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「ある船頭の話」オダギリジョー(2019)@新宿武蔵野館

オフビートなロードムービー「さくらな人たち」(2008)から、かれこれ10年。映画俳優オダギリジョー、満を持しての商業映画デビュー作の本作。

舞台は、明治か大正時代あたり、どこか山奥の河川沿い。船頭のトイチ(柄本明)は、来る日も来る日も、村と町を往来する人々を船に載せ運んでいた。そんな客の中には、朴訥したトイチを慕う者も居れば、蔑む者もいる。そして、どうやら訳ありの者も。
また、上流では大きな橋の工事が急ピッチで行われているらしい。それは、トイチの死活問題にも関わらず、諦念を抱いているのか、それとも時代の流れに身を委ねているのか、橋の完成を心待ちにする村人達の気持ちを淡々と汲むようにも見えるトイチ。
そんなトイチのもとに、ある少女が現れ、彼の人生に変調をきたしていく。

前作の「さくらな人たち」では、饒舌で珍奇な会話劇を展開したオダギリ監督。
登場人物は、「さくらな人たち」ではタクシーに、今作では船に乗る事になる。密室会話劇からの逸脱として「さくらな人たち」があり、開かれた空間(自然)の中に人がいる「ある船頭の話」といったところだろうか。
トイチは、比較的寡黙な人物として存在しており、彼は、自らは語らず、客の話の聴き手として立ち回ることが多いようだ。開かれた空間に置かれ、どんなアクションも封じられていないのにも関わらず。トイチの生活が揺るがされ始めるのも、自ら切り開いた運命ではなく、偶然が舞い込んでくることによる。
ここまで来ると、この作品は、「受容」にまつわる話とまとめたくなる。しかし、そのような分かりやすさや、メッセージ性を軽やかに凌駕していく力強さのようなものが全編に揺蕩っているのも、また事実だろう。
そして、シンプルなあらすじだけあって、演出に自負がないと、なかなか撮りきることが出来なさそうな稀有な作品でもある。
また、奇才ティグラン・ハマシアンによる物語との絶妙な距離感を保ちつつ奏でられるピアノ、執拗なまでに自然の豊かさを切り取るクリストファー・ドイルの映像美は、言うまでもない。
#ある船頭の話
#オダギリジョー

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