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エスの旋律(4) 麗しき悪魔

 ROSY ARIA(ロージー・アリア)というバンドは、狂っているのが普通だ。
 ドラァグクイーンでお金持ちで、愛人もいるおキヨさん。
 妻子持ちだけど何故かニューハーフである次郎さん。
「次郎って呼ばないでください黒曜ですから」
 あ、これは黒曜さんを本名で呼ぶ定番のギャグね。
 そして、ヤバそうに見えてまとも、と言われ、でもゲイだと時々勘違いされるぼくが寄せ集まった結果なのだ。
 何故か二丁目のお仲間より(いや、ぼくはお仲間ではないが)、ノンケっぽい女性のファンが多い。
 これは……内心土下座したかった。
 ファンと言ったが、古参の彼女たちの場合、元々はただの身内……仕事関係でコネのある人らであって。
 事務所の同期がめちゃめちゃ手を振ってくれているのが申し訳なくて、涙が出そうだった。
 そんなこともおキヨさんはガン無視して、マイクを手に叫んだ。
「みんな待ってたかしら!? 今夜、ついに麗しき悪魔が目覚めるわよ!!」
 この、クッソ面倒なバンド設定。
 しょうがないので説明しよう。

 人間界でいえば、十年くらい前。
 世界の終焉を望む哀れな男たちが、麗しき悪魔のお導きによって集った。
 しかしその悪魔は既に憔悴(しょうすい)しきっていて、人間の絶望をエネルギーとして補給できなかったため倒れてしまう。
『飢えたはぐれ者たちよ、音楽の力で世界を終わらせるのだ……!』
 しかしうちはただの男ではない、美を追求する人間だ。
 曲も演奏せずに「麗しき悪魔とは何だ、自分らより美しいとでもいうのか」とよく揉める。
 ぼくは新入りなのでその悪魔の顔を見たことがないと言うと、どうも世を忍ぶ仮の姿でさえ謎らしいから、うっかり取っ組み合いの喧嘩になりそうになる。
 そうやって色々あって、最後に大団円を迎える……よう、台本で仕向けられている。
 麗しき悪魔が一時的に目覚める声によって。
 ……とまぁ、他の人が言うには、ロジアリはちょいちょいぶっ飛んでいるらしい。
 なんせ自分は楽器も弾けないでいるのだ。
 ウケそうだからという理由だけでダンボール製のベースらしき何かを抱え、新メンバーのオーディションを受けに行ったくらいである。
 しかもそれはネタのはずが、マジでダンボールベース担当としてオーディションに合格したのだから笑いが止まらない。
 そんな、のんきなことを当時は思っていたのだ。
 『終焉の目覚め』と名付けられたライブが行われるまで。

 おキヨさんの言ってたとおり、このライブは特別なことが起こるらしいというのは打ち合わせの段階で知っていた。
 それでも、目を疑うような光景が広がっていたのだった。
「君たち、世界が終わるっていうのに元気だね。元気だからこそ……闇の力を取り戻せたとも言えるが?」
 今までは声しか知らなかった、「椎菜(しいな)」という名前の美少年がステージに立っている。
 華奢で、背も小さくて、でもボンデージ姿。
「欲深きウサギちゃんたち。僕の目覚めを、待っててくれてありがとう」
 それは低く冷酷で、キザで大げさな声色。
 客席はたちまち、今までにない熱気と黄色い歓声に包まれた。
「跪(ひざまず)け。そして、破滅の旋律に身を委ねよ!」
 世界の終わりを望む悪魔は、大きめのパーカーを羽織っていた。
 ぼくがバイトの給料をはたいて買った、リボンの飾りのついたものだ。
 ……椎菜なんて子じゃなくて、天野セナという名前の女子高生に買ってあげてたはずの。
「せ、セナさ……げふっ!?」
 こちらに振り向いたセナさんの膝蹴りが、ぼくの腹を直撃した!
 ダンボールのおかげで若干、衝撃が和らいだか。
「おや。君は見ない顔だが、どこの誰と間違えてるんだい?」
「ごめんね椎菜ちゃん!!」
「曲の邪魔をした上に、ちゃん付けとはいい度胸だね」
「ごめんなさい椎菜くん!!」
 リアルに痛いのに、彼女……いや、彼は冷たい声でこう返してきた。
「椎菜『様』、でしょ?」
 客席の彼女たちは笑っていたが、こちらはもう、リアルにひどく痛むのだった。
 だってあんなに恋焦がれ、愛していたはずなのに。
 制服姿のセナさんと密かに手をつないだ日だってあったのに、これは何なんだ。
 バンドのレコーディングでいつも先に入っていた、やっぱり自意識過剰で暴力的で、それでいてピュアすぎて壊れそうな声は、彼女の声だったというのか。
 あんな歌声、ぼくは知らなかった。
「さぁ、もっと泣いてみろ。懇願してみろ! 自らを清く正しいと思い込む人間どもよ。君たちはただ欲にまみれているだけだ……僕の姿が見たい、その声が聴きたいという欲にね!!」
 ぼくの胸の内で、彼が低く冷たい声でささやいた。
 この豚野郎、と。

