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参考にしてはいけない「子育て自由形」

29歳で息子が生まれてすぐ、義母の安子さんが郵便局の人を連れてきた。学資保険だ。将来子どもが大学へ行く時の費用を、今から貯蓄し始める。え?何それ、早くない?という私の認識をよそに、お義母さんは月々4万円という高額の掛け金を私に勧めた。いやいやいやいや。無理っす。だって、私カフェを始めたばっかですよ。借入金の返済だけで目一杯、そんなに払えるわけねーだろ!

「大丈夫、孫のために私が払ってあげる」

安子さんは私の代わりに息子の学資保険を払ってくれた。なんて優しいお義母さんだろう。私は感謝の気持ちでいっぱいだった。その数ヶ月後。

「資金繰りが厳しいので、学資保険は自分で払って欲しい」

と、言われた。あれあれ?ならもっと安い掛け金にすればよかったのに。その数ヶ月後。

「お金がないので、家のローンを自分で払って欲しい」

と、言われた。夫のタケPくんがニューヨークから帰ってきたとき、お義母さんは家を建ててあげる、と言って、土地と家を買ってあげていた。家のローンは銀行の返済と住宅金融公庫の返済と、合わせて16万円だった。学資保険と家のローン、合わせて月々20万円くらいを払うことになった。私の意思ではない。お義母さんの「私がしてあげる」という意思で支出することになった金額がそのままこっちにスライドしてきた形だ。(当時タケPくんは1人で、私は息子、お義母さん、お母さんの彼氏と4人で暮らしていた)

カフェはお義母さんの家の一角でやっていたので、実質、家賃はないようなものだ。店が小さいからバイトさんは1人、人件費は知れている。でも、タケPは収入が不安定だったので、私の稼ぎが一家の収入だ。

最初は、なんとか、払っていた。住む家はあるし、飲食店だから食べる物は仕入れることができる。だけど、コーヒー1杯400円では商売にならないので、早々に酒を出すようになって、店はワインバーと化した。コーヒーを3杯飲む人はいないが、ワインを3杯飲む人は普通だ。月々5、60万円の売上げがあれば、細々とやっていけた。

でも、月4万円の学資保険はさすがに多い。私は掛け金を1万円くらいまで減額した。当然である。

ある日、お義母さんが私に

「アンタ、お父さんに頼んでお金借りてくれへんか」

と、言った。(うわー、来たよ)私は思った。お母さんの不動産業が盛大に傾いていたのは知っていたし、それまで何度も金貸しのような人が出入りしているのを知っていた。高利貸しの督促状らしい、差出人無記名の封書が何度も来ていた。

私は親に反対されて結婚した。「愛人と暮らすような女親を持っている、そんな男と結婚しても苦労するだけだ」そう父母に言われ、私は家を飛び出した。(そんなの結婚してみないことには分からないじゃないか)若い私はそう思った。

おいおい。今そんなこと頼んだら、「そら見ろ、わたしたちの言った通りじゃないか」と、言われるに決まっているだろ。アホか、私の状況を分かって言っているのか、だとしたら相当末期症状だ。

「私は結婚を反対されて家を出てきたのだし、そんなことは頼めない」

と断った。

「そんなら、もうアンタには頼まん!」

お義母さんは憤怒の表情をあらわにした。私に言うくらいだから、親族、友人からお金を借りまくっていた。「アンタとこ、もう商売できやんようにしたろか」と、言う謎の電話が店にかかってきたこともある。そして、店も含めた家が抵当に入れられ、お金は返せないから、抵当権実行で、家も店も取られてしまった。

私は、お義母さんの経済状況を密偵していて(金貸しが家に来ていた時、2階に行き、床に耳をくっつけて階下の会話を聞く。督促状を蛍光灯に透かして中を見る、などしていて)事前に察知していたので、店を取られる前に、さっさと別の店に移って逃げることができた。けど、保証人になっていたので、500万円を代わりに払うことになってしまった。

それで、1日でサラ金を3軒行って、50万円ずつ借りて、残りは展覧会を終えたばかりのタケPくんがその売上げのほとんど150万円を払って、100万円はタケPが友だちから借りて、残りの100万円はタケPのお父さんからもらった遺産で支払いました。

