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高専生が見た、iGEMの世界

はじめに(自己紹介)

 はじめまして!Japan_United(以下Ninjasと表記します)で1年間活動をさせていただいておりました、あさりと申します。チームでは主にwetとeducationを担当させていただいていました。
 題名にもあるとおり私は九州地方の国立高専に通っており、現在2年生です。学校での専門は生物と化学で、4年次で生物系と化学系にコース分けがあるのですが、どっちにするか死ぬほど迷っています。その前にストレート進級頑張ってね、というお話ではありますが……。
 ところで読者の皆さんの中には高専をよく知らない方も多いかもしれないので、ここで軽く高専という制度についても紹介したいと思います。
 高専は、中学卒業後に入学することの出来る5年制の高等教育機関です。低学年のうちは一般教養的な教科が多いですが、学年が上がるにつれ専門教科の講義や実験、実習が加わっていきます。そして、5年間の在学期間で各学科の専門の技術者を養成することを目的に教育がされていきます。
 ちなみに高専には“比較的どこの高専にもある学科”(情報学科、機械系学科など)と“全国的に見ても少ない学科”(化学系学科、文系学科など)がありますが、私の所属する生物や化学を専門とする学科は、全国的にも少ない方の学科です。そのため、私は千葉から進学し、現在は寮生活をしています。
 生物や化学が大好きで理科を愛してやまない人がたくさんいることを期待して千葉からはるばる飛びましたが現実ではそうもいかず、専門の先生とも上手く関係を作れずで焦りながら出会いを探していたところ昨年の夏にNinjasに出会い、今に至っています。
 1年間の活動を通して私の目から見たiGEMや、iGEMを通して向き合った自分のことについて今回は書かせていただきます。あまりチームのことや大会のことについて俯瞰して書くことが出来ずだいぶ自分語りのような文章になってしまうかもしれませんがご了承ください。

Ninjas加入のきっかけ

 前述した通り、私がNinjasと出会ったのは高専1年の夏休みの頃でした。
 ほとんどの高専では完全2期制をとっており、私の学校でもそれは同じで、8月中盤から9月いっぱいまでの長い休み期間のことでした。ちょうどその時私は前期に感じた、「高専って思ってるより自分の好きなことが出来ないんだ」という絶望を消化しきれずにいたことを覚えています。
 Ninjasに出会う前からiGEMという大会はその知っていましたが、まさか自分の年齢で出られる部門があるとは知らず、かっこいいなー大学生になったら出てみたいなー、そんな気持ちでいました。そのため、Twitterを見ていてメンバー紹介のnoteが流れてきた時は大きな衝撃を受けました。
 Ninjasは高校生チームで、しかも今年結成!みんなで同じ目標を目指す!そんなワードが大好きだった私はしっかりと飛びついて、確か9月頃に面談を受けました。その時は加入できませんとの連絡を受けましたが、いろいろあって新メンバー募集再開時に応募したところ、加入が正式に決定しました。
 面談の合否連絡のメールは2022年最後の日の夜に届き、ほんっっっとうに嬉しかったことを覚えています。いろいろなことに挑戦したかったけれどできなかった、入学前に夢見ていたキラキラした高専生活が送れなかった前期を乗り越えて見つけた光のような存在に、入学から3ヶ月をかけてようやく縋りつけたかのような感覚でした。

加入〜活動開始

 2023年開幕と同時に私のiGEMerとしての生活が始まりました。今もiGEMを好きだと思う気持ちは変わりませんが、この頃は今の何百倍もモチベーションが高かったと思います。
 ただ、そんな私でも希望に満ち溢れていただけではなく、加入と同時に今でも引きずるくらい大きな衝撃を受けたことを覚えています。
 テレビでしか聞いたことがないような有名私立校に通うメンバーが何人もいたり、みんな自分の専門を持っていて、大学のプログラムで研究をしている。当時は「こんなすごい人たちに混ざれるなんてすごい!がんばろう!」という気持ちの方がもちろん強かったですが、だんだん自分の境遇と比べてしまって苦しくなることもあったのは事実です。
 私はただ生物が好きなだけで、学校の授業で遺伝が楽しくて、有機化学も楽しくて、でもまだなんにも詳しくない、高専生だって肩書きに縋っているだけのただの人……唯一の高専生だという空っぽなステータスと、普通校との年間スケジュールがズレているから他メンバーが動きづらい時に動けるという「自分がチームにいることの利点」でどうにか自分を鼓舞していました。
 そういった不安も抱えながら活動は開始し、1年生の学年末までは書類作成やリサーチ面を主に担当していました。そうして少しずつチームに貢献できていたのではないかと思っています。