 椎菜とは、天野セナとは、誰なんだろう。

 それは、今から三年ほど前のことであり。
 当時よりも人気の出てきたうちのバンドは、あの衝撃的な公演を再び蘇らせることに決めた。
 しかも、この国がまるっと浮かれ立つクリスマスの時期に。
 個人的にはセナさんのことを思い出してしまうのであまりいい気分ではないのだが、この作戦は功を奏した。
 初演を知らなかった人たちも大勢集まり、「厨二病の塊みたいな椎菜」の正体に驚いた人も結構いたようだ。
 そう、今……おキヨさんの豪邸でオムライスをむさぼって、ほっぺたをハムスターのように膨らませているのもまた、椎菜さんなのだ。
 オムライスは飲み物とばかりにすごい勢いでほおばっているので、残りはもう二、三口ぐらいしかない。
 スウェット姿なのに何故か麗しいのは、その服装に似つかわしくないくらいに気の強いメイクを施してあるから……だと思う。
 セナさんの肉体に椎菜さんの精神、という設定は、カメラが回ってなくても、観客がいなくても貫かれている。
 それがいちいち、こちらの胸を締め付けるのだった。
「椎菜くんどうですか? 半熟にしようとしたらちょっと失敗しちゃって」
 普通の地味めなおじさんにも見えるおキヨさんが、普通のおじさんのように喋っていた。
 ドラァグクイーンとは要するに女装の男で、メイクと衣装さえ取ってしまえばそこら辺のおじさんなのである。
「おいひぃ。黒部のご飯より好き」
「黒部じゃありません黒曜です」
 美女にしてはえらく太くて低い声をした黒部……じゃない、黒耀さんがため息をついた。
「そこまで気落ちするな」
 男言葉のセナさんというのは、いつ見ても違和感しかない。
 だから次第に、ぼくはロジアリのアジトにいる時のセナさんのことを、椎菜さんとしか呼べなくなった。
「僕は、黒部が小娘のマネージャーでいてくれて良かったと思っているのだから」
 セナさん自身のことなのに、小娘と言うのも変な感じがしていたはずだが。
「そんなねぇ……そんな風に言われましても」
 黒曜さんの「世を忍ぶ仮の姿」は、ボーイッシュ系グラビアアイドルである天野セナのマネージャーだ。
 ナイスバディに黒部次郎という名だと、まったくもって忍んでいなさそうだが。
「今まで散々、私の言いつけを破っておいてそれですか。望まぬ妊娠でもするんじゃないかって、何年も肝を冷やしてたんですよ?」
「でもここに帰ってきたじゃないか。ロジアリに」
「帰ってくればいいってものじゃないでしょう」
 顔の青白い黒部マネージャーは、苦笑いを浮かべたのだった。
 ……ぼくは多分、この人が枕営業を仕向けたんじゃないかとも思うが……男として生まれたぼくに、その真意は分からない。
「『あなたはいつか必ず、この場所を求めるだろう』っておキヨが言っただろ。だからまた食べたくなったんだよね。オムライス」
「あま……」
「未だに椎菜様と呼べないのかい? この下民は」
「はい、椎菜……椎菜様……それはまぁ随分と気まぐれな」
 本当だよセナさん、とぼくがつい口を挟むと、それも即座に直すよう求められた。
 ゴミを見るような目を向けられるのは怖い。
「本質がどこにあるか、にもよるのだろうが。とりあえず今の僕は椎菜だ」
 オムライスの最後の一口を飲み込むと、美少年は口元にご飯粒が付いたままで言い放った。
「僕より上の目線で話しかけようとする愚か者は、おとなしく皿を洗え」
「御意(ぎょい)!!」
 おかげでぼくは、油っぽい食器をすすぐ時はお湯がいいことを覚えた。
「あらまぁヒロちゃんお行儀がいいのねぇ」
「……そうだね。行儀のいい豚じゃなければね」
 そっか、今はユウキだったわねとおキヨさんが小声でつぶやいた。
 ……ヒロちゃん……裕紀(ひろき)で別にいいですとは、言えなかった。
 どこにいようが何をしようが、セナさんはセナさんだろうと思うのだけど、セナさん本人はきっとそうじゃないから。
 セナさんは椎菜さんになって、愛らしい声で「ヒロちゃん」と呼んでくれることもなくなって久しいのだ。
 豚野郎とか、泥水をすすって生きる下民とか、そんなものだ。
 年頃の女の子らしく顔を赤らめてたり、キラキラ笑っている様を、直接見かけることがなくなってしまった。

