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丘の上の大きなおうちで起こっていた、語られることのない命の話

こちらのマガジン。

月に1本くらいのペースで更新しようと思っているのですが、バタバタしてたら夏が終わりかけてました。

夏にはもうちょっと、ゆっくりしていってもらいたい。


基本的には、亡くなった患者さんについて書いているんですが、今回は番外編ということで、きっと今もどこかで生きている(と信じている)患者さんの話をさせてください。

そして、今回はじめて有料記事とさせていただきました。

話のほとんどは無料で読めるようにしていますが、医療倫理的な見解は、時に格好の炎上ネタとして扱われることがあります。

十分気をつけているつもりですが、この類の話に関しては、すべての人に配慮して書くということは難しい。傷つく人も、絶対にいるはずなんです。

同じような症例の患者・家族さんから「私たちはこうだった」、「あそこの病院はああだった」とご意見をもらうこともありますし、医師という権威性をふりかざしてくる人も、一定数います。

私は、そういう場で自分を消費されたくありません。
看護師だからって、すべての人を救えるわけじゃないから。

PVを伸ばすことや拡散を狙うよりも、私の考え方や価値観に合った人たちに届けば十分だと思っているタイプです。

だから、この場は、あくまでもナースあさみの見解をお伝えする場。

こうすべきだった
あっちにすればよかった
それは正しいとは言えない

という議論をする場にはしません。
だから、コメント機能はオフにしています。

感想や意見はTwitterでシェアしていただければ見にいきますが、お返事するかどうかは気分と体調とホルモンバランス次第、要はランダムです。

ご理解いただけるとうれしいです。


さて。

今回の主役は学生時代に受け持った患者さん、寺田さん(仮)
たった1日しか関わることはなかったけれど、10年以上経った今も忘れられないということは、いろいろと強烈な人だったということです。

人をケアすることとは、どういうことなのか。
この問いのきっかけをくれた患者さんでもあります。

きっと、皆さんこれを読んだあと
頭も心もぐるぐるすると思います。

どうか、そのぐるぐるを忘れないで。
もしかしたら
あなたやあなたの大切な人が
その渦の中心になる日がくるかもしれないから。


丘の上の大きなおうち

寺田さんは、まだ60代。
訪問看護の実習で、担当になった男性患者さんでした。

訪問看護とは、介護保険や医療保険のサービスのひとつで、在宅で看護ケアを受けられるというもの。
介護とどう違うの?と聞かれることも多いですが

・服薬管理(薬がちゃんと飲めているか確認すること)
・褥瘡や創傷の処置
・バイタルサイン測定
・注射や採血
・点滴交換
・浣腸や摘便、導尿などの処置
・ストマ管理におけるパウチ交換
・必要時、医師の診察が必要かどうか判断
・家族や介護者が疲弊していないかアセスメント

こういうことを、決められた単位数(30分単位)の中で実践していきます。病院の中でやっていることを、患者さんの自宅でも個別性を発揮しながら展開していくんです。


さぁ、寺田さんちが見えてきました。
寺田さんのおうちは、高級住宅地の丘の上にあります。

真っ白な2階建てのおうち。
家の門と玄関までの距離がすごく遠い。
駐車場には高級車がずらり。

家の脇には庭と花壇。
庭師が入って手入れされたその庭には、ひまわりや朝顔が見事に咲き誇っていました。

担当してくれる訪問看護師とともに、寺田さんの家に向かいます。

真夏の昼間。
降り注ぐ日差し、日陰のない門の前。
ピンポンの応答を待っているだけで、背中に滝のような汗が流れます。

訪問看護の◯◯です〜
はいはい、お待ちください

電動で門が開きます。
庶民の私からすると、この光景だけでテンション爆上がり。

ただ、玄関までの道のりが果てしなく遠く感じられます。
暑い…そして、遠い…
こんなに遠いなら庶民のままでいいや…と思っていた、その時

あ、そうだ、あさみさん。
これ靴につけてから、お宅にあがってね。
家の中に入ると汚れるから。


い え の な か に は い る と よ ご れ る か ら…?

