見出し画像

美味しく飲んで、意識せずいつの間にか健康に。カテゴリー・クリエイターへの挑戦 Vol.67

こうなりゃもうついでだ。
このまんま手塚治虫についての解説を進めちゃおう。

さて、手塚治虫の手を離れた虫プロのその後であるが、やがて経営不振となり倒産してしまう。そのことで、手塚治虫も個人的に一億を超える借金を背負わされたが、1973年の『ブラック・ジャック』で人気が回復する。続く1974年の『三つ目がとおる』もヒットし、復活を遂げたのだった。
だから、私にとっても、その辺りからがリアル手塚治虫だったのだ。
そんな訳だから、むしろ小学校高学年や中学生時代から、私にとって逆手塚治虫ブームが起こっていったのだった。

特に、日本テレビの24時間テレビの第一回目放送から、八作に亘って製作された2時間スペシャル手塚アニメシリーズは非常にセンセーショナルだった。
手塚治虫は、虫プロの倒産を以て、「金食い虫でしかないアニメはもうやらない」と宣言していたのであったが、このオファーに対してあっさり禁忌を破ったのであった。恐らくは、世界初の2時間テレビアニメに取り組む、ということにも心惹かれたのであろう。

画像1


そんな訳で、久し振りに作られた手塚アニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』。
私としては、ブラック・ジャックが動き、伊武雅刀が声を当てただけで、もう十分に感激なのであった。
(だって伊武雅刀だよ。デスラー総統だよ。スネークマンショーだよ。子供達を責めないでだよ。ハイ、ドウドウ。ーーー因みに、翌年からは野沢那智にスウィッチしたけど、これまた嬉しい。だってアラン・ドロンだよ。スペース・コブラだよ。パックインミュージックだよ。え? 判んないって? そりゃそうだ。さもありなん)

そして、この『バンダーブック』は、24時間テレビ内で最高の28%という高視聴率を記録した。
これにすっかり気を良くした手塚治虫は、翌年、また翌々年と2時間スペシャルを制作し続け、その陰で制作スタッフは脱落者続出の地獄の現場を体験するのであったが、まぁそれはいいか。

さて、そんな訳だから、幼少の頃とは翻り、手塚治虫は、私にとってもリアルな存在と化していた。それなのに、『火の鳥』に食指が動かずにいたのは、壮大すぎる、という先入観からであったのか。
以前、2004年にNHK-BSで放送されたTVアニメ『火の鳥』全13話は確かに観た覚えもあったのだったが、それにしたって、私が好きなアニメ演出家である高橋良輔(『太陽の牙ダグラム』、『装甲騎兵ボトムズ』のね)が監督を務めたからというのが主な動機であったし、また、このアニメ版では内容の割愛や改変がされていたことも、今回原作を読んで初めて悟ったのだったが、その所為なのだろうか、このTVアニメ版はさして印象に残らず、すっかり記憶からも抜け落ちていた。

画像2


とにかく、『火の鳥』全巻を、仕事そっちのけで(ん?)二週間ほど掛けて一気読みした私は、改めてこの物語と手塚治虫自身のもの凄さを感じていた。
1954年から1988年に掛けて、34年間描き続けられた火の鳥という作品。
(本当は違うけど、仕切り直ししてからの)一作目「黎明編」から、最終作の「太陽編」まで、過去と未来とに、交互に舞台を重ねながら少しずつ時代の振り幅が狭まっていっている。
そして最終話では現代に到達する、という構想であったのだが、その原稿に手を付ける前に手塚治虫は亡くなってしまった。

エピソードによって全くアプローチが変わるストーリー展開。特に「未来編」や「鳳凰編」など、どうしたら考え付くのだろうと、不可思議な念に囚われてしまいそうになるほどのスケールの大きさにも感心したが、時代の変化と共に、画風や表現方法もどんどん変化していることにも驚いた。
手塚治虫も時代を生き残っていくために、絶えず進化を求めていたのだった。

画像3


「生と死」、「輪廻転生」をテーマにした話の数々は、決してハッピーストーリーではなかったが、「火の鳥」=「永遠の命」と言うことには違いは無い。
漫画少年、アニメオタク、松田優作マニア、コンピューター・ナードと、かつては廃人的偏愛性向の道を突き進んでいた私の様な人間でも読んではいなかったのだから、多くの方々も未見であるかもしれないが、「火の鳥」の存在、そして、=「永遠の命」というイメージは定着しているに違いない。

私は、再び手塚プロダクションへ電話を架け、部長さんに言った。
「この機会に、『火の鳥』全巻一気読みしちゃいましたー!」
そう、まったくぬけぬけと。
アッチョンブリケ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?