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8時40分のボヘミアン・ラプソディ

初めて行ったクイーンのコンサートは、たまたまFM愛知で夕方5時くらいからやっていた、音楽番組のチケットプレゼントに当たったものだ。ペアチケットだった。

中学3年だった私は、反抗期真っ盛り。コンサートは当然、普段からレコードの貸し借りもしている、ロック友達のアケミちゃんと行くつもりだった。会場は名古屋の国際展示場。私の家から電車で2時間、そこから更に地下鉄で20分はかかるような場所だ。今なら分かる。そんなところに、田舎者の中学3年生の女の子が2人でコンサートに行って、終電で帰って来るなんて、ははっ!無理無理。危ないっしょ。私だってOK出さないよ。

そんなことで、コンサートはお父ちゃんと行くことになってしまった。

よりによって、初めてのコンサートがお父ちゃんとですか。普段から厳しく叱責されること多数。姉妹のなかで一番ゲンコツを食らい、果てにはビンタまでされるような、私にとっては敵も同然と言った、お父ちゃんとですか〜。でも、しょうがない。そんなことよりもコンサートだ。

送られて来たのは、チケットそのものではなくて、チケットの引き換え券だったので、当日、私は父とFM愛知までチケットを取りに行った。わー、初めてのFM局だー、などとドキドキしたのもつかの間、ここで引き換えているわけじゃない、と言う。

そもそも、私は取り扱い説明書を読まないタイプなので、チケット引き換えについても、自分で勝手に「FM愛知で引き換えるんだな、うん」と思っていて、実際にはコンサート会場で引き換えだったのに、まあ、これでかなりの時間ロス。かなり焦る。

無事、着いた会場は、コンサートホールと言うよりは、体育館のようなところで、パイプ椅子がずらりと並べてあった。広い会場に高い天井、中央に配された舞台、楽器と舞台装置。巨大なスピーカーから流れている音楽。会場の端ではオリジナルグッズの販売も行われていて、私はアケミちゃんへのお土産に小さなステッカーを買った。会場はコンサート前の高揚した雰囲気に満ちている。私と父は、指定された席番号の椅子に座って、コンサートの開始を待った。

やがて、それまでかかっていた音楽が一変、会場が暗転し、おお!こりゃいよいよなんか始まるぞ!という空気が濃厚になり、人々はそわそわと席から立ち上がり始めた。私たちも連られて立ち上がる。そして、ギターの生音がひときわ響いたその時、

観客たちがいっせいに

前に走りだしたー!

パイプ椅子をハードルのように飛び越えているぞ!

前の人も!

横の人も!

ラーメンパーマのお兄ちゃんも!

みんな舞台に向かっている。

サバンナの水を求めて大移動するヌーの大群のように、体育館の中で観客がS席だ、B席だと言う紙の上の決まりを蹴散らし、舞台を目指してパイプ椅子をドンドンと踏んづけて前へ急ぐ。

なんじゃこれ!私が唖然としたその瞬間、

背中をパーン!と叩かれた。

「お前も行ってこーい!」

私が、え?え?と思っていると、

「ええか、8時40分にはあそこに来いよ。電車遅れるからな、絶対来いよ」

そう言って、父は腕時計を差し、次に出口を指差した。

「俺はあそこで待っとる」

その時私はどんな顔をしていただろう。

「早よ行け!」
「うん!!」

私は走った。勢い良く走るヌーになって、前へ、前へ!

人が密集した中に飛び込むと、そこは大人の世界。うんと背の高い、いかにもロックな、クイーンファンのお兄さんたち。フレディと一緒に英語の歌を歌っている。あぁ、ごめんなさい、私、そんなにファンじゃないんです。たまたま、気まぐれで送ったハガキが当たっただけなんです。ほとんど一緒に歌えない私は、申し訳ない気持ちになりながら、ただ体を揺らして舞台を見ていた。中三の女子にとっては、気持ち悪い胸毛のおっさんでしかなかったフレディが汗を振り散らし、舞台を縦横に動いている。すごい、一生懸命だ。

ちょうど「レディオ・ガ・ガ」や「アンダー・プレッシャー」、「フラッシュ・ゴードン」などがリリースされていた時代。知っている歌、聞いたこともない歌、フレディがほとんど半裸で歌ってる、やり切ってる。振り切ってる。その日、私は知った。

やり切るってカッコええんや。たとえ気持ち悪くても。

舞台では、一本の赤い薔薇を手に、登場したフレディがピアノを奏で始める。クイーンの名曲中の名曲、一大叙事詩、ボヘミアン・ラプソディー。沸き上がる観衆、私は時計を見る。入学祝いにもらったミッキーのデジタル時計は、8時40分になるところだった。最高に盛り上がるこの曲を後に、私は歓喜の声を上げる人々を掻き分け、会場後方の出口に向かった。群れを出ると、パイプ椅子の後ろ半分は放置され、観客は舞台前方に集中しているのがよく分かった。出口の横に腕組みをした父が立っていた。

「どやった?」

「うん、よかったよ」

そう言って、私が舞台を振り返ると、上半身を光に包まれたフレディがちょうど赤い薔薇を客席に投げ入れるところだった。後日、その薔薇を受け取った人の話が、同じFMの番組で語られていた。

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