一瞬頭がフリーズしましたが、とりあえず言われた通りに履いていたスニーカーにビニールカバーをつけます。


鍵のかかったサンクチュアリ

玄関をあけると出迎えてくれたのは、外国人の家政婦さんでした。

暑い中、ご苦労様です

ビニールカバーをつけた靴のまま、お宅にあがります。

大きなおうちには似合わない、狭い玄関。
なぜか横にもうひとつ扉があります。
そのまま玄関を通り廊下へ、そして寺田さんのいる部屋に向かいます。

部屋に入るためのドアは木製で、ヨーロッパ調の綺麗な彫刻が施されていました。
ドアノブには大きな鍵。

今、開けますね〜

家政婦さんが鍵をあけてくれ、部屋の中に入ります。


いました。
部屋の隅の方ほうに、寺田さんがいました。


寺田さんは、何も着ていない状態。
すっぽんぽんです。

うずくまって身を小さくしています。

ドアの開く音に反応したのか、こちらを見ていますが、私たちを見ているわけではありません。その目は、誰も見ていませんでした。

そして、鼻をつく匂い。
床には、排泄物が散乱していました。

なるほど、ビニールの意味を一瞬で理解します。

はい、検温して
身体や頭皮に怪我がないか観察しましょう

そうだ、私は看護学生。
私たちは訪問看護のために来たんだった。

寺田さんに近づこうとしますが、逃げてしまいます。
その逃げ方も、歩いて逃げるのではなく、這いずるように移動します。

どんどん離れていく距離。
はじめて見る私に警戒しているのか、訝しげな目をしています。

そこで訪問看護師がすっとかがみ、寺田さんに触れ、速やかに血圧計を巻きます。

今のうちよ

もっていた体温計を脇に挟み、酸素濃度を測る機械を指に挟みます。
血圧計を保持しながら、訪問看護師は全身をくまなく観察。

寺田さんは、最初抵抗するような様子をみせますが、次第に落ち着き、されるがままの状態になります。

私も頭皮や顔面に新たな傷や怪我がないか、観察します。

はい、変わりないですね

訪問看護師がそう言い終わると、家政婦さんが寺田さんの昼ごはんを用意してきました。

ただ、お箸やスプーンはついていません。
お皿に乗ったサンドイッチだけ。

お皿もふつうのお皿ではなく、子ども用のもの。
落としたり投げたりしても、割れない素材になっています。

昼ごはんを見つけた寺田さん、目に力が入ります。
お皿に駆け寄り、床に座ったまま手づかみでサンドイッチを頬張り始めました。

美味しいやありがとうなど、言葉を発することはありません。
部屋の中は、寺田さんがサンドイッチを貪る音だけ。

昼ごはんを一瞬で終えた寺田さんは、部屋の隅に戻っていきました。
そこが定位置なのだそう。

では、また来週来ますね

そう言い終えると、私たちは部屋から退散。
再び、家政婦さんがドアに鍵をかけました。


寺田さんを変えた病気

寺田さんの病名、それは、若年性アルツハイマー型認知症

認知症というと、一般的には物忘れやボケるという表現が使われることが多いですが、私から言わせればそんなの序の口です。

ニュースで取り上げられる高齢者の徘徊や異食事故(花や土など食べ物ではないものを口にしてしまうこと)、介護疲れによって介護者が患者を殺してしまう事件の要因が認知症ということも、ニュースで見聞きしますよね、

それほど、認知症は症状が進めば進むほど、人間を人間たらしめる思考と行動を奪う病気。

言葉が通じなくなる。
善悪の判断がつかなくなる。
不潔の概念を持てなくなる。

寺田さんの行動もそう。

衣服を着ていられないことや道具を使って食事を食べられないこと、トイレで排泄行為を行えないこと、すべて認知症による認知機能の低下によるものでした。

認知症はアルツハイマー型の他にも

・血管性認知症
・前頭側頭型認知症
・レビー小体型認知症

など、さまざまなタイプがあります。
その中でも、アルツハイマー型認知症がいわゆる認知症らしい症状を呈すると言われています。いくつかフェーズがありますが、最終的には脳全体が萎縮していくからです。

寺田さんは、アルツハイマー型認知症の末期状態でした。
いわゆる人間的な思考や行動は難しく、赤ちゃんに近い状態。

今後、口からの摂食行動が取れなくなったら、胃瘻か死かを迫られるような状況だったのです。


寺田さんは不幸なのか

ここで、読者の皆さんには気になることがあると思います。

寺田さんの置かれている状況は、虐待に相当するのではないか

ということ。

自宅とはいえ、鍵のかかった部屋に軟禁されている状態。
暴力や拘束を受けているわけではありませんが、子どもや高齢者などケアが必要なのにそのケアを放棄することも、ネグレクトという虐待の一種だといわれています。

