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孤独は良き友。

こんにちは、麻野かんなです✨

挨拶の折りに、孤独について少し触れたので、今回は孤独ってそんなに悪いものではなく、むしろ歓迎すべきものなんだよーという話をしていきます。

最近でこそ、おひとりさま時間!を楽しむ人が増えて来たように思いますが、自分軸が無いと、周りの目が気になってしまって、楽しむ事は出来ませんね。

孤独は悪いもの、というイメージがどうしても付いてしまいますが、それもひとつの集団心理(ネガティブバイアス)が働いているだけで、孤独自体は悪いものでも、人生に不要なものでもありません。

周りと差を付ける実力を得る為に自己研鑽する時も、感情と上手く付き合う為に自分をコントロールする時も、しっかりと自分の心身を癒す時も、孤独である方が上手くいく事も多くありますし、孤独を知っているからこそ、人に優しくする事もできる様になります。

群れている時は楽しくても、自分の人生を切り開く時期に入ると、孤独との付き合い方で、結果は歴然の差を生みます。これは誰しも例外なく当て嵌まるかと。

一人きりだからこそ、立ち止まったり、寄り道が出来る。

自分から孤独を味方に付ける事と、孤独な人生を送る事は全く意味が違います。そこをゴッチャに捉えてる人が、まだまだ多い様に感じます。

孤独を良い意味で味わっている人の過ごし方に、ワザワザ難癖を付けて、可哀想な奴wwwと勝手に妄想し、コイツに比べれば、自分は孤独じゃないぜ!と安心する残念な人も中にはいますね。

その人が、どんな人なのか知ろうともせず、きっとこういう奴だ!という決め付けでレッテルを貼ります。

こういう人は、孤独を何よりも恐れ、常に誰かと一緒に行動したがります。
周囲の人がしていない事はせず、周囲の人がしている事ならする、といった他人軸で人生を浪費します。

この様な感覚で人生を過ごしていると、大きな決断を自分1人でしなくてはいけない時に、深く考えず、人の意見を鵜呑みにして、それを信じ、運が悪ければ失敗し、アドバイスをした人に文句を言ったりします。

全て最終的な判断は自分が下している事を自覚できて居なかったりもします。そして、「何故私ばかり運が悪いのか」といった間違った捉え方をしたりします。

気の進まない飲み会に、行くと決めたのは自分自身。

和を重んじるのは日本人としては素晴らしい事ですが、時として、特に現代では、それが重荷になる場合も多いです。

大きな理由のひとつとして、自分を知る前に、他者と足並みを揃える事を教わる事、があると思います。
日本の義務教育は、良い面も悪い面もあり、生徒の学力は一定の水準を保てても、その代わりに個性は埋没するように出来てしまっています。

この日本の教育方針に疑問を持ち、純粋な日本人でありながら、他国で授業を受ける知人も居ました。
良いか悪いかは、家庭環境も友人関係も影響するので、教育だけが悪い訳ではありませんが…。

今現在は、まさに個性こそ強み、個性こそ正義と移り変わる時代。その波に飲まれ、誰かをただ模倣したり、夢や目標を持つ事が出来ず、ただ漫然と、消費者として日々を過ごしている人が多い様に感じます。

みんなと一緒にいる方が、安心安全だと信じている。

希望や目標や夢は、ある日突然湧いてくるものでは無く、誰かがお膳立てしてくれるものでも無く、役割を全うするだけの日常に与えられる物でもなく…自分を深く知る作業の後の、ご褒美として見つかる物だと思います。

来る日も来る日も同じような人と、同じような会話をしていて、それだけで満足していたら、何年経っても人生に大きな変化は起きません。

自分の個性の再発見。
それは自分の人生を謳歌する為には最も重要な事だと思います。そしてその作業には、一定期間、徹底した孤独が必要になります。人と一緒に居る時には、集中出来ず、自分の核は騒音に塗れて見付けられません。

・1人で本を読む時間を作る
・1人で瞑想する時間を作る
・1人で運動する時間を作る
・1人で感謝する時間を作る
・1人で人生を振り返る時間を作る
・1人でも楽しいと思える事を探す

これが出来ている人は、釈迦に説法なので笑
孤独を友とし、引き続き自分軸を生きてください。

逆に、コレが殆ど出来ていなくて…

・常にSNSに常駐する
・見たい番組がない時もテレビを垂れ流す
・YouTubeで笑えるだけの動画を見続ける
・遊ぶ内容も決めずにただ友達と集まる
・行きたくもない飲み会に立場上で参加する
・惰性で同じオンラインゲームをひたすらやる など

孤独を掻き消す為に、しなくて良い事までしていたら、今の人生が自分軸ではない証拠です。
たまになら良い事でも、毎日、毎回となると悪い方に、易い方に流れていき、悪習慣だけが残ります。

皆で浸かってると心地良い、だけど歩みは止まっている。

自分を正確に知るのには、意外にも努力が必要です。
性格分析や他者評価だけでは証拠不十分なのです。

ルーツや生育環境、遺伝的体質、人間関係とその経験、そして自分の興味の移り変わり、その背景等にも自分を形作る要因が沢山存在していて、ながら作業では到底確信にたどり着けないものです。

しかし、孤独を活用し、自分を読み解いて行くと、自分の正しい取り扱いが分かって来て、好き嫌いの色分けも出来るようになっていき、自分の機嫌を自分で取る事が出来るようになります。

自分軸を生きている人は、自分を通して人間に対する理解を深める為、一時の感情に振り回される事も、他者を批判する事も、誰かのせいにする事も激減します。

他人軸で生きている人は、他者はおろか自分の事もよく知らないので、快、不快の感情にのみフォーカスする場合が増え、その結果、他責思考にまで陥ってしまいます。

他人に対して、すぐにこんな顔をしていませんか?

誤解して欲しくない事は、"誰かと居る時間も大事"だという事。
それが完全に無くなると、孤独は友達から死神に早変わりします。
他者が居るから自分が居る。他者無しで生きる事が出来ないのが我々人間です。

孤独を味わう時間と、誰かと愉快に過ごす時間。

どちらも等しく大事にすべきであり、偏った考え方にならないように気を付ける事が大切です。

人生は、そのバランスが取れている時に幸福を感じる事が出来たり、本当にやりたい事に出会えたりします。

現代人の生活スタイルだと、孤独を回避しがちになってしまうのは必然なので、まずは孤独である事の重要性を知り、それを享受してみる事。出来る所から取り入れてみる事。

自分の内面に磨きを掛けると、一年後にはどう成長するのか、自分の人生を使って実験してみましょう。

きっとその変貌ぶりに、自分自身が一番驚くと思います。

友達は友達。孤独も友達。
どちらも是非大事にしてみて下さい✨
絶対に人生の面白味が増す筈です。

麻野かんな🌱

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