正しいか間違いか、というより好きか好きではないかが心地よい。
年末ですね。
今日レッスンノートをつけている生徒さんが日付をかいているのをみて、びっくりしました。
このままいくと新年も新年度も新生活もあっという間にやってくる…!
毎日1日は長く感じるのに、年月は早くすぎているように感じる。不思議なことです。
さて、今年の振り返りを書こうと思っていたのですが、そういえばnoteを書きはじめてから歌のことや音楽のことをあんまり書いていなかったことに気づいて、1つ書こうと思います。
これは私がなかなか音楽というテーマで文章を書く気になれなかった要因の1つなのですが
SNSで、コンサート会場で、受けにいったコンクールで、また音楽スタジオで
「あの人のテクニックは間違っている」
と言い出す人を必ず少なからず目にするのが、またその場の空気が個人的にはあんまり好きではありません。
あと、もっと正直にいうと「あの拍手のタイミングはちがう」ってお怒りになるパターンも。。
これに関してはもしかしたら、演奏者・聴く人の立場ともに嫌がる方もいらっしゃるのかもしれないのですが
個人的には歌ってる最中にいただくフライング拍手は「ふむふむ、お気に召しましたか」とにんまりしちゃいます。(わざとはダメだけど)笑
お作法やマナーはどこにでもあると思うのですが、転校生にそうであるように、どうか、新しい人や知らなかった人には優しく教えてあげてください。
(くれぐれも、逆に場を乱すのはだめですよ。どこでも同じ。あと悪意がある場合は斬ってよし。キリリ。)
さてさて、どちらにもいい心地がしないのですが、共通するのは「他者の装備を正しいか間違っているか」で考えているところ。
と、時々「評論という手段をつかって自分の危うい正しさの根拠を得ようとしているように見える」ところ。つまるところはマウンティングですな。(時々耳にはいってくるのよ〜)
例えばコンクールの待ち時間などでも他の人の声を聞いて「どうやっているのかな?」とポジティブなケースもそうでない場合も熱心に考えているような人は、個人的にとっても好きだったりします。
なのでそれについて深く考えること自体は決して嫌いではありません。し、より伝わりやすく言語化する力は教える側はもちろん演奏する本人も鍛えるべき力だとおもいます。
(例えば、喉を使わないでは伝わりにくい場合が多いので、そうではなく喉に負担がないよう具体的に〇〇を使う、脱力で抜け過ぎてしまう相手には適切な出力で筋肉を動かす、など)
それに人は基本的には「正しく無い振る舞いをしよう」とは思っていないわけで、親切で言ってくださる場合や、何かの折に批評をいただいた場合は、成長のヒントとしていったんありがたく頂戴します。
でも。
正直いって
好きか嫌いかで表現してくれた方がしっくりくる。
というのも、
私自身「正しいはずだ」と言われ、そう信じていたものが、結果として自分には全然合っていなくて長いことまともに歌うことすらできない時期が続いた経験があるからなのです。
そのうちの一人から「〇〇ちゃんは同じテクニックをやってこんなに伸びている、ということはあなたには歌ではない別の道があるはずなの。だから…私のアシスタントをやらない?」
という、当時の私にとっては救いとみせかけた地獄のような提案をされたこともあります。
↑こんな気持ちになった
でもね、彼女が不親切だとも、彼女のテクニックが間違っていたとは思わないですし、その薬が効くケースの生徒さんに当たった時のために、引き出しの中には常に入れてあります。
他の楽器にもきっと言えることだと思うのですが、身体そのものが楽器である歌には個体差があると思います。本当は教える人は全員少なくともここを理解していてほしいところではあるのですが、声が素晴らしくてそれを隣で聞きながら歌うだけで上手くなってしまうパターンもあったりするので、自覚はないが体現が上手な人が教えることも、やはり正しくないとは言えないところなのです。
全ての楽器に合わせて正しい処方(すぐ効く方法を導き出す)ができるのがもちろん一番いいのでしょうが、イタリアでも多くの歌の講師が「このテクニックが唯一のものです!他は間違い!」と言うわけで、「これがbel canto(ベルカント)=たぶん正しいオペラの歌い方と言いたいらしい」ということなのですが、
個人的解釈が間違っていなければ
そもそもベルカントは15世紀末〜18世紀あたりのイタリアオペラにおいて発達した様式 が語源のはず。
そして今日(こんにち)歌い方にも結構流行りがあったり、またそこにあっているかはさておき、圧倒的歌唱をした歌手に対しては「あの人はもって生まれたものが違う…!」と称賛したりする。
で、そんな時に限って本人は「努力アンドテクニックなんです…。」と言っていたりして…。
ある程度の高水準で歌い続けていればしっくりくる努力アンドテクニックは不可欠だと思うし、何よりこのケースで言いたいのは、自分のテクニックとは方向性の違う歌唱にも心を打たれる可能性が多分にあるということなのです。
他の何か競技をみていても
飛んだジャンプを捕まえて「あの3回転ジャンプは飛んでいたけどただしくない」って毎回大きい声で言う人はそんなに多くはないのではないかな。多いのかしら。どうなのかしら。
好きか嫌いかのほうがなんだかしっくりくるし、聴く立場歌う立場どちらにある場合も、正しさを議論するより、誰か他の人とそれぞれの好みの差を分かち合っていけたほうが嬉しいなぁとおもうのでした。
ちなみに私が今の師匠のところに長く通う理由の1つが「このテクニックが唯一ただしいと言うつもりはない。これが好きな人とは一緒にやっていけたらと思う。」とおっしゃったことで、また、本人の中での筋は通っているものの、その中で目の前の人に合わせた処置に努めてくれるところでもあります。
…好きではないことについて書くのはうーんと思うところもありましたが、今年を振り返って何度か思ったことなので書いてみました。
年末年始、またその先も、皆さんが好きなものに出会い、心置きなく楽しめることを祈っています♬
また振り返りはゆっくり書けたらいいなぁ。
あたたかくして、ご自愛ください。
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