サラ金の金利は高いので、すぐに私が実家からお金を借りて、それで返して、その後、私がお父さんに返しました。

学資保険?もちろん、経済が苦しくなって、学資どころじゃなくなって、最初はその保険からお金を借りたりしたけど、すぐに解約。生命保険も、医療保険も全部解約。まあ、概ね無一文。息子は小学校入学だったけど、ランドセルは買えず、ヤフオクで北海道の人から4000円程度で買いました。「北海道の友だちがランドセル送ってくれたよ」と息子には言いました。私は2年くらいパンツ(ズボンじゃなくてパンティのほう)を新調することもできず、ブラジャーも2本しかなくて、バイトさんが誕生日にブラジャーをくれたこともあります。

それでも、商売をしていれば日銭は入って来るので、なんとかしのぐことができました。私はワインバーを都合17年やって、子どもを育てました。とは言え、育ててくれたのは、在宅で仕事をしていたタケPくんで、生活習慣をしっかり叩き込んでくれて、ご飯も手作りで、お弁当も作ってくれました。しかし、ストイックなタケPくんとずっと一緒だと、息子も息苦しくなるので、週末はお義母さんのところで羽根を伸ばしていたようです。結果、子どもは周囲何人かの大人が関ったけれど概ねひとりで育っていった感じです。

小学校、公立中学、公立高校と進んで、その間、習い事はせず、塾も行かず。お金がかかった覚えはひとつもありません。保育所に月15000円かかったのが一番の支出かな。お金がないことには子どもが産めないと、誰もが言いますから、私の例は特殊かも知れません。折りに触れて「行きたい習い事とかない?」とか「塾に行ったほうがいいんじゃない?」と、息子に聞いたけど、どちらも答えはNO。気を使って言っていたかも?うーん。そうは思えませぬ。

私だって、お金をかけるつもりでした。けど、子どもが小学校に入る前にお金がなくなった。うちにはお金がない、なんて、いつも言ってましたよ。「うちにはな、お金はないけど、ないのは金だけやで心配せんでもええ」そういう感じでした。それで、途中からある程度自由になるお金は出来てきたのだけど、それでもお金のない時の生活をそのまま続けていたので、結局子どもにもお金がかからなかった。そんな感じです。

お金がないから子どもが産めない。と聞く度に、それ本当かな?って思うのです。お金があれば子ども産んで、お金を子どもに使う。それが普通の幸せな子育てなのかは不明です。そんなことよりも、子どもが自分で生きて行けるスキルを身に付けさせることのほうが大切に思います。自分で生きて行けるとは、自分で稼いでいける、身の回りのことができる。社会の仕組みが分かる。騙されない。ということです。教育にお金をかけても、その後子どもが自立できなければ意味がありません。それができないなら、教育にお金をかけているのではなく、お金をかけて子どもを培養しているだけです。

もちろん、学ぶためにお金が必要な場面は多いですが、大人になっても勉強は続けられます。大学にも入れます。お金をかけない教育ではつくことのできない職業と言えば、大手企業の新卒での就職や、公務員くらいです。医者や研究者、専門の分野に進む人も必要ですが、すべての子どもがそういう職業につくわけじゃないですから。そう考えると、結構大丈夫、と私は思ってます。

子育てにお金をかけないと、親として立つ瀬がない、教育くらいは受けさせてあげたい。あるいは、自分がお金をかけてもらったから、反対にお金をかけてもらえなかったから、子どもには存分お金を使ってあげたい。色んな思いがあると思いますが、お金をかけて教育を受けさせれば親としての役目を果たした、ということでもないですし、教育にお金をかけてないから親として失格というわけでもありません。いろんなタイプの子育てがあっていいんじゃないかと思います。

例えば、学資保険として貯蓄するのはいいと思います。それを学資に使うのも、また別のことに使うのもいいですよね。まるまる子どもに渡して、好きに使ってもらうのもアリですよ。うちは、お義母さんと私で合計200万くらい用意できました。あはは、少ないですね!!学資としてはスズメの涙状態にもほどがある。そんなことないぞ!目一杯用意したお金や。それをまるまる息子に渡しました。どう使うかは自由。でもまだ使ってないみたい。もし、自分だったら何に使うかなぁ、などと、ちょっと考えたりします。

なんだかんだ言いつつ、私自身が大学にやってもらったけど、お金かけてもらったほどのものを身に付けなかった。大して勉強もせず、社会へ出るまでのクッションとして大学へ行って、遊んでいただけのヘタレ。それで、私がお金をかけた教育を信用していないだけなのかも知れません。まあ、自分の問題ですね、ハイ。で、親にお金は使わせてしまったけど、今は実家の百姓を継ぐことで、それを償ってプラマイゼロにまで持ってきたつもりになってます。

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