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渓谷の石窟「ベゼクリク千仏洞」へ 1987.8

1987年、中国・新疆ウイグル自治区の旅。

火焰山を遠くから眺めた後、山の北側にあるベゼクリク千仏洞を訪ねた。

草一つ生えていない灼熱の荒れ地の中を一本の道路が延びていて、軽くほこりを上げながら軽トラックは突っ走る。間近に火焰山に連なる険しい断層がそびえ立っていた。

やがて、道路の真下に川が現れ、川沿いわずかに緑の林が見えた。目的地はその川の西側の崖の中腹にあった。

ベゼクリク千仏洞は、5世紀から14世紀にかけて造成された仏教石窟だ。

日本で仏教寺院というと、木造の伽藍を想像してしまう。一方、中国やインドでは崖に横穴をくり抜いて、その中に寺院を造成する「石窟」がいくつもある。代表的なものとして、中国の敦煌にある莫高窟、大同の雲崗石窟、インドにあるアジャンタ石窟群などが挙げられる。

軽トラックを下りてしばらく歩くと、絶壁の真ん中に石窟の入り口が並んでいるのが見えた。壮観だ。

ベゼクリク千仏洞にエントランスのようなものは特になく、入場料は支払わなかったような気がする。

石窟に足を踏み入れる。中に電灯はなく薄暗い。数分経過して洞窟の暗さに目が慣れてくると、わずかに外から差し込んだ光が、洞窟の空間に浮いた細かいほこりを照らし、その奥に壁画がじんわりと見え始めた。

かつて華麗な仏教美術絵画が描かれていたようだが、残念ながら激しく損傷している。壁画の多くは偶像崇拝を禁止するイスラム教徒によって、目と口の部分が削り取られていた。

また、主要なものは、19世紀後半から20世紀前半にかけて、ヨーロッパや日本の探検家により、持ち去られてしまい、ロシアのエルミタージュ美術館、日本の東京国立博物館、ロンドンの大英博物館などに散逸したらしい。

石窟の外観とは裏腹に、壁画は残念だった。

なお、ありし日のベゼクリク千仏洞は、龍谷大学の復元プロジェクトでインターネット上で見ることができる。

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