もちろん、社会との繋がりはゼロです。

いくら認知症といえ、寺田さんの状況って倫理的にどうなんだろう…

そんな思いを抱えながら、帰ろうとしたその時

あさみさん、こっちよ

訪問看護師が靴のビニールカバーを外しています。
そして、玄関の横にある扉をくぐろうとしていました。
その向こうには、他の家政婦さん、そして寺田さんの奥様らしき人も見えます。

そういうことだったのね…

フルスピードで頭が回り、いろいろ合点がいく私。
靴のビニールカバーを外し、家政婦さんへ預けます。

扉をくぐった先には、本当の寺田さんちがありました。

広い玄関にはお金持ちの家の定番、白鳥の置物。
なんだか子どもが入れそうな大きな花瓶も置いてあります。

上を見上げればシャンデリア。
廊下の奥には長い階段があり、2階まで続いています。
上から石原裕次郎が降りてきそうな雰囲気。

奥様らしき人は、スーツを着こなしピシッとした印象。
専業主婦じゃなさそうです。

ご苦労様でしたね。
あっち(の部屋)は、いろいろ大変よね。
これでもどうぞ。

そういって、お茶とハーゲンダッツのバニラアイスを出してくれます。

いつもとお変わりありませんでしたね。
でも、また…少し痩せたような感じもしますね。

玄関にある椅子に腰掛けて、バニラアイスを食べながら訪問看護師が奥様に伝えます。

そうなの。
少しずつだけど、食事量が減っていて…
でも、胃瘻を作る気はないわ。
これ以上、生きながらえても、誰もしあわせにならないもの。
娘も息子も理解してくれているわ。

私もアイスをいただく。
やはり、ハーゲンダッツのバニラアイスは最高。

今日は学生さんが一緒ということは、例の話をすればいいのね。

奥様が寂しげな笑みを浮かべながら、私のほうに向き直してくれます。

主人の様子をみて、びっくりしたでしょう。

そして、これは虐待なんじゃないかって思ったんじゃない?
部屋の中に大の人間を閉じ込めたままにして。
私たち家族を酷い人間だと思うでしょうね。

でもね、私たちはこれでも主人を守っていると思っているの。
その理由を説明するわね。

彼はああなる前、そこそこ有名な会社の社長だったのよ。
バリバリのサラリーマンで、威厳のある父だった。

そう言って、玄関先にある家族写真を見つめます。
そこには、スーツをパリッと着こなした、威厳のある寺田さんがご家族とともに写っていました。

裸でサンドイッチを貪っていた姿からは、想像もできない凛々しい姿。

でもね、だんだんおかしなことを言ったり、仕事でありえないようなミスをするようになったわ。

私は何度も病院にいくように伝えたんだけど、彼はプライドの高い人でね。

認知症だって?俺をバカにするのもいい加減にしろ!
誰のおかげでこの家に住めると思ってるんだ!!

って言って聞かなくて。
そうこうしているうちに、ある日突然倒れてしまった。
脳梗塞の診断だったわ。

脳梗塞に加えて、もともとの認知症、そして入院環境という悪条件が重なってしまい、認知症の症状が一気に進んだの。

学生さんならご存知だと思うけど、入院すると認知症患者は検査や処置に協力できない、医療者に暴力をふるったりするという理由で身体拘束されることがあるわよね。腰にベルトを巻かれたり、手首を縛られたり。

あれで、一気におかしくなってしまった。
脳梗塞が落ち着き、幸い身体に残った障害はなかったけれど、以来ああいう状態なの。年々悪化してるわ。

私たち家族は、何があってももう二度と入院させないと誓った。
あんな仕打ち、人間にすることじゃない。

だから、彼がどんな状態であっても自由でいられるよう家を改装したわ。
さすがに、排泄物まみれで家の中をうろうろされたら私たちの暮らしが成り立たないから、玄関から空間をわけてね。

訪問診療や訪問介護をお願いしているのも、そのため。
ああいう状態の人を外に連れ出して、外来受診させるだけでこっちが参っちゃう。


鍵だけはね、しょうがないの。
本当はなくしてあげたいけれど、鍵をあけて外に出ていかれたら消息がわからなくなってしまう。

仮に警察に保護されても、認知症患者か精神疾患患者という理由で病院送りよ。そして、またベッドに縛り付けられる日々。ならば、まだ鍵をかけた部屋に閉じ込めているほうが、彼の尊厳を守ってあげられる、そう思ったの。

