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だから、わたしはスーパーを愛してる

本当に好きなものって
本人は無自覚なことが多いから
なかなか気づけない。

私の場合、そのうちのひとつがスーパーだった。

中でもOKストアが好きだけれど
これはオオゼキようこに出会うまで
まったく自覚出来なかった。

私だって、OKなら負けないもんね…!
と思いこのnoteを書いたのを覚えている。


就職してから海外旅行によく行っているのだが
考えてみれば、その土地で必ずスーパーに行っていた。

観光名所や世界遺産よりも
まずはスーパーを調べていた。

どんなものを選び買っているのか知りたくて。
その土地の人の、暮らしが見たくて。

もう、模写のために観察する勢いで訪問するので
1時間なんかじゃぜんぜん足りない。

同じフロアをなんどもぐるぐるする。

そして、できる限りそこで買ったものを詰めて帰ってくるので、たとえアジアであってもヨーロッパ旅行2週間サイズのもので参戦する。

ハワイ帰りの時は、スーツケースが重すぎてHeavy(重たい)の札を貼られたほどだ。

このnoteを書くために過去の写真を見返していたんだけど、やっぱり観光地よりもスーパーの写真のほうが圧倒的に多かった。

NYC、パリ、香港、ニュージーランド、ハワイ…

なんで今まで気づかなかったんだろう
というほどの枚数。

今思い返してみても
お店の人の会話や当時の温度感
お惣菜の匂いが身体を包む。

どこでもドアがあったらいいのに。



先日、友人が

どこのスーパーがどうとか
気にしたことなんてないよ
最寄りだからそこに行くってだけで

という話をしていて、愕然とした。

同時に、それだこれが世間の感覚なんだということも思い出した。
私はスーパーが好きだから、おかしいだけなんだ。


というのも、小さい頃から「近いから」という理由だけでスーパーに通った経験がないのだ。

関西に住んでいた頃は

・関西スーパー
・ダイエー
・イカリスーパー

この3つを母は使い分けていた。
この時から英才教育が始まっていたのかもしれない。

今でも実家では

・野菜は◯◯
・魚は△△
・豚肉とひき肉は□□
・牛肉と鶏肉、その他生活用品はOKストア
・出来合いのお寿司は☆☆
・パンはあそこ

など、めちゃくちゃ使い分けている。
しかも、家族全員がこれを把握している。

みんな食いしん坊であることに変わりはないのだが
それだけじゃない。

自分の暮らしにアクティブなのだ。
暮らしを豊かにすることが趣味とも言える。

これは決して

丁寧な暮らしをしましょう
高級で質のいいものに囲まれましょう
ということではなくて

自分の選択と行動が自分の環境を整えていくこと
ひいては、暮らしに直結していること

これが腹落ちしている状態というほうがベターかな。

お昼にパパッとつくる時の牛肉は安物でもいいけれど
夜ご飯のメインになる牛塊肉は
ある程度サシが入ってて欲しいし、柔らかいとなおいいな

みたいな。



こう考えていくと、スーパーとは

選択と行動という一連のプロセスを一番身近で体験できる場所であるとともに、制約(お金や時間)の中で意思決定の優先順位をつける練習ができる場所だと言える。

ちゃんと暮らしている人は
自分の軸があるから
仕事にもいい影響が及ぶ

なんて話も聞くけれど、意思決定の優先順位をつける練習を何度も繰り返している、と言い換えればみんな納得するんじゃないかな。

自分と自分の暮らしに関するPDCAを
回しまくっているんだから。


もちろん、意思決定の優先順位を学ぶために
スーパーに行こうっとなんて思わないけれど

だいたいどこにでもあって
比較的安価で
商品を通じて自分の価値観や生活を見つめられて
ワクワクできる場所なんて

スーパー以外にないと思う。


だから、私はスーパーを愛してる。


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