見つけた時が記念の日

母から「田んぼのお疲れさん会をしよう」と言うことで、今日は妹と父と母の家に行って夕ご飯を食べてきました。鳥羽のマルシェで買ってきた刺身ともちろん用意するのは新米。あとお吸い物、サラダとか太刀魚焼いたのとか。

母はコロナで出かけることがめっきり減って、ぎっくり腰になったり、熱中症気味になったりで、ずいぶんへこたれていたのですが、少し元気になったようでした。妹が「保育園の送り迎えの時、姉の足が自転車に絡まって血だらけになった」という自分の一番古い記憶を披露したけどそれを当事者の母がまったく覚えてない。

これ、あるあるなんですが、子どもから見た重大事件と親から見た重大事件って、違ってること多いみたい。私も息子から聞いて「ええ!そんなこと覚えてないわ」というの、結構多いです。とは言っても、初めて自転車に乗れた時に道で車に轢かれたのはさすがに二人とも覚えています。

ところで、もうすぐ敬老の日ですね。わたくし、ギフトの仕事をしていますが、自分自身はまったくそういうのしません。母の日、父の日、敬老の日、なんなら誕生日もなんもしない。息子の誕生日は好物のアップルパイを買うのが習慣になっていましたが、プレゼントはない。タケちゃんの時もないし、私の誕生日も別になんもないです。

まず第一に「〇〇が好きだからと言って、そのジャンルのものを適当に送られても迷惑」という基本原則があります。確かに、自分の趣味のものって自分でしっかり選びたいし、自分のタイミングで買いたい。「これ欲しかったでしょ♡」って渡された時(あ…いや…似てるけどそれやない…)ってなりがち。

現に私、「これ、カッコイイやん!ぜったい喜ぶやん!」って、サンタのふりしてプラレールのユーロスターを枕元においといたら、朝になって「サンタさんこれ違う」って言って、電車好きの息子、ぜんぜんそれで遊びませんでしたから。緑とオレンジの線入り、東海道線でばっか遊んでましたから。

第二に「これ好きそうだな」って送るのはすごい技術がいるってことです。現に、私今までタケちゃんに何度かクリスマスプレゼントとかあげてます。アーティストだからなんかアート関係の本とか送るんですよ。けどほとんど返品されてます。次の日に言われるの。

「これやっぱ使わんから…おまえ使えば?」

いやぁ、普通言わないですよね、あげた本人にそれ。でもすごく純真な気持ちで言うんですよタケちゃん。彼にとって、自分の空間になくてもいいものはハッキリ「いらない」んですね。だったら最初から私の欲しいものを送って、それ返品されたら自分でも使えるよね!って、それプレゼントにせんと普通に自分で自分に買えばええやん!って話ですよ。

そんなことで、うちでは記念日もプレゼントもなんもありません。けれど、たまになんかあげたくなることって、あるんです。プレゼント。そういう気持ちはあるの。古書店で海苔の本見つけた時とか、ガチャガチャで火焔型土器を当てた時とか。そんな時は迷わずプレゼント。私の方式は記念日を基準に考えるのではなくて、物を基準に考える。そうすると、いつだってプレゼントできるんです。探さなくてもいいんです。見つけた時に買えばいい。すごくラクだし。しかも、そうやって見つけたものはまず返品されない。

人が決めた記念日に合わせてものを探すよりも、見つけた時を記念日にしてプレゼントしたらいい。まさに俵万智さんの「サラダ記念日式」でよいのですよ。1年365日ったって、太陽暦の1年で同じ日の一年後がきっかり1年後でもないし、太陰暦で考えたらまたずれてくる。そもそも1年後の同じ日なんて実際のところあやふやなのです。その日はその日だけのその日。春か、夏か、秋か、冬くらいでいいんじゃないのでしょうか。百姓をしているとそれくらいの日にち感覚にはなってきます。

けど、決められた記念日が好きな人もいるし、記念日に合わせてなんかすることが合ってる人もいると思います。なんと言ってもそのほうが盛り上がるのは確か。季節感もあるし、恒例行事化することで生活にメリハリも出ます。ということで、商売に関してはその盛り上がりに完全に乗っかっている私です。



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