まるで手紙を書くみたいに

SNSで簡単に人と繋がれるようになったからこそ、最近では誰と繋がらないようにするかがわたしのテーマとなっている。


「足るを知る」が腹落ちしている状態というか、もう出逢うべく人に出逢ってそこそこしあわせにやってるから、それ以上を望まなくなったという感覚。

ちなみに、わたしのオンラインでの出逢いのピークは2018年。

オンラインサロンにたくさん入って、いろんな人と出逢ってわしゃわしゃするのが楽しかった。

今も連絡を取り続けている人もいるけれど、それは全体のうちのほんのわずか。これは、学生時代に出逢った友人すべてと連絡を取り続けていないことと似ている。

それぞれの変化を楽しみながら、受け止め続ける努力ができる関係性はほんとうに貴重なのだ。

Twitterのフォロワーもみるみる減っているんだけど、本当になにも感じていない。狙って投稿してフォロワーを増やすよりも、Twitterを楽しみ続けたいの、わたしは。


最近は、水面下でわしゃわしゃしていることが多い。

Discordでゲームしたり
メッセンジャーで会話したり
LINEでスタンプ合戦したり

公にならない場での遊びを楽しんでいる。

読書や動画コンテンツをみることも捗っていて、インプットがスムーズになってきている感覚がある。これも、鍛錬なんだろうな。


これはわたしの感覚の話だけど、広告で何万人という人にチラシをばらまくよりも、あの人に手紙を書き続けたい。

どうでもいい人には、届けたくないの。

拡散させるよりも、読んでくれた人の心にささりたい、まっすぐ。



Mediumをはじめたのも、そういう理由のひとつ。


ここでは、日本語で発信するといろいろとめんどくさいこと、具体的にいえば下ネタに関することや、流行りの感染症、医療に関する倫理観の話をしようと思ってる。

なぜ、noteで展開しないのかと言えば、リプライやDMで性器の画像を送ってくるような人や、それってここが違うと思うんですけど!と正義を振りかざしてくるような人が過去に複数いたのね。

ああいう人たちを弾くための英語での発信なの。

これはわたしの偏見だけど、彼らって総じて勉強が得意じゃないから英語で書かれてる時点で読むことから離脱してくれるのね。

英訳サイトを使ってまで読もうという意欲もない。
それなら、日本語で発信している人に絡みにいったほうが早い。

英語で書かれている時点で、英語を読めない人はお断りっていうことが案に伝えられる。

わたし自身、けっして英語ペラペラではないんだけど、学生時代は英語が得意だった。辞書があれば、なんとか英文を読み進められるタイプ。だから、英訳された文章を読み返すことで、自分の勉強にもなる。

そして、日本語だとインパクトの強い語彙も、英語なら学問の中のひとつの言葉として伝わるかなって。

Semen Kitとか
Non-expectant treatmentとか
Priaipismとかね。

英語だと、もっとクソリプ飛んできそうじゃない?と思われるかもしれないけれど、ここは専門用語をふんだんに使って弾こうかなと。

たとえば、先天性胆道閉鎖症ってcongenital biliary atresia というんだけれど、これ、胆道を意味するbiliary っていう単語を知らないと英語ペラペラの人でもわからないのね。

先天的にどこかが閉鎖している病気ってことしかわからない。

人間、知らない単語が続くと読む意欲が削がれるのは万国共通かなと仮定して、いろいろ実験しようと思ってる。

日本の医療制度も世界からみたら特殊なので、そのあたりにもアプローチできたら。


そのうち、英語でのテキストを翻訳アプリに頼らず書けたらいいな。
ふふふん。

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