先生こそ「仰げば尊し」を歌おう

一昔前、卒業式の式歌は「仰げば尊し」と決まっていたが、近年は「贈る言葉」や「旅立ちの日に」が増えているようだ。

学年主任をしていたとき、「仰げば尊し」を式歌にしようと、歌詞や歌い方を調べてみた。この曲は三コーラスで、一番は卒業生の師への感謝、二番は師の卒業生への説諭、三番で学校生活を振り返り「今こそ分かれ目いざさらば」で終わる。一番は卒業生、二番は教師、三番は両者で歌う構成になっているのである。生徒に尋ねてみると、ある中学校一校だけがそのように歌っていた。

「仰げば尊し」が姿を消した原因の一つとして、二番の「身をたて名をあげ、やよ励めよ」がある。立身出世は時代にあわないという教師がいるらしい。「身をたて名をあげ」を否定するのなら、卒業生の有名人を学校紹介に掲載するのは止めたら、と皮肉の一つも云いたくなる。が、問題の根っこはもっと深いところにある。

「信頼されている・期待されている」という自覚は生きるエネルギーとなる。であるなら「信頼しているよ・期待しているよ」というメッセージを送り続けることは、師が弟子に対して行う大切な責務の一つである。教育という営みは卒業式まで続く。だから、先人は「身をたて名をあげ、やよ励めよ」という歌詞を作ったのだろう。二番を必要とみるか不要とみるかに、先生の教育観が反映しているように思う。

「仰げば尊し」を、一番は卒業生が、二番は教師が、三番は全員で、と正しく理解して歌っていた学校は、旧制師範の流れをくむ大学の付属中学校であった。

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