畑)」として、3車線のうち2車線もの路面が崩落してしまっている衝撃的な写真があるので必見だ。
この写真と現在の道の状況を見比べてみると、崩落箇所はおそらく次の地図の赤で示した部分あたりだと思う。

国道489号は豪雨による路面崩落という悲劇に見舞われ、全面通行止めとなっていた!

さて、こうなると、勘のいい皆様ならとっくにお気づきのことと思うが、復旧工事までの間の迂回路をどうするかという話になるのだ。
おそらく国道489号をもっとも必要とする峠の北側、周南市和田地区住民の声が、周南市和田公民館発行の「れい明 第303号」(平成22年8月15日発行)に残っている。該当箇所を引用してみよう。

「先般の集中豪雨により、国道489号線が大規模な土砂崩れによって全面通行止めとなりました。この国道は、和田地区の皆様にとって通勤・通学や生活必需品の購入等に必要な生活幹線道路であることから、7月21日に・・・(中略)・・・「国道489号線の早期復旧について」の要望書を提出いたしました。
県では、国道の災害復旧工事完成までの間、今年8月から9月にかけて、旧県道を整備し、迂回路とすることになりました。」

これですべてが繋がったわけである。
私が探索した区間は、平成22年梅雨前線豪雨で被災した国道489号の迂回路として再整備された区間そのものであった。そりゃあ現代の道だよ、平成22年だものな!納得。
迂回路区間を地図で示すと次の紫色マークのとおりだ。

レポート3で現道との立体交差を過ぎたあと、切返しを無視して現道に接続しようとした道は、まさに迂回路が現道に接続するために付け足された道だったのである。
そして、切返し後の道は、この迂回路の区間に含まれていない。この事実が意味するところは明らかであろうと思う。

旧道について私が疑問に思っていたことは解消されたわけだが、最後に、道路趣味者の先達である「kaクンの道路探検隊ブログ」から、「国道489号,旧21号新南陽徳地線が今日から迂回路、4tまで」のエントリをご紹介したい。
このエントリは、迂回路が開通したまさにその時期の走行記録として貴重である。
一部引用させていただく。

「旧21号新南陽徳地線のこの道路は、数年前、歩いてみたのですが、木が生い茂り、舗装面から竹も生えてもう自動車は通れない、歩くのでさえ竹をかき分けて進む状態で、もう使われることもなく、自然の山の状態にかえっていくのだろうと思っていました。
今朝の新聞(中国新聞山口面)をみると、この道路の木を切り、舗装しなおして,ガードレールを設置し、
今日の10時から迂回路として通れるようにしたそうです。
ただし、4トンの重量制限があるそうです。
もう2度と日の目を見ることはないと思われた廃道が、R489の土砂崩れで、
再び脚光を浴びることになるとは、驚きです。」

数年前、つまり平成20年ころの段階で、「木が生い茂り、舗装面から竹も生えてもう自動車は通れない」というような状況だったそうである。
おそらく竹が生えていたのはこの辺だろう。

アトリエ工房を過ぎた辺りの様子

「kaクンの道路探検隊ブログ」には、迂回路の貴重な画像も掲載されている。明らかに同じ場所だと特定できるポイントで現在の様子と比較してみたい。

「kaクンの道路探検隊ブログ」より転載
同じ箇所


「kaクンの道路探検隊ブログ」より転載
だいたい同じ箇所


「kaクンの道路探検隊ブログ」より転載
だいたい同じ箇所(標識に注目)

さて、国道489号の復旧工事がなり、通行止め解除となったのは、豪雨の翌年平成23年4月8日である。この日をもって旧道は再びお役御免となり、以後現在まで11年の月日が経過した。
上記比較画像は、11年という期間(完全にではないが)人の手を離れた道がどのようになるかという一つのサンプルである。これを見ていただければ、我々が普段何となく使っている道路がいかにこまめに維持管理されているかという裏舞台の事情が意識されるのではないだろうか。

今回、私が探索中に感じた疑問は解消し、過去と現在を繋ぐ感動的なエンディングを迎えることができたことに満足している。

本当はここで完結してもいいのだが、奇特な読者様は例の切返しの先についても何らかの興味がおありかもしれない。蛇足と言われるかもしれないが一応書くつもりよ。一応。

つづく

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