どうでもいいの果てに #8月31日の夜に
夏休み最終日。
多くの子どもが
「もっと休んでいたい」
「学校に行きたくない」
そう叫んでいるのと同じように
私もかつてはそうだった。
ただ、ひとつ違ったのは
もう身体がだるくてだるくて仕方がなくて
叫ぶ体力すら残っていなかったこと
そして
同じように心も死んでいたことだ。
前にもちょっと話したけれど
高校1年の夏休み、私は入院していた。
夏休み最終日は、病院から退院した日。
身体が鉛のように重かったのを覚えてる。
診断は急性扁桃炎と肝機能障害。
看護師になった今だから言えるけど
血液データ悲惨だったな、と笑えるほどだ。
久々に自宅の玄関にある鏡に
自分の姿をうつす。
私はそこで愕然とした。
ちょうど付き合っていた彼氏が数日前にお見舞いにきてくれていた。
その彼に、こんな姿を晒していたかと思うと、この世から消えてなくなりたかった。
そこからもう自己嫌悪が止まらない。
なんで見舞いに来ていいなんて
言ってしまったんだろう…
こんな姿を見せたら嫌われるかもしれない…
実際入院中、お風呂には1週間以上入っておらず自分がくさいのが許せなかったし、パジャマ姿で人と会うなんて恥ずかしいし、母と鉢合わせしたらどうしよう…と考えていた。
玄関でのショックを抱えながら
よろよろと廊下を通りリビングへ。
そこで、あるものと目が合った。
悪いことは重なる、とはよく言ったもので
ちょうど私の入院中に、家族ぐるみで親しくしていた方が亡くなった。
突然だった。
その人は、近所の小料理屋の店主。
胡麻豆腐と干物の焼き加減が絶品で
あの人の作る胡麻豆腐を超えるものに
今まで出会ったことがない。
私の好みや好きな味付けを熟知していて
いつもおまけだよと言って、コロッケを出してくれた。
偶然なのか必然なのか
ちょうど私と母が、最期のお客さんだった。
その翌日の朝、倒れたそうだ。
あの日も胡麻豆腐と金目鯛の粕漬けを食べて
カウンターでその人と閉店まで話していた。
これから、あさみちゃんが高校を卒業して大学生になって成人して…どんな大人になるか楽しみだよ
店主がこんな風に言ってた。
私も、大人になった自分を見せれると信じてた。
私も両親も、誕生日などのライフイベントの時は必ずその店で過ごしていたし
これからも、当たり前のように過ごせるものだと思っていた。
なのに
なのに
自宅のリビングのテーブルの上の、散らかったままの香典袋やお清めの塩をみて、本当にもう会えないという事実が、じわじわと自分に迫ってくる感じがした。
もう、いてもたっても居られなくて
早くそこから逃げたくて
すぐに自分の部屋に入った。
主がしばらく不在だった自分の部屋。
それでも部屋の様子は変わらなくて
机の上も、参考書やノートが積まれたまま。
しゃがみこんだらもう立てなかった。
久々の長距離の移動や退院した疲れだけじゃなく、心の疲労が勝っていた。
もう、明日から始まる学校なんて
どうでも良かったし
こんな姿で彼氏に会うくらいなら
死にたかったし
明日、友達と会ってきゃっきゃするくらいなら
本という物語の中に逃げたかったし
どうして店主が死ななきゃいけないかわからなかったし
そんなタイミングで入院した自分が許せなかったし
私のお見舞いよりも、お葬式や告別式に参加していた家族にも腹が立っていたし
でも、そんな自分の器の小ささにも怒りの感情が込み上げてきたし
なんで、こんなに悲しいのに泣けないのかわからなかったし
もう、すべてが、どうでもよかった。
学校も、家族も、自分でさえも。
怒りや、悲しみや、憤りの気持ちが
心を突き破って身体から放出しそうなのに
自分の体力が限りなく0に近くて
何もできないまま時間だけが過ぎる。
なんとか布団に潜り込んで
部屋の天井をぼんやり見上げた。
視線をずらすと、クローゼットの扉にはクリーニングから帰ってきた制服がかかっていて、静かに私を見下ろしてる。
心も身体もボロボロかもしれないけど結局、お前は、学校に行くしかないんだよ
そう言っているように聞こえて
頭から毛布をかぶって寝たふりをした。
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