2年前期から夏休み

 学年が上がり、いよいよiGEMの活動も本腰を入れる頃になりました。個人的にはスムーズにはいかなかったものの無事にチーム登録が終わってから、毎週の定例会以外は細々と振られたタスクをこなしていたように思います。正直、1年生の時より授業数が増えて両立が大変だったということしか覚えていません笑
 学校では部活や委員会活動に明け暮れながら学校行事をこなし、私がようやく前期の期末テストを迎えるあたりから他メンバーはwetの実験をスタートさせていました。私も夏休みは千葉に帰省してラボに通う予定だったのですが、元々生物実験なんてほとんどした事がないのに夏休みのスタートも遅くて実験についていけないんじゃないか、技術もどんな実験をするのかもよくわかっていなくて私は足を引っ張る存在でしかないんじゃないかとものすごく不安でした。
 そんな不安を抱えたままスタートした夏休みでしたが、今振り返ると本当に頑張っていたと思います。前期のうちに知識の貯金を出来なかった実験の原理を叩き込み絶望する朝の電車、院生の方が教えてくださった時は本当に安心しながら、それでも経験が足りなさ過ぎて頭がパンクしそうになりながら行っていた実験、同時並行でしなければならなかったeducation関連のタスク、体を痛めながら寝た帰りのバス、時には自分の能力の低さに泣きながら帰ったこともありました。
 元々心身が強い方ではないので体が慣れず体調を崩したり、ラボまで往復8時間かかる距離から通っていたりしたので実験に行った次の日は一日中使い物にならなかったり……ですがつらいことばかりでもなく、将来の夢を見つけられた出来事もこの夏休みにありました。
 それは、リバネスさんと行わせていただいたeducationの実験教室での事です。私は1回目しか参加できなかったのですが、その回で私は講師をすることになりました。ただ、自分よりも知識があるメンバーを差し置いて講師をするのもあまり乗り気ではなく、話すの好きだしプロジェクトリーダーは自信ないな、やってみようかな、くらいの気持ちでやることを決めました。
 講師として説明をするにあたって必要になったスライド作成も初めての経験でもう1人のeducation担当者に半分お願いしてしまったり、私の担当の半分を作成するのもものすごく時間がかかったり、実験教室に対してネガティブな気持ちも正直ありました。ですが、できる限りの準備をしてドキドキしながら迎えた当日はびっくりするほど楽しくて、受講してくれた方がキラキラした目で真剣に話を聞いてくれたこと、人に教えながら実験の演示をしたこと、予定通りに綺麗に進んだ実験教室ではありませんでしたが、全てが今の私の糧になっています。
 そして、前述の通りこの講師の経験で、中学を卒業してから忘れてしまっていた「科学の楽しさをたくさんの人に伝える仕事をしたい」という気持ちを思い出せました。そのために今なにか頑張れている訳ではありませんが、将来に希望を持てるきっかけをくれた経験でした。
 8月末の実験教室後の私の活動としてはまたラボでの実験がメインになっていましたが、9月の2週目からはほぼ1人で週に3~4回程度実験に通っていました。半パンク状態で実験をしていたのには変わりありませんが、少しずつ実験操作に自信を持てるようになって夏休みの終わり頃にはだいぶ成長できていたんじゃないかと思います。

