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賭けになった話

いくらなんでももう今日はnoteを書こう。そう思って帰ってきた。最後に書いたのはひと月かふた月前。それが長いのか短いのか分からないけど私にしてみたら長い。多分、note酒場のあたり、確か10月のはじめだったから、やっぱりふた月か。

その頃は毎日noteを書く、ということがなんか流行っていた感じだった。それまでも、毎日noteを書く人はたくさんいて、私も半年くらいやったことがある。この試みで「自分が毎日書くことに向いてない」という現実を突きつけられ、同時に「毎日書いてる人はすごい」との感嘆を得た私は、さっさと毎日更新をやめた。

よく、小説を書く人はサラリーマンのように、決まった時間に起きて、毎日決まったように原稿を書く、と聞く。町田康さんなんかもそうらしい。ちなみに、武司くんも朝4時とかに起きてもう7時から仕事をしている。小説家ではないけど、デザイナーだしアーティストだ。まあ、3時には終わって晩酌始めてるけど。

その理由は色々あって、ひとつは突発的にやっていたのでは仕事にならない。ということだ。例えば「マダムの気まぐれカフェ」みたいな、気の向いた時しかやってない店があったしよう。それが例えおいしいものを出す店だとしても、本当に気まぐれにしかやってないとしたら人は来ない。つまりは「信用」の問題で、それが借金なら、お金が入った時にまとめて100万円返すような人よりも、1万円を毎月きっかり10年返す人のほうが信用される。

そういうことで、毎日noteが書ける人は、書くと言う行為において信用される部類であると思う。では、毎日書けない人は信用されないのか、ということになってくるんだが、じゃあ、書くことの信用ってなんなんだ。ってことだ。

noteに文章を書いている多くの人は例えば小説家になりたいとか、ライターになりたいとか、まあ、私も小説書きたいわけなんだけど、毎日書くことが筋肉になる、というのはある。これは筋トレとか、スケッチとかそういう類の「力」になるという意味だ。表現者というのは、ありあまる湧き出る泉の源泉があって、そこからいくらでもアイデアやネタが吹き出している。わけではない。そんなのは人それぞれだ。世の中には天才と凡人といて、武司くんは天才だが私は凡人だ。いや、違うな。武司くんは天才ではなくて生き方そのものが作品という人で、私は生きていく中で文章を探している。

探しているということは、見つからなければ書けないということになる。あるいは、目の前にあるのに、気づかないこともあるだろう。常時ストックがあるわけでもない。つねにこころが鋭敏に物事を捕らえられる状態とは限らない。それが生きていくと言うことであるし、気づいたら書くのにはもう遅いんではないかと気づいて、愕然とすることがある。50才を過ぎた私ならさもありなんだけど、30才のときもそう思ったし、40才のときもそう思った。だから、もしかして20代でも同じように思って愕然としている人がいるかも知れない。

生きているとそんな時期が必ずあって、仕事や子育てや、恋愛や家族のこと。自分を取り囲む環境の問題。どうにも書けないことがある。そんな時に毎日書いたってどうしようもない。中には、そういうときでさえ書ける人もいるだろう。本当に毎日書いてる人はすごいと思う。でも、自分は毎日書けない。

筋肉に遅筋と速筋があるように、書くと言う行為にも瞬発力や持久力があって、毎日書ける人は遅筋の人ではないかと思う。そう考えると、競技にマラソンと100メートル走があるわけだから、別に42.2キロ走らなくてもよくて、100メートルでめっちゃ早く走ればいい。なんなら別に早く走らなくても、人の記憶に残る走り方をしたらいい。

さて、私は11月にBar Bossaの林さんふみぐら社さんと東京で飲んだ時に来年の11月までに本を出すという賭けをすることになった。林さんは最近また本を出したし、ふみぐら社さんなんか出版に関わった仕事で何冊も本を出している。もちろん、私は本なんか出したことない。ちなみに掛け金は10万円という。大金だ。なんだってそんな賭けになったんだろう。もう私の負けは最初から決まっているので、今月から毎月1万円貯金することにした。

そんなこと言って、私ももしかすると本が書けるのかも知れないと、実はちょっと思っている。けれど、今のままでは書けないことも分かっている。ちなみに、林さんもふみぐら社さんも「毎日書く人」だ。私は毎日書かない。初めから書く、ということに信用のない私が果たして本を出すことができるのか。

<つづく>




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