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光の点が星座になる時代

「あれ?S子ちゃん、これ注文分?」
何気なく言った私を凍り付いた目で見るS子ちゃん。
「Yukiさん…が電話で受けた分ですけど…」

え、まったく覚えてねえ。

その前日。

「はい、これ貸してくれた本。面白かったわ」
と、武司くんが私に一冊の冊子を渡す。それは表紙(正確には裏表紙)に「団地すげー!」と書かれた森井ユカさんの薄い本で1000円と書いてある。武司くんが言うには

「これ、ぜったいタケちゃん好きやから読むといいよ」

と、私が持ってきたのだそうだ。

覚えてねえ…


みなさん、お元気でしょうか。その日、私はネットで「物忘れ外来」と検索しました。幸い伊勢に著名な病院があるので、みんなにそこへ行けと言われています。

記憶とはなんでしょう。私の理論では記憶とは引き出しです。例えばよくボケた人でも子供のころの話は思い出す、と言うではありませんか。子供の頃って、まだ記憶の引き出しが新品だし、入ってる記憶も少ないから、引き出しに入れたあとも何度も何度も取り出して大事に大事に眺める(思い出す)んですね。その回数が多い。子供のころの記憶って何回も思い出すじゃないですか。だから引き出しも滑らかになって、いつどんな時でもスルッと思い出せるようになってる。

一方、大人になってからの記憶の引き出し。とりわけ最近の私の引き出し収納について言うなら、まず、引き出しすら開けたのか開けてないのか分からない状態で

はいっ!はい!次これね!ハイハイハイ~~~!

って、引き出しを見もせずに放り込んでいる。放り込んでまた別の引き出しのところへ行くはいいけど、その次の引き出しもあるから、次の引き出しを気にしながらこれまた記憶を、

ポイポイポイ、

ポポポイのポイ。

と、後ろ向きに、引き出しがあるであろう場所に向かって投げ入れる。さ、あ次があるぞ、次、次、次ー!

私が通った後、記憶は引き出しに入らずにだらしなくふちに引っかかってたり、下に落ちてたり、上に乗っかってたり。違った引き出しに入ってたりするわけです。

だから、人と会っても「あれ?この人どこかで会ったけど店だっけ?それとも民生委員の関係?妹の知り合い?お客さん?」みたいに、全然思い出せない。まったく知らない顔の人が「Yukiさーん!久しぶりです!」と言ってきて恐怖に思ったことすらある。問題なのは「え、誰?」って正直に言って、向こうが「ほら、竹田さんの桜の会で…」って言われて「あ、そっか!ハイハイ。思い出しました!」ってならずに

何?桜の会なんて行ったの?私。いつそれ?

みたいな。もうね、私本当にまずいかもなんです。自分で、この私の人生、ちょっともうちょっと大事に生きたほうがよくない?って思う場面に来てしまってるのです。

生きるとはこなすこと。目の前にやってきたことを効率よくこなす。スケジュール帳を埋める。たくさん人に会う。商品をたくさん売る。それ以外に自分でコントロールできない百姓と言う仕事もしています。日常の隙間に天気を見ながらの農作業。町のことだって、ひとつづつ考えると月に一回とかだけど、町内会、民生委員など、それが4つあればもう毎週何かをやることになっちゃう。しかも「いろいろやれてる自分すごい!」って自分で思ったり、人から言われるとすごい自己肯定感が強まって

ワシすごいかも!

なんて思っちゃうんです。記憶やばいのに、すごいわけないだろ。

ふと考えたんです、私。昔の人って、星を見て、毎日星を見て、それこそスマホ見るくらい星を見てたわけでしょ。ギリシャ、ローマ時代の人たち。夜は真っ暗だし、やることないし。毎日星を見上げて、ある時、あの星とこの星を繋げてあっちの星とも繋げて…うん、見えるぞ、白鳥に見える。

なんて、星座を作ったわけじゃないですか。ですよね?違う?

はぁー…もう時間軸が違う。全然違う。じゃあ、昔の人は忙しくなかったのかと言えば、やっぱり忙しかったとは思うけど、移動だって歩きだから、そもそも歩いてる間は時間がある。脳の使い方は全然違ってたと思うのです。今って、便利なツールや家電で時間をショートカットできるけど、じゃあその先になにがあるかと言うと「次の用事」しかない。余白なんてまるっきり生まれてこない。いつまで経っても。

便利になればなるほど、光の点が星座になるようは時代から遠ざかるわけで。じゃあ、いったい何が生まれるのかと言えば、私のような忘却の亡者がもしかするとほかにもどんどん生まれているのではないかと思ったりするわけです。げに恐ろしや。けど、これに気づいた私はエライ。記憶はポイポイせずに、きちんと畳んで記憶の引き出しに丁寧に仕舞う。これだけで、もう全然いいと思うんです。じゃあ、それをするためにはどんな日常を送ればいいのか。ここですね。考えなくちゃいけないのは。けど、目標が分かったから、あとはそれをどうするか考えればよいわけです。きっとなにか方法があるでしょう。残り少ない人生、もうちょい何とかしたいものです。

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