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百姓的観点で見る朝ごはん

「BRUTUS」で特集される「朝ごはん」ってのがあります。

「朝ごはんをちゃんと食べましょう」って、言うじゃないですか。昼ごはんや夕ご飯はみんな食べるけど、朝ごはんは省略する人って多いと思うんです。それが省略なのか、あえて食べないのかは別として、こういう特集が組まれると言うことは、

ちゃんとした朝ごはんを食べなきゃ、と思っている人が多く、かつ朝ごはんがちゃんと食べられる生活にあこがれている

そういう人が多いんでしょう。だってまあ、ギリギリまで寝てたいじゃないですか。私も二度寝大好き。それに何だかんだ朝から仕事してりゃ、じきに3時間経って、お昼ごはん食べられるんだし。

そういった圧倒的多数の中、わざわざ朝から

・コーヒー豆を挽いたり
・中国粥を作ったり(お粥作るのに時間かかる)
・きれいにフルーツをカットしたり

・天然酵母パンを食べ比べたり
・産地お取り寄せの牛乳を飲み比べたり
・グラノーラ食べ比べたり

・ハーブ浮かべた朝風呂入ったり
・ヨガしたり

優雅じゃないですか。お金持ちですか。お手伝いさんいるんですか。不労所得あるんですか。奥さん専業主婦ですか。

つまり、朝ごはんをちゃんと食べている、そして朝活みたいなことができている。というだけで圧倒的マウンティングができる。朝ごはんってそういうリトマス試験紙みたいなもんではないかと思うわけです。

さて、百姓的観点で朝ごはんを考えると、まあ朝ごはんってナシなんです。基本的に朝起きたらそのまま畑とか田んぼへ行く。

ひととおり全体を見て、

・天気が崩れそうだらか先に畔の草を刈ったほうがいいな

とか

・ササゲのつるが伸びてきたから支柱を立てなきゃ

とか、考えるわけです。それで、いったん帰って草刈りなら刈払機を準備して田んぼへ行く。それで朝から作業です。8時くらいから。で、2時間くらい草刈って、帰ってきて、片づけて、それからご飯です。早い目のお昼ご飯ですね。それを10時くらいに食べてから車で15分くらいの距離にある市街の店へ行く。

店は11時開店です。お店にはお客さんがワーって来るわけじゃなくて、どっちかというと配送作業やメールの対応、事務作業が主で、そのなか店舗へ買いに来る人の対応をする感じです。17時までやって、帰ってから夕ご飯。そういうサイクル。朝ごはん食べてるとそれだけで軽く30分使っちゃうからなんかダレる。それに朝から食べ物を胃に入れると確実に体が重い。それから店に行ってからお昼を食べるのも時間を食う。だから店に行く前にお昼食べちゃいます。

忙しい時だと、17時に店終わってから家に帰って、そこからまた田んぼとか畑へ行って草を刈ったりします。今はまだ日も高いし十分仕事になる。

そして19時半くらいに夕ご飯。自分のサイクルで動くんじゃなくて、基本、天気で動く。季節でも違うけど。

あんまりご飯のこと考えないです。最近は玄米を発芽させてから炊いて、それをお櫃に入れておく。中に梅干しを数個、一緒に入れておくとこの季節でも1日は大丈夫です。で、そのご飯と漬物とお味噌汁と干物。みたいなメニュー。ご飯はあたためません。たまに近所の魚屋さんでお刺身とか買う。体力使う仕事をしたら肉食べる、みたいな。

一方で、こういう雑誌の朝ごはん特集、好きなんです。10代、20代の頃に憧れました。エッグスタンドとか買ったもん。明治屋みたいなところで外国のジャムやピーナッツバター買ったりしたもん。なんて言うか、郷愁なんでしょうね。こういう生活にあこがれていた自分に対する。

ところで、「聞き書き 三重の食事」という本を見ると、今から50年くらい前の朝ごはんはこんな感じです。

ちなみに、お昼ご飯でもこれ。

シンプル!まあ言ってみれば丁寧な生活。そして地産地消。でも、これだと経済活動にはならないわけです。経済を回して行こうと思ったら、もっと目新しい食材や色んな地方から取り寄せた食材を使う。これだと半径1キロ圏内の材料でご飯済んじゃいますからねー。もちろん、昔だってこれが最高のご飯!と思ってたわけじゃなくて、みんなもっと新しいものやよその土地のものを食べたかったわけです。それで50年後の今につながっている。今は色んな土地から取り寄せた色んなもので朝ごはんが食べられる。朝ごはんが雑誌で特集されるまでになっている。

すごい豊かになってる!って思うのですが、ここまで来て、これって豊かなのかどうなのか。とも一方で考えます。吉玉サキさんもこの記事で言ってるように、豊かになって余裕が出てきているはずなのに、どんどん時間がなくなっている。

人というのは元来貧乏症なのでしょうか。隙間が空くと、そこに何かを詰めずにいられないのでしょうか。この前地元のお年寄りが言ってました。

「昔は火をおこすところから炊事が始まった」
「水を汲んでくるところから始まった」

今は水道もあるし、ガスコンロもある。なんていい時代だ。ご飯だって炊飯器で炊ける。なのに、どうしてこんなにみんな時間がないのでしょう。もし、50年前火をおこしていた、当時まだ20代だったお年寄りに水道、ガスコンロを与えたら、彼女たちは余った時間を何に使うのでしょうか。そういうお年寄りたちも、便利な今、幸せかと言うと、子どもたちはみんな出て行って、ひとりで寂しいと言います。

便利なことが幸せに直結するのではない。ということは分かります。だからと言って不便が美徳でもない。人の不便を解消する、遅かったものを早くする。これらは仕事になるし経済活動につながります。それを考えた時、天井知らずにものごとは便利になり、色んなことがどんどん早く処理されるようになるでしょう。でも、それと個人の幸せの感度は別物です。目の前にあるささやかな事象に思いを馳せ、こころの中にさざ波が立つのを感じられる。そういう自分でいられるのが一番幸せなんだろうと思います。またそういうことが表現で来たら最高に幸せだと思うから、自分もこうやって色々書くのですが。


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