もともとプライドの高い人だったし、威厳ある彼がこんな状態になってしまったことを知られないためにも、家政婦さんたちはみんな外国人にしたわ。

口止め料って訳じゃないけれど、お給料だってうんと払ってる。
普通の家政婦は、おしっこやうんちの処理なんてしないものね。
彼女たちも、大変だと思うけど納得してくれてる。

私だって彼の跡を継いで、会社の社長をしてる。
稼がないと、この暮らしを、主人を、守れないから。

私たちを非難してくる人は、いつも口だけ。
彼のご飯を作るわけでも、おしりを拭いてくれるでもない。
口だけの人の意見は、聞かないに限るわよ。

これを虐待だという人もいるでしょうけど、私たちだってこれ以外の方法で主人を守る方法があれば知りたい。

いつも、いつもそう思ってるわ。

ここまで一気に話終えて、奥様もお茶を飲みます。

訪問看護師は私を見つめて、にっこりしています。

寺田さん、ありがとうございました。
さ、次の患者さんが待ってるわ。
あさみさん、そろそろ行きましょうか。

家政婦さんと奥様が揃ってお見送りしてくれます。

この後も、他のお宅をまわるんでしょう。
これ、持っていきなさい。

そういって、凍らせたポカリスエットを渡してくれました。

玄関を出ると太陽がこれでもかと光を注いできます。

足元を見つめると
ビニールのおかげで汚れなかった靴。
口の中に残っているバニラの香り。
手元には、冷たいポカリスエット。

振り返ると玄関の扉は、もう閉まっています。
静寂な空間にそびえ立つ、大きなおうち。
手入れされた庭と、何台もある車。
華やかで裕福な暮らし、そのものの様子。

でも、中には閉ざされた部屋があって、その中で何年も暮らしている赤ちゃんのような大人がいる。これを想像できる人なんて、いるんだろうか?

そう思いながら、寺田さんの家をあとにしました。


人をケアするということ

すべての訪問を終え、看護ステーションに帰ってきました。
訪問看護師が1日の流れを振り返りながら

寺田さんちはね、いつも学生を受け入れてくれるの。
個人情報に関する同意を得た上でならって。

ある学生さんは、寺田さんの状況を
「飼育されている人間」ってレポートに書いていて、まさに、って思ったことがあったわ。

認知症をはじめ、今の日本の医療的な問題と倫理的な問題を凝縮したようなおうちだから、寺田さんの事例、どうか忘れないでね。

もちろん、忘れていません。

看護師になって10年を超えましたが、あれほど認知機能の低下が著しかった事例は他にありません。

そして、寺田さんの事例から多角的に物事を考え、判断することの難しさを学びました。

虐待では?という考えは、問題の一部分しか見えていないからこそ辿る思考。
実際、寺田さんの歴史や環境、家族関係まで紐解くとあれは虐待ではなかったと思うようになりました。

私は、ケアだと思えるようになったのです。

ケアについては、看護の母ナイチンゲールをはじめ、いろんな看護師が定義しています。僭越ながら、私も定義させてもらえるとしたら

誰かを思って行動すること、すべて。


寺田さんの事例の場合、部屋の鍵をかけて閉じ込めておくことは、人権的にNGの部分があることは否定できません。

しかし、そうでもしないと寺田さんの命の安全を保証できない。
よく、歩き始めた子どもがキッチンに入ってこれないよう、柵を取り付けることがありますよね?
あれは、キッチンに入ってくると子どもが火傷したり、火事を起こしたりするのを未然に防ぐため。子どもの安全を守るために取り付けるものです。

あれが虐待じゃないのと、同じ。

寺田さんの奥様は、彼のために家を改装しました。
家政婦さんも複数人雇いました。
寺田さんが過ごす部屋は、転んでも平気なように柔らかいマット床に改築しました。

寺田さんの安全を守るために。

すべて、口だけではなく行動で示しているんです。
だから、寺田さんが喜んでいるかどうかは別として、ケアだと言えると思うんです。


ここで、奥様が語っていた中で出てきた言葉、身体拘束についても触れせさせてください。

身体拘束とは、治療や検査に協力を得られない患者、不潔行為や暴力行為を振るう患者、認知症などで認知機能の低下が認められる患者に対して、患者と医療者、双方の安全を確保するために施される抑制です。

