見出し画像

「大人」ってなんなんだろう。

私は今年37歳になった。
まだ子供だったころ、37歳なんて、すごく大人の女性なんだろうと想像していた。
では、今の私は想像していた「大人の女性」なのだろうか。おそらく、ビックリするほど想像していた大人の女性ではない。


ある方が大人とは自分のことを客観視できて、自己管理ができて、感情に支配されない人だ、と書いていた。
それを読んで、私は申し訳ない気持ちになった。何一つできていなくて、ごめんね、と。

まず、客観視。客観視って、自分で出来てると思っても難しい。だって、どんなに客観視しようと思っても、自分で見てるわけだから主観が入るのだ。
全ての人に共通の前提がない以上、他人の客観視でさえ、客観的ではないのではないだろうか。
客観的という言葉を辞書で調べると「個々の主観の恣意を離れて、普遍妥当性をもっているさま」と書いてある。
「個々の主観の恣意を離れる」って、自分ごとだと難しい。やってみようとチャレンジするものの、なかなか出来ない。
となると、私の中では「客観視って、、出来てないなぁ、、」という結論に至った。

続いて、自己管理。
たまに遅刻しちゃう。
お金の振り込みをうっかり忘れたり、たまにダブルブッキングしてしまったりもする。
ダメだよねって分かってるし、本当にごめんなさいって思う。
でも、頑張っても忘れてしまうこともある。
ストレスが溜まってしまって、ポテチやけ食いとかもしちゃう。身体に良くないって分かってるけど、やっちゃう。
あの「身体に悪いことをしてるぜ」っていう罪悪感に浸ってしまうことがあります。。
もう、本当に自己管理できません。ごめんなさい。


そして、感情に支配されない。
例えば、怒りに任せて人に何かを言うとかはあまりしないけど。でも、女性特有の体調の波のせいで機嫌悪くて主人に八つ当たりしちゃったりする。
それで寝る直前に主人に「今日は嫌なこと言ってごめんね」って謝ったり。
数年前は失恋して悲しくて仕事ができない、とかもあった。それは確かにプロ失格だなって思う。
感情に支配されない、も私にとってはなかなか難しい。

こう考えると、ある方が言っていた「大人」には私は全く当てはまらない。
で、ここからは私の考えなんだけど、「大人」ってそんなに完璧なものではないんじゃない?って思う。
年齢を重ねるごとに、色々な出来事があったり、大切なものが増えたりして、いつもいつも冷静ではいられない。
みんな、それぞれ理想はあるし、「こうしたい」はあるけど、出来ないことも多い。
だから、「私も出来ないもん、お互い様だよね」って、人のことを許せるのが大人なんじゃないかなぁ。
もちろん人のことを許せないときだってあるけど。
だけど、そのほうが生きやすい優しい世界なんじゃない?
すべてがビシッ!としてたら、それは素晴らしいことなのかもしれないけど、そんな人に出会ったことはない。
私もそんな風になりたいとは思えないし。

もっともっと、人が人に優しくなれる世界がひろがったらいいなぁって思う。
大人は「心が大きい人」なのかもしれないな、なんて。
そういう「大人の女性」を目指したいなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?