ゲイはゲイとして生きるだけで命がけ

僕が以前書いたこの記事。

「人を好きになるのに性別は関係ない」
「ゲイであるという事より自らの意志と気持ちが重要」
「ゲイであるという事で自ら扉を閉じている」

僕の場合、好きだった相手が限りなくヘテロであった事や自らのジェンダーを相手に伝える事によって相手との関係が崩れる事を恐れ、結果がどうであれ真実を伝えずそのままにして過ごしてきた。

ただ勘が良い人は僕の事を分かってはいたようだけどあえて口にはしなかったみたいだった。僕にとっては「普通」だった行動でも、周囲の目から見ればそれは「普通」ではなく「その感じがする」行動だったのだろう。

それでも僕はその事で大きな被害を受ける事は無かった。
多少のからかいみたいなものはあったけど、それは別にゲイでなくてもあるような事だったので僕はある意味運が良かったのかもしれない。

周囲の人たちはその事を気にしてくれていたのだと思う。
みんななりに。

・・・でも何でこんな事を書こうと思ったか?

ゲイが男性を好きになる
好きになった相手に気持ちを告白する
周囲にカミングアウトする、若しくは周囲がゲイであると気付く
男性同士で性行為をする、男性同士で手を繋いで歩く
ゲイが同棲し衣食住を共にする
ゲイだとカミングアウトしてこの世界で生きていく

僕の偏った世界観からすればこれらの行動全てが「命がけ」だと感じる。

ヘテロの世界でも男女の関係が拗れて事件が起きたりする事は多々あるが、ゲイの場合それとは違う事も多くある。

時々世界の何処かで起きる迫害と変わらないような事件。
ゲイであるという事だけで起きてしまう偏見と差別。

別にゲイじゃなくても起きるような問題は沢山あるし、ゲイだけの問題じゃない事だって沢山あるのに何でなのだろうと・・・。

不平不満を口にすればいくら書いてもきっとキリが無い。
あまり言いたくはないけどこれからどれだけ時が進もうと、ゲイの立場が世界で良くなる事なんて無いだろうと正直思っている。

ヘテロ男性からすれば同じ男性が自分を性的な対象として見るかもしれない、という事が嫌だったりその事に対して恐怖を抱いたりするのだろうなと考える事はある。僕からすればそれだけ男の性欲というかオスというものがどんな存在なのか、自分を見て考えるのかもしれないなと勝手に想像する。


ゲイは命がけでゲイとしての人生を生きていかないといけない。

だって・・・
僕は誰に何と言われようと男性が好きだから。

みんなは・・・。

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