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病とクリエイティブのあいだ②

父のこと。

父はわたしに似ている。わたしが父に似ているのか。
父とは、今でもうまくコミュニケーションを取ることができない。

昭和21年生まれ。団塊の世代。

勉強が好きで、絵を描くのも上手くわりと多才だったという父は、家の都合で進学が思うようにならず、十代の頃、心を病んだらしい。

「こんなはずではなかった。」

2年前、母が骨折して入院した折り、どういう話の脈絡かは忘れたが、半世紀以上も抱えていた涙ながらの想いの吐露を70歳を過ぎた父から聞いた。

父が人生を通して本当にやりたいことは何だったのだろうか。

わたしの生育環境には、家族団らんの記憶が無い。
仕事に馴染めず転職を繰り返した父、
親戚の紹介からお見合いで結婚した母とは口論が絶えず。

父の口癖といえば、
「お金が大切。いざとなったら他人は助けてはくれない。」

自分の生きづらさを、長い間、家庭でのコミュニケーション不全のせいに集約していた。
しかしだんだんと、社会背景の家庭への影響を考慮に入れるようになると、
生きづらさの原因は社会システムの不具合にもあるのではないかと思うに至っている。

繊細でプライドの高い父には、戦後の十把一からげの教育システムは合わなかったのではないか。
勘が強く、想像力豊かで少し気の弱い父には、高度経済成長後の、何はさておき経済第一の会社勤めは命を削る行為そのものではなかったか。
そもそも、祖父母の戦中戦後の精神や思想の遍歴は、その祖父母の長男として生まれた父に大きく影響を与えていただろう。

何度も逃げ出しては、子どもの為と再就職を繰り返した父。
それ以外の選択は見いだせなかったのだと。

もちろん、全てを社会の仕組みのせいにもできないのは知りながら。。

「いのちはいい方にしか向かわない」

というのは、自然農の先生の川口由一さんの言葉。
父のいのちを継いだ自分が、より自分を発揮して生きてゆくことが、父の「こんなはずではなかった」人生に報いることができるかもしれない。
まだ存命の父に対して失礼かもしれないけれど、そんな風に思うことがある。

コロナ禍の最中、今年も国内数ヶ所で豪雨の為に甚大な被害が出てしまった。

市内では今回は被害は出てないらしいが、今夜もまとまった雨が降る予報。

日々、田畑で自然のふるまいを観察していると、いのちは最大限活かし合う働きをするのだなあと、驚きとともに感動することがある。

この、資本を巡らせてごくごく一部のみに富が集中するという物質文明での豊かさというのは、自然の営みからはあまりにも外れ過ぎていて、何かの勘違いでしかないのでは、と、少し呆然となってしまう。

コロナも豪雨も天災なのだが、ボタンを掛け違えたまま進んできた人の行いの集積の結果に思えてならない。
(自分もまさにその行ってきた一人であることを自覚しつづけながら。)

ひとりひとりのふるまいが自然に近くなれば、問題は解決するのではないか。

どうして生まれてきたのか。
自分が命をかけてすることは何か。

お金のために、なんて答えではなかったはず。

十代の父に聞きたい。

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