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相手をよくみるということ

この記事は過去記事をリライトしたものです

先日、あるオンラインサロンの集まりに行ってきた。

最後に懇親会があったのだけど
ああいう時、私はいつも傍観者側だ。

自分が主体的に誰かと懇親するよりも
人と人とが関わり合っている様子を
ついつい観察してしまう。

こういう時、主催者側から見ると
ポツンと孤立している人に映っているのか
楽しんでますか?と声をかけらるんだけど
私は観察を楽しんでいるからいいんです…!

という気持ち。

あの人はなんでジャケットを持ったままなのかな、とか
時間を気にしてるけどこのあと予定があるのかな、とか
腕をさすっているから寒いのかな、とか。

これは看護師の性なのか
私独自のクセなのかはよくわからない。

観察に徹している自分を俯瞰しているとき
過去にもらった、こんな言葉を思い出す。

看護師の看るという字は
目に手をあてて相手をよくみることを表している。
患者さんをよく観察しなさい。
看護はそこから始まる。

この言葉は大学受験の時に
通っていた予備校の小論文の先生がくれた言葉。

学生のあいだはもちろん
看護師になってからでもよく思い出す言葉のひとつ。

私の看護観の大きな要素になっている。


今日これを思い出したのは
松浦弥太郎さんの本の中に
こんなフレーズが出てきたからだ。

どんなことでも、よく見るということ。
よく見るということは、見つめるということ。
見つめるということは、隠れているいいところを見つけるということ。


私が相手をよく見てしまうのは
相手の見えないところを
見ようとしているからではないかしら。

思えば、看護師の仕事でも
患者さんの大事なサインは
けっして簡単に見えるものではない。

いつも飲んでいるはずのお茶が減っていない
ということは、飲まない理由があるのかしら?
もしくは、飲めないほどの症状が…?

起床して挨拶しても返事がない
もしかして、まだ眠たいのかな
いや、もしかして意識障害かも…?

こんなことばかり。

相手をよく見つめるということは
相手の見えないところを
見ようとするということ。


言葉遊びみたいに聞こえてしまうけど
見つめるって、そういうことだと思った。

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