後期始まりからjamboreeまで

 往復8時間の怒涛のラボ通いの日々も終わってすぐに始まった後期はもう思い出したくもないくらい初めから電池切れでした。学校に対してネガティブイメージが大きすぎてそもそも寮に帰りたくない、でも出席しないと留年する、それ以前に夏休みにだいぶ疲れ切ってしまった、まだまだタスクは残っている……すごく切羽詰まった状況でした。
 終わらない画像解析と降ってくる課題、毎週の実験レポート、1か月後に控える高専祭期間のための準備、忙しくて投げ出したい日々でした。でもNinjasの他のメンバーは睡眠を削ってタスクをこなしているし私が弱音を吐くわけにはいかない、私は能力がただでさえ低いんだから寝ずにやるくらいがんばれよ……!という謎のプレッシャーで、酷い時は3時就寝8時起床、寝る前嘔吐、のような日が何日も続きました。
 でも強く覚えているのもそれくらいで、10月後半はたぶん普通にタスクをしていたんだと思います。高専祭がjamboree期間中だったので、直前すぎて実行委員の方のお仕事を優先させてもらっていた記憶もあります。
 ですが最後に私が関わった大きな出来事として、judging sessionがありました。私はeducation担当だったので参加していましたが、英語を使った会話の経験が乏しくここでももう1人のeducation担当者にだいぶ頼らせてもらいました。感謝してもしきれないです。
 肝心のsessionが文化祭当日の夜に当たってしまい、当日も実行委員の仕事の傍ら質問対策をしていたくらい余裕がなく、精神的にずっと緊張していた高専祭期間でした。しかし直前に意識して聞いていた洋楽が少しは生きたのか、judgeの方が大絶賛してくださっている言葉が聞き取れてすごく嬉しかったです。
 sessionが終わってからは不安も少しは和らぎ、Grand prizeもあるんじゃないか、このチームでなら奇跡みたいなこと起こせちゃうんじゃないか、そんなポジティブなドキドキで夜も眠れなかったことを覚えています。
 実際に結果が発表された日、私は体育祭に参加していましたが、今考えたらよく生きてたなと思います。でもリーダーは体育祭の日に休憩中ラボに来ていたような人だったので、この日リーダーに何度目かのいい意味のドン引きをしました。
 現地参加できなかったメンバーがdiscord上に集まって結果を待っていたあの時間は私の語彙力では表せないほどに輝いていて尊くて、儚くて綺麗なものでした。全員で緊張して息を飲むあの瞬間、過去の活動を思い出して鑑賞にひたった瞬間、Award獲得でイヤホン越しに聞こえてきた歓喜の声、全てが私に「1年間頑張ってよかった、諦めなくてよかった」と思わせてくれました。私はそんな大きな貢献ができていたとは胸を張って言えないけれど、このメンバーに出会えたこと、少なからず一緒に頑張れた時間があったこと、本当に誇りに思っています。

最後に

 1年間を思い出し、時に精神的にダメージを受けながら書いていたらまとまりのない文章になってしまいました。見苦しい文章だったかもしれませんが、ここまで読んでいただいた方はありがとうございます。
 今回tax_freeさんに機会をいただき、せっかくだから「家で一人でできる自由研究しかしたことがなかった、先行研究を調べるという概念すら知らなかった、何者でもなかった田舎出身のただの高専生」という、Ninjasの中では少し特殊?な私が過ごしたiGEMerとしての1年を振り返ってみました。
 この1年で私は夢を取り戻せたし、人と何かを達成するために頑張ることの素晴らしさを知ったし、何より憧れ続けていた「研究」という行為にすごく近付けたと思っています。
 ただ、Ninjasへの応募の(不純な)動機として大きかった「弱い自分を強制的にでも変える」という目標は達成できませんでした。実力が足りていないとわかっていながら努力ができなかった夏休み以前、圧倒的な経験不足を知識面だけでも埋めることがほとんどできなかった夏休み、思い返せば努力が足りていなかった場面は数え切れないほどありました。
 しかしその後悔からも学んだことがあります。当たり前ですが、何事も基礎が大切だということです。私はそもそも合成生物学について学ぶ以前に前提知識が足りていなかったり、そもそも心身が不安定なのに鞭を打ってでも頑張れば変われると思い込んでいたことがいけなかったと思います。
 今までその場で頑張ればどうにかなるような経験をたくさんしてきてしまったので自分を過信していましたが、小さなことから身につけて着実に上に登っていくメンバーを間近で見ていたことで自分の浅はかさに気付くことができました。
 ただ、気付いたところで今は何も変われていません。変わる努力もできているかと聞かれたらできていないと答えるしかないような状況です。ですが、この1年間は確実に私に自信を与えてくれましたし、日常への向き合い方も変えてくれました。
 このチームに出会えたこと、iGEMを1年でも経験できたこと、何より素晴らしいメンバー、先生方、協力していただいた学生の方々に1度でも関われたことは今でも私の糧になっていますし、これ以上ない良い経験です。
 iGEMに出会えて本当に良かったです。実験をする楽しさも、人と関わることや科学の楽しさを伝えられる喜びも、全てiGEMに再確認させてもらえました。

 また長々と書いてしまって不自然な終わりになってしまうことがとても残念ですが、未来のことはあまり書きたくないのでここら辺で締めくくりたいと思います。
 1年間を振り返るきっかけをくれたtax_freeさん、共に活動してくれたチームメイト、支えてくださった関係者の皆様、励ましてくれた先輩、肯定してくれた先輩、交通費を出してくれたり送迎をしてくれた両親、本当にありがとうございました。そして、挑戦してくれた自分、どうにかプロジェクトに関わり続けた自分、不器用ながらも頑張ってくれた自分、ありがとう。
 iGEMを通して自分の生き方を見つめたしがない高専生の下手な文章でしたが、この文章が誰か一人にでも刺さってくれたら嬉しいと思います。

後味も中身も美味しくない文章かもしれませんでしたが、ご拝読、ありがとうございました。

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