 再演の半年前。
 彼女がアイドルとしての仕事をまっとうしてて、それがあまりに完璧すぎるから、思わず口を突いて出てきてしまった一言のせいだろう。
 可愛くない人だ、なんて。
 何度も謝ったけど遅かった。
 どうやら、こちらの気持ちは届かなかったみたいだ。
 彼女の初恋の相手として選ばれたはずのぼくで、それが特別だと思っていたのは一緒だと思っていたのに。

 セナさんはどこにいるのだろう。

 だって、天野セナというのは彼女の本名であるはずで。
 それが事実のはずなのに、自分も含めた周りの人間は「天野セナ」と名付けられた幻影に酔って、追いかけているだけのようにも思えてしまうから怖い。
 彼女に「椎菜」という新たな名前を付け、「彼」と呼び、冷酷で儚いボンデージをまとわせたおキヨさんは、鋭い人なのかもしれない。
 だってぼくの前に椎菜さんが現れるのは、いつも天野セナが傷ついている時だから。
 仕事の打ち合わせのために、スタジオを兼ねたおキヨ邸を訪れると、椎菜さんはだだっ広いダイニングで何かしら食べていた。
 服装はボンデージだけじゃなくて、黒いフリフリのゴシックものだったり、はたまたはんてん姿だったりする日もあったが、椎菜さんがノーメイクでいることはなかった。
 時々、さめざめと泣いている時もあった。
 そしてぼくの姿を見つけると、泣いたまま言うのだ。
「この小娘の絶望は、僕が生きる上での糧だ」
 その涙を拭う勇気は、自分にはない。
 同じ芸能界で、不遇ながらも輝いているセナさんが好きだったけど、その感情にはおぞましさすら孕んでいると知らされた。
 アイドルとして生きる人を……崇拝される側の苦しみを、ぼくは何も分かっちゃいなかったと。
 その悔しさは、おキヨさんに連れられて新宿二丁目のバーを訪れた時と似ていた。
 名前も年齢も、職場も全然分からないような人たちがどうしてこんな湿っぽい所に群がっているのかと思ったが、彼らはああいった場所でないと素直になれないのだ。
 おキヨさんは、あれは観光バーだからまだ生ぬるい方よと言っていたが。