もちろん、医師から患者もしくは家族に同意を得てから行われるものです。

具体的には

・点滴やルートを自己抜去しないようにするミトン、手袋の類
・安静を保つために起き上がりを抑制する腰ベルトのようなもの
・衣服を抜いで下着やおむつを外し、放尿するのを防ぐための抑制着(自分1人では脱げないような仕組みになっています)
・離院や転倒防止のための取り付けるナースコールと連動したセンサーやマット
・車椅子から1人で立ち上がれないよう行動を抑制するベルト

などです。

身体抑制に関する日本の現状とトピックについては、ぜひこちらの記事を参考にしてください。

抑制に関しては、できたら抑制したくはないけれど、こればかりは仕方がないものというが私の認識です。

抑制をしないと治療に必要な点滴やルートを抜かれてしまったり、入院してるのに転んで骨折してしまったり、時に離院して交通事故に逢ってしまう患者さんだっているからです。

(すべて私が経験した事例です)

抑制をしないですむ方法があるとしたら、そういう患者さんに24時間付き添っていられる人をつけること。人の目と手があれば抑制なんていらない。でも、そんなの現実的じゃありません。

ご家族にはその人たちの暮らしがある。病棟看護師はその患者さんひとりを看ているわけではないから、ずっと付き添ってはいられない。

寺田さんの場合も、転倒転落の観点からナースコールマットやセンサーの類を使われるのは必須でしょう。点滴をする場合には、ミトンのようなものだって使われるはずです。


だから、入院して抑制されるくらいなら、鍵のかかったサンクチュアリをと考えた奥様の判断は、賢明だったと思います。


人は関係性と環境のあいだで生きていくものだから

あの日から、10年の月日が経ちました。

私も、10年かけて、奥様のしたことが虐待ではなくケアだったという解釈にたどり着くことができました。たぶん、こっちで合ってる。

それは、奥様の行動の背景をじっくり考えたからです。
奥様だって、私よりもっともっと考えたはずです。

・夫を家に閉じ込めるなんて、犯罪ではないのか
・転倒した時のダメージを最小限にするために、床のフローリングは変えたほうがいいのか
・家を改装するなら、どこからどこまでやればいいのか
・なんともなかった彼のことを知る人には、なんて説明しよう
・ああいう状態の夫を置いたまま、海外出張なんてできない、リモート会議に変更できないか提案してみよう
・アルツハイマー型認知症の他の症例を知りたい、書籍や体験談を読もう

これらを踏まえた上での結論が、あのサンクチュアリでの療養でした。

具体的な行動だけじゃなく。ここに到るまでの思考や戸惑い含めて、全部ケアだと言えるでしょう。
ケアとは、プロセスだから。

ただ、そこには思考がないとダメ。
感情だけで動くことはケアではありません。

患者がかわいそうだから、彼らの言うとおりに行動することが、ケアなのでしょうか?
ギャン泣きの子どもをリビングに置いたまま、キッチンで揚げ物をするのは虐待なのでしょうか?

だから、思考プロセスを経たケアが必要。
思考がなければ、ケアじゃありません。



日本人は、周りに飲み込まれてしまうことが多いですが、あなたの人生はあなたしか生きることができません。
人生の正解は、誰も教えてくれない。

だから、自分の頭でたくさん考えてほしい。
失敗してもいい
非難されてもいい
考えた上での行動は、きっとあなたに自信をもたらしてくれます。

私はこう考えてる、なぜなら…って言える人は、とてもかっこいいと思います。寺田さんの奥様のように。

もし、あなたが寺田さんに関わる訪問看護師だったら?
家政婦として派遣されるおうちが、寺田さんちだったら?
パートナーがアルツハイマー型認知症になってしまったら?
あなたが、寺田さんと同じような状態になるとわかっていたら?

あなたなら、どうしますか?
どんな行動をとりますか?


ぜひ、考えてみてください。



なぜ、身体抑制はなくならないのか

本編は、いったんここで終わりです。

ここからは、私の看護観に大きく寄与することを語っていきます。
題材は、本編にも出てきた身体抑制の話。

患者も家族も、身体抑制なんてされたくない。
当たり前の話です。

でも、多くの医療機関、私が勤めている病院でも身体抑制を行なっています。私も、協力や理解の得られない患者に抑制することだって、少なくありません。

なぜ、身体抑制がなくならいのか。

それは

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