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反戦の姿勢は崩していないつもり

8月15日は太平洋戦争、あるいは大東亜戦争が79年前に終わった日となっている。

反戦につながると自分が考えるのは、

①日本国土の自然資本を最大限活かす(食糧安全保障、防衛、防災、エネルギー、経済)
②市民が思考停止に陥らず行政に関与していく(地方自治)
③備わっている身体の機能を最大限活かす
(保健)
④社会的なリソースを立場の弱い人に最大限向ける(インクルージョン)
⑤情緒を育む(教育)
⑥祈り
⑦ちなみに、軍の保有に関してはポジティブな姿勢。(国防、外交)

なぜ、以上が反戦に繋がると思うのかと言うと、自分の生まれ育ちで培われてきた残念な性情に起因している。

海軍兵だった母方の祖父が「戦争が終わったのではなく、負けたんだ。」と言っていた事を認知できたのは、三十代に入ってだったかと振り返る。
十代二十代は、精神的に不安定だったため、あらゆる事に対する認知力が非常に低かった。
第二次世界大戦か太平洋戦争か大東亜戦争と呼称でその人のアイデンティティが伺い知れるという事実を認識したのも、割と最近になってのこと。

わたしは、情緒的に恵まれず育ったと思う。
神経症の父と、カルト2世的なバックグラウンドを持ち、情緒不安定な母。
母方の祖母が、稲荷信仰者で、イタコ的に「オオタニさん」と呼ばれていた神の声が聞ける能力らしいものを、祖父含む親族が受け入れてしまっており、その絶対的存在からの声に抑圧されて育った母は、物事の理解が今でも非常に限定的である。

いわゆる昭和の中流家庭であり、衣食住に関しては与えてもらったが、情緒に関しては、父も母も無い袖は振れなかった。

わたしのひとつ上の兄は、学力偏差値の高い人で、最終学歴は国立大の工学部の院卒から某通信会社の研究職でエリートと呼ばれる地位に居るが、結婚はしていない。「女性と付き合って、勝ち気な面を見ると、その姿が母と重なり、一緒に居るのがつらくなる」と言っていた。
母は精神不安な夫ではなく、優秀な兄に恋しているように感じられるところがあった。兄もトラウマ混じりのつらい少年期だったかと想像する。
自分はというと、最終学歴は女子短大の美術科卒でフリーターでパートタイムジョブを転々とした。

今となっても、父母と一緒に過ごすのは少ししんどさを伴うので、滅多に実家には帰らない。首都圏に暮らす兄とは会話をしたのはこの20年振り返って数分くらいの関係性。

十代二十代は真っ暗な泥の中を泳いでいるみたいな感じだった。腐女子という言葉もない頃、趣味はBL同人誌を読むことだったけど、「コミケ」に行くような友人知人とも上手く付き合えず。今現在、連絡を取り合う学生時代の友人は一人も居ない。

二十代の終盤から通院を始めた医師の伴走支援的な治療でここまでやってこれたと思う。この医師の治療を母も受け続けてくれたことで、両親の関係性も保てたと思う。父にも通院を進めたことはあったが、自分はまともな人間であると信じていたために、通院することは敵わなかった。

孤独だった。もう本当に寂しかったし、死にたかった。
家族にも所属感は無く、友人もおらず、身体も弱く、精神も安定せず、賃金も低い。

このように経て来て、自分は未だ義理人情に希薄な人間である。三つ子の魂百までか。

今は、産土信仰に依ることで自我を安定できている部分があると感じるが、生育環境に起因する依存的な性情に足を引っ張られるパフォーマンスの悪さと言ったら。

自身の信仰について以下のnoteにその片鱗を記載。

もし、自分の人生を遡って、上記の①〜⑦が実践される社会であったなら、おそらくもっと自身のパフォーマンスを発揮できる人間になっていたのでは、と思うのである。

ところで、なぜ祖母が稲荷信仰に入ったのかと言うと、私の住む広島県呉市は旧海軍の拠点であったため、酷い爆撃を受けている。そんな中、産土(うぶすな)社の敷地内にあった稲荷の社だけ焼け残ったのだと言う。それで、産子の一部のコミュニティで稲荷信仰が盛んになったらしい。

母は77年の人生を、こんなキッカケにジャックされたまま過ごさなければならなかったのだ。
そのせいで、わたしも兄もトラウマティクな幼少期を過ごす羽目になった。

わたしが戦争を憎むのは、戦争の犠牲は、その最中に多くを奪うだけでなく、79年経とうとする今現在でさえ、市井の人を蝕み続け、各々のパフォーマンスを落とし続けるこの事実である。
だから自分は絶対的に戦争に対してアンチである。

わたしはリジェネラティブな自然に優しい活動をしている風で、「美しい地球と子どもたちの未来のために」活動をすることができない。
未だそこに情が伴わない。

わたしの活動の源泉は、起こしてしまった戦争が奪い続ける事象に対する「悔しさ」である。

共存共栄の姿である自然。
この自然の機能をテクノロジーが掬い取れる日は近いと思う。

エネルギーの自立、食糧の自給、健やかな心身、相互扶助のシステム、情緒の育成…。

テクノロジーの発展とともに、戦争から離れられる可能性は広がっていると思う。

薄情な人間だが、今、生きていることを有難いとは思っている。
生きている限り、自分にできることを。自分の持ち場で。反戦の姿勢で活動したいと思う。

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