 そうだ……よくよく考えてみれば、ぼくはおキヨさんの名字を忘れてしまっていた。
 表札が「OKIYO」であることに慣れて、本名をスッポリ忘れても平気で、いつの間にか春を迎えていた。
 そんな風に、天野セナに対しても接することができればいいのに。
 いつも、どうしても、深入りしたくなる。
 ぼくは彼女を救いたかった。
 決して叶わない望みだとしても。

 しかしまぁ、今年の春はことのほか寒かった。
 懐までも寒いとなると、足は自然とおキヨ邸に向く。
 掃除や皿洗いの手伝いをしてはお小遣いをもらったり、ご飯を奢ってもらうのが定番だった。
「……あれ?」
 椎菜さんではないか。
 ここ何ヶ月かは姿を見せることはなかったのだけど、この日は薄いノートパソコンを開いて考え込んでいた。
 しかも、ロジアリのメンバーだけじゃなくて、裏方の女性スタッフも何人かスタンバイしている。
 ズバズバとオネエ言葉で指示を出すのは、女装姿のおキヨさん。
 何となく嫌な感じがして、ぼくは問いただした。
「あの、セナさん……『セナさん』が、生配信の仕事で忙しいからとか言ってませんでしたっけ」
「あぁそうだな」
 非常に素っ気ない返事だ。
「PCのウェブカメラ程度の画質では、この僕の破滅的な美貌を表現できないからな」
 そんなまさか。
 いつもなら「この小娘の体は僕が乗っ取った」という、ただの設定にされてしまっていたが……
 自分は、このギャグでは笑えないでいる。
「あの、お、おキヨさんこれは」
「大丈夫。今日撮るのはLシスのおニューシングル告知♡」
「あぁそうか。セナさんがセンターの曲もあるしよか……いや!!」
「あらまぁ」
「あらまぁ、じゃありません! 何してんスかおキヨさん!!」
 この女装おじさんも随分と悪い人だ。
 ぼくの不安を鼻で笑っている!
「これ次郎さんとか、Lシスサイドに許可取ってるんスか!?」
 おキヨさんはニッコリした。
 こってりしたアイシャドウが怖い。
 ちなみに、Lシスというのはセナさんのいるアイドルユニットのことだ。
「まぁ、何か騒がしい奴がいるけどいいだろう。清隆、今から終焉を始めよう」
 御意、とおキヨさんが応じた(清隆というのはおキヨさんの本名。やっぱり名字は思い出せない)。
 ぼくは本気でうろたえた。
「こ、このご時世で……動画の視聴者に絶望しろとか言うわけ? 一致団結とか絆とか、そういうのじゃなくて?」
「そんな薄っぺらいこと言うわけないでしょ」
 おキヨさんは一蹴した。
「アンタ、今まで何を見てきたのかしら」
「ロジアリならそれでも通じるでしょうけど、何でよりによって」
「だーかーらー、Lシスを、彼女を何だと思ってるの。アンタそれでも元彼?」
 ぼくは椎菜さんじゃなくて、セナさんの元彼だ。
 おキヨさんに鋭く突っ込まれるのも無理はない。
「だってあのメンツよ? ただキラキラしてるだけのアイドルなんてねぇ、この子が目指すわけないじゃない」
 あぁ、これは台本じゃない。
 ぼくの背筋は凍った。
「分かっているから、黒部次郎は彼女を道連れにしたの。アタシのためにね」
「そんな……セナさん……セナさんは結局、大人に利用されて……」
 ボンデージの美少年が、口元だけ微笑んでみせた。
「契約と呼んでいただきたい。まったく、下民のおつむとはその程度なのか?」
「セナさん」
「椎菜だ」
 こんなつもりじゃなかった。
 変なバンドでただ、やけに凝った設定を面白がっていたかっただけなのに。
「君は、当時高校生だった天野セナを救いたいと言った。モデルの仕事が途絶え、友人もおらず、家族とも不仲だった彼女を」
 そう、確かにそうだった。
 彼女の価値を、きらめきを、お金で換算してばかりの大人にうんざりしていた。
「今ようやく、君の望みを叶えられそうだよ。この旋律でね」
 ぼくは言葉を失った。